文明と地図を考える その7
今回は、古代ローマ時代のプトレマイオス図のお話(続き)です。
前回、プトレマイオス図の地中海付近が、思いのほか正確ではないことについて取り上げました。
改めて、プトレマイオス図と現代の地図を比較してみます。
やはり見た感じ、プトレマイオス図はかなり南北方向がつぶれているように見えます。
正確性を重んじているはずのプトレマイオス図で、なぜこのようなことが起こるのか…。
これを考えるために、ちょっと話は戻りますが、エラトステネスはどのように地球の全周を測定したか思い出してみましょう。
エラトステネスは、アレクサンドリアと、ナイル川をさかのぼったシエネで、太陽が作る影が異なることを応用して地球の大きさを求めました。
画像は、「数学の面白い事をまとめたサイト」様からご厚意で提供いただきました。
ここで注目すべきことは、「太陽の作る影(=太陽に向かう角度)を使って計算をしている」ということです。
つまり、この方法の場合、太陽に向かう角度が異なる南北方向の距離は計算ができますが、角度が同じ東西報告については距離の計算はできません。
つまり、東京と宇都宮の距離は計算できますが、東京と甲府の距離を計算するのは難しい、ということになります。
計算ができないとなると、東西方向の距離はどのように測っていたのか…。
実は、「測っていない」というのが正解です。
東西方向の距離については、既存の地理書や旅行記などを参考にしていたようです。
しかし、これらの情報は筆者の主観をもとにした距離です。
人間は、初めて行く場所は着くまでの時間を長く感じるという説があります(皆さんも経験がおありでは…)。
ちなみに、理由としては、
・初めて行く場所は、新しく覚えるべき情報量が多いため時間を長く感じる
・最初に訪れる時には、時間を過小に見積もりがちである
(思ったより長くかかっている=長く感じる)
・一度訪れた経験がある場所は、空間として広く認識する傾向がある
(広く感じる場所を同じ時間で移動する=帰りの方が時間を短く感じる)
というものもあります。
色々な説が真面目に研究されていることから、実際にそう感じる人は少なくないようです…。
話を地図に戻します。
当時も、未知の世界への行程は実際の距離よりも長く感じたことでしょう。
そして、その過程の記録は、「距離を長く感じる」心理効果の影響を受けている可能性が高いですね。
それを参考にした地図は…東西方向に長くなっても不思議はありません。
しかしこれでは、地図全体が東西方向に長い説明にはなりますが、地中海が東西方向に詰まってしまう説明にはなりません。
なぜなら、地中海は古代ローマ帝国の「庭」であり、「初めて行く場所」にはあたらないからです。
では、なぜエラトステネスの時代から退化してしまったのか…。
それは、プトレマイオスのひとつのミスが関係しています。
実は、プトレマイオスは、エラトステネスの地球全周の測定値を信用せず、セイドニオスという学者の測定値を用いました。
エラトステネスの地球全周の測定値は25万スタディア、一方セイドニオスは18万スタディア。実に30%近く短くなっています。
つまり、プトレマイオス図は、地中海について、
・東西の距離は感覚的なものなので変更せず
・南北の距離だけを科学的な誤りとして30%近く縮めて
しまっているのです。
これは、科学的な測定を重んじたが採用する説がそもそも誤りという、科学偏重の落とし穴にはまってしまったパターンですね。
また、今回の場合は描く材料の半分(東西方向の距離)を非科学的な感覚に頼っている、ということも、間違いの大きさに拍車をかけています。
この話をプトレマイオスが知ったら、「おいおい、セイドニオス、マジかよ勘弁してくれよ!」という、偉大な学者の愚痴が聞けそうですね(笑)
プトレマイオスはエジプトの王族(プトレマイオス朝)出身説もあるので、そうだとすればそんなお下品(?)な言い方はしないかもしれませんが…。
ちなみに、さらに地中海を細かく見てみると、イタリア半島がかぎ状に湾曲していることがわかります。
本物のイタリア半島に比べて、ずいぶん北側に曲がっています。
これは、ローマやアレクサンドリアの緯度は既に正確に測定されていたことが関係しています。
つまり、
・南北の幅は30%近く短くなった
・ローマとアレクサンドリアの緯度は既に測定されている
ため、ローマの位置を無理やり北側にずらした結果であると考えられます。
理論的な整合性・合理性を重んじる古代ギリシャ人らしい発想の描き方…と言えるのではないでしょうか。
少し長くなってしまいましたので、残りの部分については次の記事にしたいと思います。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
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