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読書日記・単なる迷惑な人

4月24日(月)

土門蘭さんがnoteに日記を書かれていると知り、急いでマガジンを購入した。私が知らなかっただけで、土門さんは以前からネット上で日記を書かれていたらしい。毎日ネット上で日記を何年も継続して書くというのは、神業に等しいと私は思っている。土門さんは神業の人なんだな。そして土門さんの日記に『死ぬまで生きる日記』のその後のような話もあったので、勝手に嬉しくなる。

読んでいたのは、金原ひとみさんの『パリの砂漠、東京の蜃気楼』

出口の見えない閉塞した世界を生きる金原さんの文章に、すっかり魅せられていて、こんな文章を読んでしまったら自分で文章を書くなんてアホみたいに思えてくるなぁと思いながら、この記事を書いている。

大人になっても仕事をしても親になってもこんなに寂しいなんて思わなかった。こんなにも癒されたくて、こんなにも誰かを求めてしまうなんて思わなかった。

『パリの砂漠、東京の蜃気楼』より引用

大人になったらあらゆることが解決するんだと、私は子どものころからずっと思っていた。子どもながらに感じる生きづらさを抱えていたからで、しかし大人になった今、子どものころよりも明らかに生きやすくなっているとは思うものの、根っこにはしっかりと寂しいという思いが居座っている。大人になったから問題が解決するのではなく、大人になって何らかの処世術のようなものを学んでいるから、子どものころよりも生きがしやすく感じているだけかもしれない。

そんな息のしやすさを、金原さんの文章からはまったく感じ取れないのだけど、だからこそこんなに心を翻弄される文章が出来上がるのかもしれず、それは当人にとっては生きにくさなのかもしれないのに、読み手の私にとってはこの文章のおかげで気づけること、救われることがあるからありがたいなぁと思った。一見すると病みそうな文章だけど、その病みそうになる部分も含めて最高だった。


4月25日(火)

最初に娘が風邪を引き、しかし翌日には治ったので不思議だなと思っていたら息子が風邪を引いた。これは単に移っただけか、と思っていたら私の喉もやられていて、人に移せば風邪ってやつはすぐに治るんだね、と思って一週間。現在も風邪が治っていないのは私だけ。人に移せばすぐに治るかもしれない風邪だけど、誰にも移ることができなければ私の体内で暴れるしかない。いつものことだけど、夫にはこの風邪が移らない。というか、夫はそもそも風邪を引かない。20年前に一度だけインフルエンザになったのを見たことがあるけれど、夫の不調を見たのはそれが最初で最後だった。健康体なのか、それとも何とかは風邪を引かないというアレなのか??後者が優勢の予感。

読んでいたのは、樋口裕一さんの『「頭がいい」の正体は読解力』

自分の読解力の無さをどうにかしたくて手に取ってみた本。そしてこの本には文章力についても言及されていて、私の欲しいものがすべて詰まっている一冊だった。

読解力にしても文章力にしても、とにかく本を読んで文章を書くことをしないとダメだと知る。文章術の本を読むと、文章を書く前に気をつけたいことなどが書かれていたりするけれど、そういうことの前にまず文章を書いてみなければ、自分の文章のおかしな点にも気づくことができない。そんな話があって、なるほどと思う。できれば失敗したくない。だから最初に学んで実践したくなる。しかし本当に必要なのは、まずとにかくやってみること。やってみなければ自分の何に問題があるのかわからない。わからなければ直しようもないもんね。

そして私の心に刺さったのが「きれいごとは書かない」という話。嫌われたくない思いが爆発している私は八方美人な文章になりがち。その八方美人な文章だと、何が言いたいのかわからないものに仕上がるため好ましくないそうだ。たしかに「AとBのどっちがいい?」みたいな話になると、決め切らないので「じゃあYはどう??」などと言って場を和まそうとして逆にグチャグチャに引っ掻き回すところが私にはある。単なる迷惑な人。そういう自分も変えていかなきゃいけないのかもしれないな。

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