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【日記】自分のためでも、立派な仕事。

誰かに必要とされたい、という気持ちがある。
この気持ちが大きすぎることをわたしはずっと隠していた。なんだか格好悪いというか、幼い気持ちのような気がして、恥ずかしかったから。自分の本当の気持ちや欲求に蓋をして、見て見ぬふり。本当にわたしはわたしに酷いことばかりしていたな、と思う。

この欲求を、受け入れるにはどうしたらよいのだろう。

誰かに必要とされたい、
この気持ちが大きすぎるが故に、周りの人に曲がった愛情を注いでしまう。無理をしているつもりはなくて。ただ、好きなあなたの役に立ちたい、必要とされたい。それができたらわたしは満足、とその気持ちで人と関わってしまう。

好きが強ければ強いほど、制御ができない。奉仕の精神が強くなる。これは「愛」だ。これが「愛」だ。そう思っていた。でも今までしていたそれは愛情ではなかったかもしれない、と今は思っている。好きだから、と自分なりの愛情表現でしていた行動の、その先のゴールが、「自分の欲求を満たすこと」だったから。このゴールは「あなた」でないと愛とは言えない気がする。

わたしの人間関係はゴールが「自分」に向いていた。だから恋愛でもたくさん失敗した。同じようには返せない、幸せにできないと言われたことが何度かある。期待していたわけでも、こうしてああしてと言ったつもりもないけれど、負担を感じさせていたのは事実。もちろん、それだけが原因じゃないけど、「合わない」と思ったのは当たり前だよなって思う。好きになった人が素直な人でそう言ってくれて、気付かせてくれて、ありがとうって思う。

それでも、この欲求は消えない。

でももう、誰かを傷つけたくないし、自分も傷つきたくない。だから、友達とか家族とか、恋人とか、自分の愛する人たちにこの欲求を受け止めてもらおうとすることは辞めよう。

誰かに必要とされたい、
この誰かは誰でもいいわけではない。だけど、「仕事」であればどうだろう。仕事であれば、この欲求のゴールの先が自分であってもよいかもしれない。

幼い頃から聞いていた言葉がある。

役に立つ人になろう。
仕事なんだから辛くて当たり前。
仕事は誰かのためにするもの。

人生の先輩たちから掛けられたこれらの言葉にずっと違和感を感じていた。自己犠牲の精神は窮屈だ。わたしにとっては自由じゃない。

自分のために、仕事をする。そしてそれがどこかで誰かのためになっていればいい。一生懸命に行うことはきっといつか誰かの力になっている。それでいいし、それがいいとわたしは思う。

自分のために、する仕事。
それは、自分にとっての特別な場所をつくること。特別なんだけれど、自然で素直な場所。たくさんの好きなものに囲まれている空間。
そんな空間で
美味しい、いい香り、かわいい、落ち着く、ってとにかくたくさん感じる。
感じてその時間を楽しむ。ご飯を作ること、珈琲を淹れること、お皿を選ぶこと、曲をかけること。

自分のために行うこと。好きで楽しくて続けたいから、その仕事を毎日続ける。

いつの日か、
あなたの作るご飯が食べたい。あなたの淹れる珈琲が飲みたい。あなたの選ぶものが好き。あなたと話したい。とひとりずつ、増えていく。いつの間にか誰かのためになっていて、誰かにとっての必要な空間になっていく。特別な場所になっていく。

そんな人に囲まれてみたい。自分には無理だ、と思っていた誰かにとっての必要な人になってみたい。だからわたしは、特別な場所を創ることを仕事にしようと思う。しあわせになるために、諦めない。


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