読書日記・そんなシンプルさがいい
11月26日(火)
柿内正午さんの『プルーストを読む生活』を読み返しながら、私が書きたい読書日記の方向性が定まってきたような気がして嬉しくなる。柿内さんが「役に立つことが書きたいわけじゃない」みたいなことを日記に書かれていて、私もまったく同じ気持ちなのにもかかわらず、それと同時に「役に立つことを書かないといけない」という気持ちが発生していたことに気がついた。
役に立つことを書いて、誰かに喜んでもらえたらとても嬉しいのはわかる。しかしだからといって、是が非でも「役に立つことを書かないとダメだ
!!!と思ってしまったら、文章を書くこと自体が苦しくなるだけだし、文章を書くことを続けようとは思えなくなるよね。
本も読みたいから読む。そんなシンプルさがいい。読まないとダメだ!!!という気持ちになれば、読書がどんどん嫌なものになるから。「○○しないとダメ」という思考を手放したい。
11月27日(水)
タイトルに惹かれて『学力は「ごめんなさい」にあらわれる』を読む。自分の名前を丁寧に書く人は、集中して物事に取り組む姿勢を持っていると本に書いてあってビックリした。息子の字は破壊的に汚い。これはマズイ!!という危機感をつのらせる。
字を丁寧に書く習慣がない子が、丁寧な字を書くようになるには時間がかかるらしい。「物事に接するときは細心の注意をはらうべき」という価値観を与えて、生活面の見直しをするところから始めないと、字を丁寧に書くことにつながらないんだとか・・。息子が集中する子になるための道のりが長すぎて気が遠くなりそう。
11月28日(木)
『学力は「ごめんなさい」にあらわれる』を読んで、親が子どもに対して感情をぶつけていると、子どもは物事の区別をつけることができないと知る。行動を起こす判断基準が「親の感情」だけになり、自分のあやまちも振り返らなくなるらしい。
ということで、感情をぶつけないようにしよう!と決めたこの日、息子の分からず屋が発動して息子に思いっきり感情をぶつけてしまった。あーもうーお母さん、感情をぶつけたらダメだって言ったでしょ?(すみません)
ギャースカ文句を言う子どもに対して、感情的にならずに言葉を選んで根気よくふるまいを教えていくなんてことが本当にできるのだろうか。理想の自分(良き母)と、現実の自分(鼻水たらしたおばさん)とのギャップに自分で疲れるー。
11月29日(金)
『積ん読の本』をパラパラとする。柴崎友香さんが「積読は自分の家にある図書館」みたいな話をされていて、おぉ!!となる。
積読はしないほうがいいとわかっていても、買う量と読める量の比率はいつだって前者のほうが多くなるし、だから積読しちゃうんだけど、積読してしまう自分を責めることだってあった過去の自分に言ってやりたい。「積読してもええんやで、それは自分にとっての図書館なんやで」と。
積読することをおそれて、本の購入を見送ることもあったんだけど、これからはもっと本を買っちゃうぞ!!という勢いを得た。ありがとう!!柴崎さん!!!!!