芝居小屋と花束 『愛をこめて花束を』
花、花束、花とはなんだろう。
人間にとっての花、生きることと花、花束とは、愛とは。
Superflyの『愛をこめて花束を』は
近年の旅芝居・大衆演劇の舞台でよく使われる歌のひとつで先日も観た。
歌詞と、あの歌い上げる感じ、
「大きさ」が祝祭ムードを醸し出すのだろうな。
愛。花束。道。正しさ。本当。ああ。ほんとうに、「大きな」歌だ。
大きいから、わりに大きな格好で踊られることも多い。
「ここぞ」の時と気合いなのかな。
ここぞな衣裳またはドレスに似合う曲としてこれを選んで持ってくるのか、
幕があいたら、ごてっ、とか、ふりっ、とか、した衣裳で立っていて、
客席が「わぁ」っとなるのがテッパンみたいな。
「いや、このメロディーでなんか踊られへんでしょ」
「な、そりゃせやで、アテ振りになるわな」
「なるでな、あ、うん、そこでポーズ、ハート」
毎度ツッコみながら観てしまう。
けれどそれでも広がる謎の祝祭ムードに呑まれる。
むかしは「それは歌い手の力で、使っているあなたの力ではない」と思っていた。
今も思わないことはない。
でも、むかしとはちょっと考えることも変わっている。
確かに歌い手の力なんだ。
けれど、歌い手と、演者と、そして、客席、すべてが相まった「その瞬間」だからこそ、その空気が出来るんだ。
と、この歌をはじめとするいろんな歌を使った舞台に思い感じたりしている。
花、花束、花ってなんだ、愛。愛?
花というと旅芝居には付きもののあれも浮かぶ訳で、
いやあれは旅芝居というか、旅芝居だけじゃなく、
生きるということには付きものである。
そんな切っても切れない直接的な花はもちろん、
それだけじゃなく、でもそれも含めての、花、花束、愛。「本当」。
ってなことを考えていて、なんだか、じんともした。
踊れてなくても。踊れないけど。
だから特に好きとは言えないけれど。
芝居小屋で、いや「劇場」という場所で聴くもとい観るには観ると、ああ、うん、ええな、ええね。いや、やっぱり、曲の大きさかな。愛って大きいね。
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構成作家/ライター/エッセイスト、
momoこと中村桃子(桃花舞台)と申します。
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