読書日記・キレイにさっぱりと(5月20日~5月26日)
5月20日(月)
『水車小屋のネネ』を読み終わる。この本にある「助け合い支え合う」ことって素晴らしいことだとは思っていた。けれど実際にやってみようとすると、とたんに難しく感じてしまう。よかれと思って手を差し伸べようとしても、相手が迷惑だったらどうしよう?とか考えて、手を差し伸べることを躊躇しちゃう、例のアレが発動して身動きが取れなくなる(例の何?)。
しかしこの本を読んで「助け合い支え合う」を複雑に考えすぎてたと気づいた。自分にできることをしてみる。単純だけど、それでよかったのかもしれないんですよ、ええ本当に。時にはそれが迷惑になるかもしれない。でもやってみないとわからないんですよ、迷惑かどうかなんてね、うん。
「助け合い支え合う」を高尚なものとしてとらえすぎてた。もっとシンプルに、自分ができることはなんだろうなって考えてみるだけでもよかったのかもしれない。知らんけど。
5月21日(火)
『休むヒント。』を読む。お子さんが小さなころから、仕事、家事、子育てを一手に引き受けていたという古賀及子さん。「自分の時間を休む」というタイトルでつづられる古賀さんの「休むヒント」は、文字通り「自分の時間を休む」ことだった。
日々の中で「やらなければいけないこと」と「やりたいこと」がせめぎ合っていて、どうにかこうにか時間を駆使して両方をこなしたい!!と、強く思い続けてきたけれど、そのある種の欲張る気持ちが、自分の体、そして心を疲弊させているのかもしれない、と気づいた。
「目の前にあることだけをただ、やればいい」という古賀さんの言葉が、私の中にあった欲張りな気持ちを解放してくれたような気がして、なんだかホッとした。古賀さん、ありがとう。
5月22日(水)
犬の通院日。相変わらず病院ではおとなしい犬。帰宅すると、とたんに元気になって私に向かってギャンギャンと吠え(おそらく病院へ連れて行ったことへの苦情と思われる)、しかし私を相手にするのも面倒くさいと気づいたようで、さっさと寝床へむかう犬の後ろ姿をながめる。今日もいい尻をしている(犬のお尻大好き)。
5月23日(木)
日記を書くのが上手な人たちって、日々の生活でも周りと見ているものが違うなぁと思うことが多い。ささいな物事でも、それをうまくキャッチできる能力が高いというか、何かに気づくアンテナがバシバシ立っている状態というか。
つねにボーっと生活している私も、もっと様々なことをキャッチできる人になりたいなと思う。まずはアンテナだ。頭にアンテナを立てよう。そして「父さん、妖気を感じます」とか言おう(何のために)。
5月24日(金)
綿矢りささんの『パッキパキ北京』を読み始める。初っ端から心つかまれる文章。
自分は「楽しみを見つけるのが上手い」と知っている主人公の菖蒲がすごい。楽しみを見つけられる能力もいいんだけど、端的に自分を表現していく菖蒲がとてもよかった。
5月25日(土)
『パッキパキ北京』を読み終わる。
北京に赴任してきた同僚に、任期途中で帰国命令を下さなければならず、それが心理負担となっている夫。そんな夫に対して菖蒲は、役に立たない人は送り返すのが当然だ、と話す。
夫は、結果が出なくてもがんばって仕事をしてきた人を、送り返さなければならないのがつらいと話すのだけど、菖蒲は意味が分からないと口にする。
どんなに悩んで心を痛めたとしても、どっちにしても部下を送り返さなければいけないのであれば、悩んだりせずにさっさとやってしまえばいいのに、と思っている菖蒲の潔さったらないんだけど、こんな風に割り切れると人生はラクなのだろうか?という疑問も、同時に抱いてしまった私は考えすぎな人。
5月26日(日)
三宅香帆さんの『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を、ようやく購入した。帯にある「疲れてスマホばかり見てしまうあなたへ」の文字が刺さる。
疲れていると心に余裕がなくなるんだけど、その余裕のなさは読書にとって致命的だといつも思う。余裕がないと本がまったく読めなくなるので、本が読めないと「あ、いまの私は余裕がないんだな」と知ることができる。一種のバロメーターとして使用が可能です、ぜひご活用ください。
現代人は本を読まなくなったというけれど、みんなとっても疲れてるから本を読めなくなっているのかもなぁ、なんてことを考えていた。金銭的な余裕のなさで本が買えないから本を読まない、という話も聞いたことがあるけれど、金銭的な余裕のなさと同じように、精神的な余裕も、キレイにさっぱりとなくなっているのかもしれないな。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?