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毒)親離れ。

家族なんだから。という言葉の縛り。

「家族なんだからなんとかしてあげたら?」
と、中学を卒業するまでに親戚、近所の住人、学校の先生などなど、いろいろな人に何度も、耳にタコができるほど言われた。
10歳から15歳の子供に、家庭環境を変えられるような、革新的なことができるのか。
高校に進学せず、中学卒業と同時に働きに出て、帰ったら家の片付けと家事をすればいいのか、私の人生を捧げればいいのか。借金を作るだけ作り、借金を父に押し付けても尚、労働の意欲や責任を感じない人間の価値観を変えられるわけがない。

触らぬ神に祟りなし。


物心が着く頃には父は家にいないことが当たり前な人で、たまに帰ってくると、祖母と怒声と罵声を浴びせ合い、収まらない怒りを家の壁だったり、物だったりにぶつけていたので、家はボロボロ、壁には穴が開いていた。
父が窓ガラスを割っても、お金がないからか、また割るから意味がないと判断したのか、新しいガラスがはまることはなく、ダンボールで補強されていた。
あまりにも怒声と罵声が収まらない時は、子供心に私が止めなければいけないと思っていたので、聞き耳を立てていたりもしたが、片方が怒りの収まりが悪い時に近くにいると、私も怒声と罵声を浴びせらたり、自分の正当性を延々と聞かされ、正解の答えを言えないと、威圧されたり、お前は馬鹿だからわからない。と、呆れられることが怖くなり、年齢を重ねるにつれ、触らぬ神に祟りなし。と、イヤホンをして大音量で音楽を聞いて布団をかぶって関わることを避けるようになっていた。

言葉の意味

「家族なんだから。」と、いう言葉は、子供にどうしろこうしろ。と、言う意味ではなく、その瞬間に目についた私が、時間を持て余したおばさん達の井戸端会議の話題には丁度よく、自分たちが上から物を申せる絶好の機会を与えるような家庭だっただけの話だ。
家の騒音、怒声罵声、異臭、家に住み着いた猫が近所の人の家に糞をすれば、父や祖母ではなく、言いやすい私に言いにくる。

ゴミ屋敷

家の中は荒れ果てていて、足の踏み場も無く、燃えるゴミ、燃えないゴミ、空き瓶、空き缶、動物の糞尿もなんでも散乱していた。
母屋に入る時には、土足で入らなければいけない。素足で入れば精神衛生を保てなくなる。
そんな環境に慣れていたせいで、ゴミの臭いや糞尿の臭いに鈍感になり、ゴミや糞尿が散乱していても、土足であれば家の中を歩けた。

小学生の高学年から実家を出るまで、生活のほぼ全てを母屋の外にあるプレハブ小屋で完結させていた。
水を飲んだり、お風呂に入ったりするには母屋に入らなければいけなかったが、それ以外は実家で唯一鍵が付いているプレハブ小屋で過ごしていれば概ね安全だった。
概ね。というのは、尋人がくれば対応しないわけにはいかないからだ。

・祖母と怒鳴りあって、怒りの収束がつかない父が話を聞いてくれと尋ねてくる。
・祖母が怒り狂ってプレハブ小屋の扉を叩きながら怒声を浴びせに尋ねてくる。
・近所の人が異臭に耐えかねて苦情を言いに尋ねてくる。
・中学校の先生が、学校に来ないかと尋ねてくる。
色々な人の話を聞いたが、話の根底は汚い家の異臭と、家の怒声と罵声だった。
・父の怒りを解決するには、祖母が少しでも働き、借金を返す意思を見せたり、家で寝て過ごして、食事はコンビニで買う浪費癖を治し、何もしないならせめて家を片付ける必要があった。
・祖母の生活を改めるには、精神科の受診をした方が良かったのかもしれない。祖母の中のままならないものを解決すればよかったかもしれない。
・家の異臭を解決するには、住み着いてしまった猫の避妊手術をしなければいけなかった、増え続けるだけの猫の不幸を、どこかで止めなければいけなかった。
・学校の先生には諦めてほしかった。私には学校に行く意欲も気力も体力もないと、言い訳をして逃げている最中だったからだ。
猫以外は、人間だったから原因を一つ一つ紐解いていけば解決する問題だったかもしれない。
解決に向けて動かなかったのは、家族3人がそれぞれ自分が1番辛く、偉く、被害者だと思っていて、三つ巴になっていた。

