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【日記】今日、人生が始まった。

こんにちは。
前回の記事で「わたしらしい幸せな生き方をするぞ!」と覚悟を決めてから約一週間が経ちました。

この覚悟を決めるまでの約1か月間。先月の12月のある出会いから、これまでの人生がひっくり返るような考え方、価値観にたくさん出会いました。2023年2月1日の今日から生きている心地を感じながら「わたしらしい時間」を歩み始めます。今日は第二の誕生日という気持ち!

これまでnoteを読んでくださった方や、コメントをくださった方、たまたま記事を見てくださった方、そして何よりも自分自身に向けて決意表明をするという意味で、文章を綴りたいと思います。未来の自分や誰かの背中を優しくさすることのできる記事になればいいな。

▼目次


1.がむしゃらに働き続けた

7年前。前職は教員。一年目からかなりきつい職場環境でした。大学を出たばかりで、教育の「き」の字も分からないような新米教員(私)の目の前には、前年度に学級崩壊を経験している中学年の子供たち。ベテランの教員と同じ土俵で、同じだけの仕事量と責任感を引き受けなければならない状況。高級住宅街の中に位置する学校には質の高い教育を求める保護者。そして、時間と気持ちの余裕がないためかきつく当たってくる先輩たち…。

中学生の頃から「将来は先生になろうかな…」と思っていた私の目の前には、そんな「将来」が広がっていました。

食事や睡眠、遊ぶ時間も惜しんで、とにかく一生懸命に働くことを頑張りました。「子供たちにとって『出会ってよかった先生』って思ってもらいたい」「毎日ちゃんと授業しなくちゃ」

そんな気持ちが先行していた上に、指導力や授業力はまだまだ未熟だったため、なかなか思うような教育活動はできませんでした。

今振り返って一番印象に残っている風景。それは、修了式を迎えた後の職員室の画です。あのときの先生方の驚いた顔。その目線の先にいる私は、子供のようにむせ返るほど大号泣をしていました。自分の意志とは無関係に泣いたのはあれが初めてだったと思います。

無事に一年を生き抜くことができてほっとする気持ちと、苦しくても逃れられずに耐え続けた辛さとが涙となって溢れていたのだと思います。毎日子供たちとエネルギッシュでドラマチックな日々を過ごしていたのに、本当に何一つ、記憶にないので相当辛かったのだと思います。(恐怖)

社会人2年目を迎える3月末。「こんなに辛いことは続けられない…」「自分には素質がないんじゃないか」と思った私は、教員を続けるかどうか悩んでいました。


2.本当の自分を探し続けた

教員という仕事について悩んでいました。大学生の頃から喫茶店やカフェの空間が大好きで、「スーツを着てOLをする自分が想像できない」「いつか自分のお店を持ちたい」と思っていた私は、「飲食店で修業をしよう!」と思い立ち、いくつか面接を受けにいきました。

自分の好きなことができるなんて、とワクワクしました。でも、その気持ちを上回るくらいに心配なことがありました。それは「お金」です。

社会人一年目を終えた当時の私は、欲しい物は買えるくらいの収入がありました。蓄えをする気もなく、お金の知識も全くなかったからこそですが、金銭面は不自由なく生活をしていたように思います。

そのため、これまでの毎月の支出額と飲食店で働いた場合の収入額を比較したとき…「無理だ」「生きていけない」「そこまでして飲食店をやりたいのだろうか?」と思ってしまったんです。

大学生の頃から通い詰めた大好きなカフェで働くというキラキラした日常が、生き方が、すぐ目の前にあったにもかかわらず、私は「お金」「安定」「可能性」「親孝行」を理由にしてまた教員の世界へ戻ることに決めました。ここから約6年間、同じことで悩み、そして体も心も崩れていくことも知らずに…。

もちろん教員は「やりがい」のある仕事でした。子供たちに教わることはたくさんあったし、ドラマを見ているかのような瞬間にも出会いました。40人近い集団がただの集団から「チーム」へと変化していく一体感や、一人一人の成長を親でもない私が身近で感じられる経験はとても素晴らしいものでした。だから続けられたのだと思います。

それでも、いつも脳裏には「辞めたい」という文字が浮かんでいました。どうしてか、その当時はよく分かりませんでした。「仕事は辛いものなんだから逃げてはだめ」「いつか慣れたら楽になる」毎日のようにそう思っていました。

5年前の教員3年目の頃には、自宅に戻って眠る気力がなくなり、帰宅途中のスーパーの駐車場で寝落ち…自宅の駐車場で寝落ち…そんな日が増えるようになりました。職場環境も決して良いものとは言えず、お局先生にいびられたり、先輩の愚痴を延々と聞く飲み会に参加しないといけなかったり。

辛さを分かち合える同期はいましたが、それは気休めでしかありません。他人の気持ちを優先し、誰かのために動く自分、選択を放棄することがクセになっている人間ができあがっていました。

そこから2年間なんとか継ぎ接ぎの毎日を送っていました。が、教員5年目のある日、2日連続で朝起きれなくなってからメンタルクリニックに通うことになりました。電池がなくなるまで動いたロボットみたいです。

そしてこのロボットは、2021年6月から2022年6月まで約1年間、どこかで失くした「自分軸で選択できる力」「自分を信じる力」を探し続けることになりました。


3.あたらしい「ヒト・モノ・コト」との出会い

2022年6月。自宅で療養して元気が十分に回復した私は、今まで住んだことのない土地へ引っ越しました。環境が変われば、新しい自分になれるはずだと思ったからです。

しかし、ただ住む場所や職場を変えただけで、「自分軸で選択できる力」や「自分を信じる力」が手に入るわけがありません。なかなかうまくいかない日々が続きました。こんなに自己分析もして、教育の勉強もしているはずなのに「教員の私」では健康的に生活できないのか…と虚しくなりました。

前向きに、楽しくいたい。そうなるためには、また一つ選択しないといけない。今の不自然で自分に嘘をついている状態を変えたいなら、次に進まないと。

2022年も終わる頃、とにかく「変わりたい」私は新しい出会いを探していました。そう願って行動しているとチャンスがたくさん見つかりました。

たくさん本を読みました。著者に語り掛けてもらっている気分で。いろんな場所に行きました。いろんな職業の人と話をしました。そして、自分のこれまでの人生観や仕事観が、とても偏っていたことに気付きました。

働き方を変えよう。
自分の好きな人と、好きな場所で仕事ができるようになろう。
自分に正直に自由に楽しく生きよう。
生き方を変えよう。


ようやく思い描いていた「新しい自分」と出会うことができました。長かったです。すごい忍耐力だと思います。でも、「自分にとっての幸せ」がどんな状態かが分かって、すごく生きているって感じがします。


4.今日から

これから3年後には夢を叶えている私がいます。50歳になったらゆっくりカフェを営んで、穏やかに暮らしたいな~っていう夢を、すでに叶えているはず。結婚をして、出産をして、子育てを終えてたら叶えたいな、叶ってたらいいな~って思い描いていた、願っていても叶うはずのなかった夢を、実現させたいと思います。

他人から見たら遠回りかもしれないし、今から??と思うかもしれません。でも、私の人生です。私の命だし、私の時間です。失敗しても、自分で選んだ結果だから後悔はしません。

大切な人を大切にできる私になるために。いつ見ても、いつ会っても「なんか楽しそうだね」って思われるような生き方をしていきたい。


人生をかけた挑戦なんて初めてです。諦めないで楽しむ。教員を経験したからこそできることがきっとある。


読んでくださって本当にありがとうございます。もし最後まで読んでくださった方がいたら、ぜひ、いいねで教えていただきたいです。


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