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森の奥の孔雀


あなたのものさし
私のものさし

私達はそれぞれのものさしを、いったい
いつから持っているのでしょうね。

言葉や誰か、世界の全て
1番最初の命から
それはあったのかもしれません。

人間が何かに、価値を見出すこと。
どうしたって切り離せない
少し切ない宿命です。

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「ジャングルの中でおどるクジャクのダンス、誰が見た?」

これはヒンディー語のことわざです。

孔雀が、美しいその羽を広げ
森の奥深く、たった1羽で踊る踊りを
目にする者はいるでしょうか?

それはもしかしたら、太古の木、
こだまの映る水面、記憶が眠り込んだ土、
旅を終えた種子かもしれません。

そのどれもが、ものさしを持ちません。
(美しさの概念とは感情について歩きます。)

ならば、孔雀の踊りを
誰もがものさしで測らなければ
それに価値は生まれないのでしょうか?

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それは、日の差さない静かな湖畔や
誰も知らない風の遊ぶ花畑
足跡の1つも無い海辺、朝露の最後の1滴

誰のものさしにも測られていないものが
孔雀の踊りの他にも、山ほどあります。

美しさ、という私達の約束。
その外にある大きすぎる世界に
価値が無いとは、私にはとても思えないのです。

感情を持つ生き物は、ものさしで測り
そして測られて生きています。

そこへ地獄が生まれるのも
必然でしょうね。

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「地獄とは他人である。」

これはジャン=ポール・サルトルの
「出口なし」と言う戯曲に出てくる言葉です。

他人の目、ものさしで推し量られ続ける
人間の地獄を表しています。

地獄に落ちて小部屋に閉じ込められた
3人の人間は、その扉が開いても
外へ逃げようとしないのです。

それは未知、他者を感じられない空間。
私達はどんなに切なくとも、ものさしなしでは
生きられないのかもしれませんね。

しかし、あなたを素晴らしい人だと
私が感じるのも、私のものさしのおかげ。
使い様によっては、そう悪いものでもありません。

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私達はきっと、外へ行きましょうね。

ものさしを果てしなくのばしては、
開いた扉に優しく挨拶をするのです。

私達が作り上げた頑固な約束を
足掛かりにして、乗り越えようと
試みる時に触れる風
そして、探究心の夜明けに

私達は永遠の豊かさをしまい込むのです。

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