変な家庭の記憶

幼少期

一番初めの違和感は、私が幼稚園児の頃。
幼稚園で熱を出した私を曽祖母に迎えに来てほしい。と、電話が入ったらしく、祖母は慌てて準備をしていたからトイレに携帯を落としたらしい。
携帯を落としたイライラで、車に乗るのに免許書を忘れ、渋滞に怒りを感じ、煽り運転で玉突き事故を起こした。
そんな状態になったのは、幼稚園で熱を出した私が悪いと、近所の人が迎えに来てくれて、寝ていたところを起こされて私が殴られた。
事故を起こした祖母は、トロトロ走ってるお前が悪い。と、運転手を怒鳴ったらしく、父が呼び出された時には地獄のような様子だったらしい。
父が曽祖母の頭を無理やり掴み、無理やり一緒に頭を下げさせたことで、息子に免じて。と、謝罪だけは受け入れてくれたようだが、玉突き事故の借金は、働いていない祖母ではなく、父が背負うことになった。
父も、家族だから。と、考えたのかは知らないが、家族であっても自己責任。という言葉はあるんじゃないかと思う。

小学生 曽祖母の死と家出。

小学5年生になるまでは、父はいなかったが曽祖母が居た。
曽祖母は耳が聞こえづらくなっていたが、コンビニで食事を買ってきてくれていた。
そんな食事も祖母が食べてしまって、曽祖母が祖母を叱りつけている様子を小学生に上がるまでに何度も目にしていた。
曽祖母が居た頃は、料理は下手だったが、作ってくれたり、コンビニで買ってきてくれたり、お金を渡すから買ってきなさい。だったりで食べれていたし、家も清潔ではないが、ゴミや糞尿で溢れかえるまでは行かず、洗濯物も清潔な匂いがしていた。
父も、曽祖母の年金を頼って私を預けていたんだと思う。

そんな曽祖母も、小学5年生に入学する前に白血病だったことが判明した。
判明するまで、ふくらはぎが痛い。と、ずっと訴えていたのだが、祖母は、気のせい。と一掃して、民間療法だと言い、小麦と酢を解いた物を曽祖母のふくらはぎに塗って、ラップで巻いていた。
これで治るんだと言っていた祖母に、今の私だったら病院に連れて行こうと言えるのだが、当時の私には良いも悪いも判断できず、なんとなく早く治りますようにと思っていた。
父が出稼ぎから帰ってきた時に、曽祖母が寝たきりになっていて、ふくらはぎが痛いんだと訴えた時に、やっと病院に行くことになった。
当然、父は祖母を怒鳴りつけた。当たり前だと思う。

そんな過程で白血病だと判明し、先が長くないことを知らされた。

祖母から、曽祖母の状態が芳しくないことを伝えられ、私が行水をすれば辛くなくなると言った。
雪国の3月の中旬は寒いのだが、父が幼少の頃には、12月、真冬に行水したのだと言われたので、曽祖母が楽になるのならという思いで何度も水を被った。
その時は祖母に褒められたことが嬉しく、曽祖母の状態が良くなると信じていたので、私はとても良いことをしたんだと誇らしかった。

水を被ったから白血病が治るわけも、進行が遅れるわけもなく、3月の下旬に曽祖母は亡くなった。86歳だったので、長生きをしたと思う。
曽祖母が亡くなったことを知らされて私もショックだったのだが、父も祖母も相当ショックだったと思う。
後から聞いた話だが、曽祖母は父に、馬鹿な娘を頼む。と三つ指をついて頼んだそうだ。
曽祖母は貯蓄をしていなかったので、父が生活を担っていくことになったのだが。

