平凡の中で諦めが生じたとしても、私はもう少しだけ制服のまま躍り続ける。

血溜まりの影の傍で踊っている。
今日も至って平凡で、されど心象を切り取れるだけ切り取って深々と除き込んでみれば忽ち闇という闇が目の奥先まで忍び込んできそうな、なんとも己では形容できない心模様を浮かべて、しがない夜の前で屈辱の念を枕元に垂らしながら朝を待っている。三時間。私が床に伏せ、夜の闇よりも深いところで死にかけの蝉のようにジタバタトもがき、そしてどうにもできない不安の壁をよじ登ろうとした時間である。これといって明日に期待はしていない。朝日が街の上に乗っかり生活の基盤を創造する、私たち人間はその基盤の上で時として降りかる理不尽を奥歯で噛みしめながら生きていく。始めのうちはそういった如何にも苦の権化として夜に向かって叫び、怒り、泣き、私を私が保とうと、私が私を裏切らないように身を粉にして理想の生活のため奮起を起こす。しかし私たちは次第に外界から飛来してくるナイフに切り刻まれることに慣れてしまう。つまるところ何か抗って根拠なき自分の為に努力するよりも一種の妥協と諦めを手に取った方が生きていく上で極力傷をおわずに生きていける、と私はここ数日の暮らしで感じ、手に取ったものを見返しては断続的に大きな哀しみに飲まれそうになる。

ある日の放課後、私は制服を纏い校庭を見渡して、それから。

私は今も血溜まりの影で踊っている。
そのせいもあってか酷く顔色も悪くなってきたし、他人様に祝福される人生ではないと思っていた。今でも少なからずその思いは左胸のポケットに湿った感情のまま潜ませているが、いまは、今だけはそっと学習づくえの上に置いておこうと思います。
まず始めに、私のようなちっぽけな人間祝ってくれてありがとうございます。ぱっと記憶の歯車を逆回転させてみると此処まで多くの方々には祝って貰った日は頭のどこを探しても見つかりませんでした。そうとなると如何に現実での私の所在地が定まっておらず仕舞いなのかが手に取るように判るようで恥ずかしい限りでありますが、ともかく嬉しいことこの上ない、涙よりも透明な感謝を書き残しておきます。

誰にも読まれないし、誰にも求められてないし、誰の目にも止まらないし、ありふれた人間の感情の淀みのなかを泳いで気が向いた際にに沖にあがって文章を書く。なんともまあ気ままで内容も歪で青臭いものが連なっているものばかりで、私の横に人形を立てて覗かせてみたとき、決して大衆に好かれるような文章を書き続けれる自信はありません。それはこの後に街の上に立つ太陽を安堵の顔で迎え入れたとしても無理な気がします。

枕が濡れている。
胸ポケットに入っていた感情を何処かに落としてしまった。明日にでも探そう。机の上には何もない。
何故か肺が圧迫するような咳がでる。月明かりが部屋の影を照らし、月光のぼんやりとしたところで人影が妙な手つきで踊っている。

改めて、心の底から私は心配性であり、寂しがりであり、女々しいやつだと思う。女の腐った奴だと過去に罵られた記憶がちらつく、しかし今の私は気に求めない。

ひとまず、今日というこの日までありがとうございます。

毎日マックポテト食べたいです