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24歳人生学び直し中

学びを疎かにした10代

幼少期、父に習い事をしたいとせがんだ。
「習いに行かなくてもやるやつはやる。」の一言で一掃されてしまった。
小学校を卒業する頃には家庭崩壊があり、中学生の時は学業や勉強を疎かにし、学校にも同級生とも馴染めずに不登校気味で、保健室で寝ているか図書室で本を読んでいるだけでした。
高校は夜間高校に入学し、学校とアルバイト先との往復の毎日で勉強を意識することは全くと言ってほしいほどありませんでした。

家族関係も、家の中も文字通りすべてがぐちゃぐちゃでした。

↓めちゃくちゃになった経緯はこちら↓

高校生活はアルバイト有りきで、高校卒業の資格だけを目的に、ぎりぎりの単位で通っていたし、正直学校が大嫌いでしょうがありませんでした。

何よりも当時の私はとても捻くれていたので、同級生や後輩とが声をかけてくれても、先生が心配してくれても、食事に連れて行ってくれても、ドライブに連れて行って気分転換を促して考えすぎないようにと言ってくれていたのに、全てに煩わしさと、自分にない物をねだった嫉妬の感情が入り混じった感情が先行していました。

中学生も最後の頃父に、「普通になりたい。」「父と祖母と、また3人で買い物に行きたい、仲良くしてほしい。」
と、伝えて「できる限り努力する。」と、言う回答をもらえたのですが、1ヶ月も経過しないうちに父と祖母が喧嘩をし、祖母の口からは「お前らなんか息子でも孫でもない。」と言われてしまい、もう父と祖母と私での生活はできないものなんだと改めて感じました。

17歳、実家を出奔。

実家を出てみると、驚くほど自分の性格が丸くなっていました。これが一つ目の選択です。
開放的で自由な生活。学費と生活費を稼ぐ毎日でしたが、とても穏やかな生活を送れるようになりました。
休みは実家でずっとしたくてたまらなくて、やっとできるようになり趣味になった料理と読書をしていました。

19歳の時には高校の学費も払い終わりました。
その後なんやかんやあり(この辺はいつか書こうと考えています。)20歳の時に社会福祉労務士の方の力を借りて転居。
飲食店勤務の掛け持ちをし、朝から深夜まで働く生活でした。
21歳の時に自宅アパートのドアポストに爆竹を入れられて、警察騒動になりました。
そこで地元を出ようと決意。

友人の実家に1週間間借りしている間に、賃貸契約やライフラインの解約し、事情を話して職場も退職しました。
その後トランクケース一つで東京に上京してきて、東京の友人宅に1ヶ月居候させてもらいながら働き口と住む場所の確保を行いました。
(↓この辺の流れは小説に書いています。↓)

その後、期間工で働いてお金を貯めようかなと考えていた時に、面接官の方が事情を聞いてくれて、セキュリティのきちんとした賃貸を提供してくれて、派遣労働を行うことになりました。
再びのんびりした生活を送れるようになり、気がつけば23歳になっていました。

デザインの勉強

また選択の時期がやってきました。
自主的に勉強を実行してこなかった私が、半年前からwebデザインの勉強をするようになりました。
職業訓練校という制度のおかげです。
デザインとは無縁の人生だったのですが、読書と本の表紙が好きだったこともあり、自分でもデザインができたら楽しいだろうなくらいの気持ちが大きくなり、思い切って職場を退職し、webデザイナー養成科の職業訓練校に応募させていただきました。
無事に合格し、勉強を開始してみると思った以上に授業が楽しく、新しいことを覚えていくわくわく感でデザインをしていると時間を忘れることも多くなりました。
好きなことがまた一つ増えて幸せを感じています。

 自分で企画書を作成し、企画書を元に制作したwebサイトのカンプ


授業で作成したバナー

まとめ


半年間の職業訓練校で、デザインソフトと、コーディングができるようになりました。私の中ではとても大きな進歩で、【あの選択をしたから】と言えるでしょう。環境を変えることはとても怖いことですし、実際に大失敗をすることも多くあります。選択を放棄した未来が現在だとしたら、まだ実家にいたのか、別の人生を送っていたのかもわかりませんが、私は今の生活にとても充実感を感じていて、これからも幸せを積み重ねて行きたいと改めて感じました。幼少期は選択肢が多くは無い人生だったんだと思いますが、過去を昇華できるようになり、現在は自分自身で人生を豊かにしようと考えられるようになったことが、今年24歳になった人間の学びです。

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