曽祖母が亡くなったことがとても寂しく、葬儀までの数日間を葬儀場の曽祖母の棺桶の横で寝泊まりをして過ごした。

葬儀後、家で漠然と過ごしていると祖母から、
「曽祖母はお前が殺した。お前のせいで曽祖母は死んだ。」
と、告げられた。
「曽祖母が分別をしていないと思って曽祖母を打ったが、犯人はお前だった。曽祖母はお前を庇っていて、曽祖母は悪くなかった。」
なにがなんだかわからず、呆然としていたが、捲し立てられるようにお前が殺したのだと言われ続けて、面倒を見てくれていた曽祖母を、お世話になっていた私が殺してしまった。と思えばいてもたってもいられなくなって、着の身着の儘家を飛び出した。
当てがあるわけもなく、なんとなくひたすら川沿いを歩いた。
5時間くらい歩き続けて「こんな時間に何をしているの?」と、男性に声をかけられた。
もう誘拐でも殺人でも受け入れようと思っていたので、家に連れていく。と言われた時も素直に横を歩いた。

案内された通り家に行くと、その男性が誘拐犯でも殺人の予定がある人でもなく、給食センターで働いている人だと知った。
その人の奥さんがお菓子と飲み物を出してくれて、少し話をした。
男性が家まで送っていくと言い、帰りたくはなかったが、こんなに良くしてくれた人に迷惑をかけ続けるのも忍びなく思ったことと、父に話してくれると言ってくれたことが嬉しくて、男性の車で帰路についた。
調べてみると、15km彷徨っていたようだった。

家に着き、男性が父に事情を説明してから帰って行った。
父に車に乗せられ、コンビニでおにぎりを一個買い与えられて、心配してくれたんだろうか。と思っていたのだが、父から
「他人に迷惑をかけるんじゃない。」
と、怒鳴られ、延々と4時間説教をされたことで、人生においての父へのなにかしらの期待をするという感情が無くなった。

中学生

中学の入学式に父は来なかった。
東日本大震災が起き、いわきに出稼ぎに言っていた父は、お世話になっている分、復興を手伝わなければいけない、始業式には行けない。
と、説明した。
当時の私も、被害は少なかったが同県に住んでいて、震度5弱の地震を経験した。父の言っていることに間違いはなく、個人的には、父の行動はとても誇らしいと思ったくらいだ。
入学式の後、物販同伴には同級生の母親に頼んでおいたから一緒に行くように。と、聞かされていたのだが、いざ同級生の元に向かおうと思うと足がすくんだ。
周りを見てみれば、親が来ていない子供なんていないんじゃないかと思うくらい大人と子供のペアで溢れかえっていて、家には寝ているだけの祖母がいるはずで、一緒に居てくれるだけでいいのにどうして来てくれないんだろう。だったり、どうして親と一緒にいないんだろう、と他の同級生に思われたり、噂されるんじゃないか、だったり、急に自分自身が勝手に惨めに思えてきたので、そそくさと帰路に着くことにした。
帰りの道中、同級生の母と子に、「お父さんは?」と、声をかけられたのをきっかけに、涙が吹き出してきて、どうしようもなく、ままならない気持ちになった。
今だったら何も気にせずに、同級生の元に行って、同級生の母にお世話になって買い物を済ませると思うのだが、当時はどうしようもないくらいにセンチメンタルな気持ちで日々を過ごしていた。
中学に入学した後から、父が出稼ぎに行くことはなくなり、家に住むようになった。
夜になると、彼女の家に行ってしまうので、あまり関わることはなかった。

