存在意義なんて考え出したらキリがない

自分の中でnoteは「盛大な独り言の場」だと思うようにしている。「思うようにしている」と書いたのは、心の中でnoteはビジネスの場所という認識が抜けないからなんだけど、記事を売ることができるシステムになっている以上、そのあたりの認識は消えることがないのかもしれない。


ちきりんさんの『ゆるく考えよう』を読み返していて、

ニートのもともとの意味は、「仕事も勉強も職業訓練もしていない状態」ということですが、その前提には「仕事と勉強と訓練にしか価値がない」という考えがあります。この考えこそ問題ではないでしょうか。世界の全員がたった3つのことにしか価値を認めないなんて、ちょっと怖いです。

『ゆるく考えよう』より引用

と書いてあって、本当にその通りだよね、と改めて思った。再読するたびに「まったくその通り」と思っている気がする。

しかし、本を読んでしばらくすると、「もっと稼がないとダメかも」とか「もっと新しいことを学ばないとダメかも」と思い始める。どうしてそんな風に思うのかと言えば、自分の中で稼ぐ人や学んでいる人だけが、人生の正解だと思っているから。そしてそんな風に解釈しているから、稼げてない自分、勉強できていない自分を振り返り、自分で自分の首をもっとしめようとしてしまう。何やってんだい一体。

多くの人がニートであるのはダメだと思っているはずで、しかしちきりんさんの言うように、誰にも迷惑をかけていないならニートでいたっていいし、仕事や勉強がこの世の正解ってわけじゃない。

この世の正解だと思ってしまうのは、多くの人が正解だと思っているだろうと自分が判断しているからであり、また「勉強しないなんてダメ!!」と声高に言う人には言う人の事情が存在する(たとえば勉強するとこんなに良いことがあるよ!みたいな商材を売っているとか)場合があるわけで、これをしないとダメですよ!という人の意見は、聞く必要があるのだろうか?と疑う気持ちも強まっている。

しかし私はまだまだ声の大きい人、多数派の意見などに左右されやすいので、自分が本当にやりたいなら別だけど、流されて物事を決めるのはやめたいなと思う。思ってばかりで行動にうつせないのが、一番の問題なんだけどもね。

誰にも迷惑をかけていないなら、全く有意義なことをしない人生も選択肢として認められるべきでしょう。「有意義に生きたい人」は、自分だけ有意義に生きてください。他人にそれを押しつける必要はありません。他の人に、「有意義に生きていない人は存在意義がない、社会的に無駄である」とかいうのはやめてほしいものです。

『ゆるく考えよう』より引用

まったくおっしゃる通りでごわす。

そんな最近の読書は『窓辺の愛書家』

ようやく読み終わった。

『見知らぬ人』のシリーズということだったけど、単体でもなんの問題もなかった。

登場人物4人が交互に語り手になっているのが原因か、単に私の気分の問題なのか、とにかく読むのに時間がかかった。

そして肝心の、事件の真相にはまったく気づきもせず、犯人は誰?全員??みたいな気持ちで読み進めてたのに、ラストで犯人が明かされても「え?何でこの人??」という気持ちでただただ呆然としてしまった。心ここに在らずの読書をしてたんでしょうね。いけませんね。

このシリーズは3作目もどうやらあるらしいので、また日本でも発売されたら読みたいところ。今度は心ここに在らずではなくて、しっかり目を見開いて読み進めたい。目を見開いたら目が乾くから、ほどほどに目を開きつつで。

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