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容姿批判の傷から愛せる自分への成長期


大学生になって、10㎏以上痩せて、化粧を覚えて、髪の毛を染めてケアをして、服を全部買い換えて、大学デビューを無事に果たしたが、容姿で傷ついた過去はいつになっても癒えない。


中学生の時に
「デブ!」「ブスなの自覚しろよ!」

高校生の時に
「おばあちゃんみたい」「あなたより私の方が可愛い」等の

思春期に言われたこれらの言葉たちを綺麗さっぱり忘れたいのに、忘れればいいのに、忘れるなと言わんばかりに何度も思い出す。

しかも、「かわいいね」と褒められた時に思い出すので非常にタチが悪い。


容姿が変わって、周りの反応がガラリと変わっても、これはお世辞できっと本心ではないから調子に乗るなと自分に言い聞かせ、喜ぶというより、もう褒めないでくれとさえ思ってしまう。

容姿を褒められたくて、努力したはずなのに、褒められると私はそんなんじゃない、と過去の自分が顔を出してくる。 


外見が変わっても、内面は変われなかったのだ。

現実を受け入れたとき


昔も今も客観視が壊滅的に下手である。


容姿を磨かずにいた昔は、自分のことをクラスで1番可愛い!と謎の自信に満ちていた。 


別に、クラスで1番可愛い!という根拠もなく、ただ自分を可愛いと思っていた。まるで世界の中心は私のように。


でも不意に撮られた写真や、ショーウィンドウに映った華奢とはかけ離れた逞しい体型の自分の姿にひどく落ち込んだ。


そこでやっと、私ってみんなが言ったように可愛くないんだ、可愛いと思っちゃいけないんだ。
可愛くないと自覚しなきゃいけないんだと重く呪いをかけてしまった。


自分で想像する自分(なりたい自分)と
現実の自分があまりにも違くて、何もかもが嫌になった。


容姿はもちろん、頭も悪く、惰性な自分をどうにかして決別したかった。
そのために努力した。変わりたくて仕方なかった。マシな自分になりたかった。



外見を磨いても、内面が磨かれてないと「空っぽな人」と思われることを知った。

どちらも兼ね備えてないとダメだと自分を追い込んだ。本を読み漁り、知識を入れ、自分の意見を持つことに精進した。


大切な友達と喧嘩別れしてしまった経験から、人との衝突を避けるようになった。
自分さえ我慢すれば、そこは丸く治ると思うようになった。


告白して振られた経験から、好きな人と両思いになるのは難しいんだと恋愛から距離を置くようになった。


自己開示をせず、浅く人と付き合い、交流関係が浅く狭くなった。
もっと仲良くなりたいと思ってる人と、中途半端な関係のまま疎遠になることも何度もあった。


相手を傷つけないように、「考えてから話す」が癖付きすぎて、自分の意見が言えなくなった。
考えてるうちに、話題が変わって、会話のテンポ感を壊してしまうようになった。



現実を受け入れて、自分にひどく失望して、
これ以上、傷つきたくなかったがために自己防衛をしすぎてしまったのだ。


新しい自分を受け入れる


私も、もう22歳で4月から新社会人になる。
学生特有の悩みや失敗を受け入れて、次の段階に行かなくてはならない。


今でも写真はあまり得意ではないし、自己開示も得意ではない。


でも、写真をみて、思ってるより痩せてマシになった自分の姿を見て少し自分を好きになれたり、そういえば自分磨き頑張ったもんなーと他人事のように思いながらでも、そろそろ可愛くなった自分を認めて愛してあげてほしい。


可愛いと言われたら、ちゃんと喜んでいいし、努力した自分を認めていい。


自己開示を少しずつできるようになってから、人との距離がグッと近くなったように感じる。
相手にとって抱いたプラスの感情を伝えるようにしてから、自分も気分が良くなった。


「あなたのそういう所が素敵だね」とちゃんと伝えてあげたい。
悩んでる時は、勇気を出して相談して、意見を言わないことは自己完結しててこうだ!と決めつけてるだけだと気付くことができた。



努力して得た成功体験が自分を信用する材料になった。


「やると決めたら必ずできる、結果を出せると私は私を信じてる」と内定先の最終面接で高らかに言ったが、決して嘘ではない。


ちゃんと有限実行できる自分が好きだし、悔しさをバネにできる自分も好きだ。



「生まれ変わりたい」「来世で成功する」と諦めてた自分だったけど、
いくらでも変われる!何にでもなれる!と思えるようになった。


自分より可愛い人もすごい人もいっぱいいるけど、私は私だし、それなりに可愛いしイケてるじゃん!と認められればいい。


2024年の目標
「自分の人生をちゃんと生きる」を責任持って遂行していきたい。

容姿批判で学んだこと


あいにく、客観視がとても下手な私は、容姿批判をされなかったら、現実に気づけなかった。

容姿批判から、客観視して内面も変わろうと努力した。


自分が好きな自分でいるためにも、自分を守るためにも、自分磨き(外見も内面も)は一生続けたいし、理想の自分とやらを追いかけ続けていきたい。

と、私が学生時代に学んだことは以上です。


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