臭害

いい匂いの洗剤や柔軟剤で洗濯をしても、干す場所に糞尿、ゴミがあれば異臭が付く。
私は慣れてしまっていたが、その環境にいない人からすれば異常な臭さだと思う。
同級生、親戚、近所の人から、「臭い。」「汚い。」と、言われ続けて私もだんだんと暗く、陰気な性格になっていき、常に俯いて歩くような、表情筋も死んだような人間になっていた。
家は汚いから、料理をする気も起きなかったので、食事はコンビニで一食買うか、お金もないので2日食べない日もあったりで、生活も荒んでいき、昼夜逆転の生活をおくるようになっていた。当然、父も祖母も料理をしないので、数えられるくらいしか食事を作ってもらったことはない。
学校に行けば給食が食べれたが、給食袋を私だけが貰っていて、おかしいと思った同級生から、「給食費を払っていない人が給食を食べていいんですか。」「おかわりばっかりして卑しい。」だったりを言われ続けて、むしろ食べない方がマシに思えるくらいになって、食事を取らないと、常に意識がぼんやりとしていて、勉強に集中できず、学校に行く意味がわからなくなり不登校になった。
暗く、陰気な人間になればなるほど、他人からの声が大きく聞こえるようになり、笑い声も自分に向けられいるような気がして、引きこもりになった。

学校に行かないと、父に電話が行く。仕事中に邪魔をされるのが不愉快だったようで、仕事から帰宅した父が、憤慨してプレハブ小屋に来るのだが、正直恐ろしかった。
180cm超えの、筋肉だるまのような人間の声量は大きく、近所中に響き渡る。
恐ろしいのは、近所に同級生が二人住んでいることだ。
このことが、他の同級生に噂になれば、また話題を作ってしまうことを思うと気が滅入った。
父が電話をかけてくれればいいじゃないか。親なんだからそのくらいしてくれてもいいじゃないか。と、訴えてみたが、父が頷くことはなかったのでそんなやりとりを何回も繰り返し、どっちが根負けするかの勝負になっていた。
先生から、本人が休みの電話をしてもいい。と、許可が出たところで平和が訪れた。
父と怒鳴り合いになることもなくなり、部屋に引きこもっていられるようになり、近所の住人が寝る時間に起き、近所の住人が起きる頃に寝て、喧騒の憂いのない生活を楽しんでいた。

悪化

祖母との関係は、中学に入学するころにさらに悪化した。
学校に行かなくなることで、食事はとれずとも、水だけは飲まないと生きていけない。
ゴミの山を乗り越えて台所に行き、祖母と出会ってしまえば喧嘩が始まるのが常だった。
祖母と何にも問題がないことで喧嘩をし、殴られ蹴られっぱなしだった私も、このまま負けてられるかと反撃を始めた。
殴らられば蹴るし、物を投げ合うし。
お互い大人気ないのだが、気が立ってしょうがないものを抑えるにはちょうど良かったのかもしれない。
気が収まらないままプレハブに戻ると、しばらくしてからプレハブのドアのぶが何度もガチャガチャと回された。
祖母だと確信していたので、何しにきたんだと外に投げかけたが、次の瞬間にはドアにツルハシが突き刺さっていた。
祖母が殺意を持って私の元に来ていると思っていなかったが、ツルハシで殴られても刺されても死ぬしかなく、祖母に殺されるのだけは絶対に嫌だったので、何度もツルハシがドアに突き刺さっているのを見ながら靴を履いて窓から外に飛び出し、近所のショッピングセンターに逃げた。

父は、彼女に言いたいことを私が言っていた体で伝えていたようで、子供も産んだことがない小娘に、そんなこと言われたくない。
と、謎に怒られたことがある。
私は父に旅行に連れて行ってもらったことがないのだが、彼女や、彼女の子供達とは旅行に行っていたようだ。
私との、ディズニーランドに連れていく。旅行に連れて行く。という約束は反故にして、私には人との約束を反故にするな。と、解く父のことを、今でもよくわからない人だと思っている。

嫌気

そんなようなことが多々あり、「家族なんだから。」と、いう言葉を聞くたびに嫌気がさすようになった。
家族だから。という理由で家族愛に溢れた豊かな生活を送れるわけではなく、お互いの尊重の上で、家族愛が生まれるんじゃないかと思った。

