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丁寧に畳んだ制服がくしゃくしゃになる時、私は私を保てるだろうか。
家の屋根に登って胸に溜まりまくったゴミを思いっきり地平線の向こう側の国まで飛ばしてやりたい、朝。まだ目が萎んで力が入らない。
服はヨレヨレ。今日は昨日には帰れないな。
学生服が部屋の扉の前でシワクチャのまま放り投げられていて、
しかも踏まれたような形跡がある。それは私の無意識が起こしたこと。そう割り切って生きていこう、今日はそういう適当に暮らしてみたい。とはいっても適当にも意味があって、ゾンビのように一日を無駄に食べ尽くすことはしないということである。
ということでヨレヨレの部屋着から街に出かけるように服を選んで鏡の前に立つ。派手な服に、お気に入りの服。好きなものを好きと言い張って選んでお気に入りの自分になる遊び、真剣な遊び。服は私を私として受け入れて、そこに新しい私を提供してくれる。私は昔から服が好きなんだよな、という気持ちを再度確かめながら好きで固めた私を身に纏ってリビングへと階段を駆け下りる。
なんとか生き抜いた。
昨日に残る思いが玄関に転がるスクールバックが物語る。
「うん、生き抜いた。」
リビングの中央に置かれた木目調の四人がけのテーブルの上に用意されたパンと珈琲を貪りながら、意図せず呟いた。何故だかわからない。けれど嬉しくてにやけてしまった。なんたって生きてるんですからね、今日まで生きてないと吐けない言葉だから、生き抜いたって。
昨日を生き抜いた私は一口を大切に噛みしめながら、最後はパンと珈琲を口の中で溶かし合いながら、朝ごはんの準備のお礼と遅れてやってきた朝の挨拶を告げては「あんた挨拶遅すぎ」と笑い声まじりの言葉を背中にその場を後にした。
今日は適当に暮らす。
それを大前提として本棚から本を引っ張り出して読んでは言葉の節々で恋にも似た感情で胸が熱くなっては、その場でペン立てから鉛筆を取り出して線を引く。
人間は残酷なまでに物事を忘れていく生き物だ、と聞いたことがある。だからこそこうすることでいつでも大切な一目惚れを思い出せるようにしている。
私の人生で一目惚れをする経験なんて滅多にないから手放したくないし。
本を読んで、息を弾ませて、音楽を聴いて、思うがままに踊って、おもむろに掃除を始めて制服を畳んで、元ある場所に置く。今日は自分のまま生きてるな、と思いながらキンキンに冷えた緑茶を飲む。自ら選んだ生活は居心地が良い、結局の所生きているという実感を覚えるのは一人で何かをしているときなんだ。
しっかりとした人生、それはきっと昨日のよう毎日与えられた使命(私の中では学校)の中で誰が見てもまっとうな人間と頷いてしまう人がやっと遅れるようなものなんだろう。私には親や先生が言うような‘’しっかりとした人生‘’を描きながら、朝日の前に立つ勇気はない。
*
読んでいた小説も、聴いていた音楽も、汚れた部屋の掃除もひと段落終えた頃、ふと見上げた空ではポツポツと電灯が灯り始め、その光が窓を突き抜けて私の服を照らしていた。不思議と目が痒む、少しばかり本を読みすぎたみたいだ。
それでも今日は適当に生きていけた、確かな証拠が今の記憶の中にある。
きっとしばらくは私が私を捨てるような生活を送ることはないだろう。
でもあの丁寧に畳んだ制服がくしゃくしゃになる時、
私は私を保てるだろうなんて思ってしまう。
そんな私も一緒に地平線の彼方へ、投げ捨てたい。
そんな夕暮れ時、実は私は今日も昨日にいた。
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