以降、定時制高校に進学し、アルバイトをしながら生活をしていたのだが、父と祖母の怒声と罵声が収まるわけもなく、アルバイトと学校の生活にも疲れが来て中途退学をした。

アルバイト先は、家族経営のラーメン屋で、アルバイトは私しかおらず、家族の中で私だけアウェイな状況だった。
最初は、仕事が遅い。役立たず。と言われて、1人でなんでもできるようになるぞ、と努力をしたつもりだった。
甲斐があって、半年が過ぎる頃にはお店を1人で回せるようになっていて、オーナーと、女将さんからの私の評価が上がったことを実感できた。
アルバイトは週に6日出勤で、平日は11時から15時まで。土日祝日は11時から15時まで、中休みを挟んで17時から21時までの生活だった。
平日は学校があり、16時30分から21時15分までの学校生活だった。
家では相変わらず父と祖母が言い争いをしていて、あまり家にいない状況になっても、なぜか解放された気がしなくなっていた。
その当時から疲れが取れずらくなり、アルバイト先に、土日のどちらかで良いから休みがほしい。と、話を持ちかけてみたのだが、お金を稼ぎたくないのか。居ないと困る。と、いう理由で断念。
腹痛が酷く、休ませてほしい。と、言った時も胃腸薬を飲めば治ると言われて働き、踵をついてあるけなくなり、タクシーで夜間救急に駆け込んだ時に、盲腸。と、伝えられた時は眩暈がした。

あの時の私は頭が悪かったので、アルバイトを辞めれば良いものを、学校を辞めることにしてしまった。
その後、アルバイト先の女将さんが、髪が短い娘が好き。と、言う理由で理容室に連れて行かれ、髪の毛をロングヘアからショートヘアにされて、辞めようと決意した。
もっと早く辞めれば良かったとも思うが、こうして書けるくらいにはネタになってくれた。
辞める時は、明日から来ません、先月分のお給料もいらないので辞めさせてください。と、30分間粘った。
恩を仇で返すのか。と、言われたが自分が潰れそうになってまで働く意味なんて無いと思ったのだ。

その後、別のアルバイトをして学費を稼ぎ、通信制高校に通い、その中で社会福祉労務士の方の助力もあり、実家を脱出することができた。
生活費と学費を稼ぐのは簡単ではなかったが、その経験が今の私の自信につながってくれていると思う。

7年近く離れてみて思うのが、家族3人がそれぞれとても相性が悪いということだ。そして、自分の問題は自分で動かないと解決しないということだと思う。
他人に判断を委ねたり、自分のままならない物を、他人に解決してもらおう、丸投げしてしまおうと言うのは、とても身勝手で、そんな他人の重い物を背負い続けて生きるには、一緒に人生を生きていこう。と、覚悟を決めてもたまに揺らいでしまうかもしれないものだと思う。
近所の人達にはとても迷惑をかけた、異臭、騒音、猫の糞尿。
相当なストレスのかかる生活を、関係のない他人にも強いていたのに、我が家の家族達は、自分たちは悪くないと思い込んでいたのだから、自分が世界の中心だと信じていたんだなと思う。
当時の私も例に漏れず、そんなに家のことを聞いてくるくせに、どうして誰も助けてくれないんだ。と恨みを募られてみたり、幸せそうな同級生の話を聞けば妬んだりもした。
他人の幸せと、自分の不幸は同じではないので、分離して自分が一番幸せになれる方法を周りに手伝ってもらっても、自分で決めるのが大事なんだと思った。

現在振り返って

24歳の今、1人で生活をしていて思うのが、自由はとても良いこと。と、いうことだ。
父と祖母がどう暮らしているのかはわからないが、離れて、各々の幸せを感じて生きていてくれたらいいと思う中で、今後、父や祖母と会うことは無いと願っている。

自由には責任も伴い、過去にはたくさんの人に迷惑をかけてきたが、私は現在、友人に恵まれ、恋人も居て、自分の意思で綺麗にしようと思えば綺麗にできる家で、清潔感を保って、料理や読書を楽しんで生活をしている。


過去の出来事や、生まれは変えられないが、自分の意思でどうにかできることから、小さく少しずつ動いてみることで、不幸で居続ける必要はないと思うようになったことは、私にとっての幸せだと思う。

私が居ても居なくても、他人に影響は与えない中で、自分の幸せを積み重ねていこうと思う。



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