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第3章 ライ麦畑で僕を追う−2

 Vol2
 人の決意とはどんな石よりも脆いのかもしれない。僕は今それを確信しようとしている。水卜先輩との送別会が終了後、水卜先輩と二人で僕の人生について語ったあの夜。熱い想いに突き動かされていた自分はもういない。明日から頑張ろう。その言葉は永遠に僕の頭で反芻され、あっというまに1週間が立っていた。そろそろ年末も見えてくる時期だ。僕は、日々の業務見終われあの時の感情を開けることはなく、結局埃を積もらせているだけだった。そんな日々が今日も続くのだろうと思っていた。けれど、物語の歯車は既に回り始めていた。
「露祺くん。ちょっといいかな。」
課長が僕に話しかけてきた。なんだろう。僕は何かしたのかな。思い当たる節を探しているが見つからなかった。
「ここじゃちょっと人が多いから、会議室きてもらっていいかな。」
「わかりました。」
ますます分からない。僕は少し緊張していた。もしかして、突然のリストラ。いや、そんなはずはない。うちの会社は、毎年転職者が多くて人手不足である。ただでさえ水卜先輩がいなくなり、うちの会社は人手不足だというのに。逆に昇進か。でも時期が時期だし、そもそも課長の声のトーンからするとあまりポジティブな話ではなさそうだった。会議室に入り、部長が座り、続けて僕が座った。
「突然すまないね。ちょと露祺くんに聞きたいことがあって。」
「全然構わないですよ。それで、聞きたいこととはなんでしょう。」
「ありがとう。それがね、狂林さんなんだけど、先週から突然休職届が出されたのだけど理由とか分からない。」
「凛ですか。すみません。わからないです。むしろその話初めて聞きました。」
びっくりした。最近、凛の姿が確かに見えないと思ってはいたが、まさか休職していたなんて。水卜先輩の転職による穴で業務が忙しくなったことであまり気にしていなかった。いや、気にする暇がなかったが正しいか。
「そうか。最近様子がおかしいとかはなかったかな。」
「そうですね、最近は特に変わった様子はなかったですが。」
「なるほど。露祺でも分からないとなると謎だな。」
「僕もそんなに彼女のことを詳しいわけではないですよ。」
僕は少し困った顔で返事をした。つい最近、少し口論じみた事になったなどは言えない。彼女が転職を考えていたことなどもっと言えない。
「何かわかったら教えて欲しい。小さなことで構わない。あと、できれば家に行って少し様子も見てくれると嬉しいな。」
「わかりました。今日くらいに少し行ってみます。」
「ちなみに、これは純粋な疑問なんだけど、狂林さんとと露祺くんは付き合っているの。」
「いえ、付き合ってないですよ。どうしてそんなふうに思ったんですか。」
「いや、仲がいいから付き合っているものかと。他の同期は全員辞めてしまったし。二人で支えあっている印象だったからちょっと聞いてみただけだよ。」
「そうですね、僕らあまり相性合わないと思います。それにお互い好きなタイプが違うし。」
「それは残念だ。まあ、狂林さんの件は内密によろしく頼む。」
「分かりました。」
会議室を出て軽い雑談をしながら僕と課長は居室に戻った。それにしても、凛が休職しているなんて思いもよらなかった。凛は確かに少し不真面目なところはあるが、休職するようには思えなかった。それよりも、凛と僕が付き合っていると社内で思われていたなんて、思いもしなかった。確かに新入社員の時は、見知らぬ土地に引っ越してきたのもあり、よく同期で仲良く遊んでいたが。最近では生活も地に足がつき、何かすることを考えると一人で行動することを前提に動いていた。たまにご飯を食べることはあったが。そういう恋愛感情を彼女に向けたことは一度もなかった。そもそも、僕は清楚な感じで、青が似合う女性が好きだ。凛はどちらかというと、ガヤガヤした感じで大学生によくいる飲み会でウェイウェイはしゃぐ様な女子だ。事実、酒を飲むとろくに真っ直ぐ歩けなって車道を歩くなんてことが度々あった。友達としては愉快だが、彼女としては好みではない。まあ、いいや。と思いながら、僕はスマートフォンを取り出し、凛にメッセージを送った。
『最近大丈夫?今日少し凛の家に行って話してもいい?』
メッセージを送信し、僕は再び業務へと戻った。帰るまでには返事が来るだろうと思った。しかし、凛からの返事は来ることはなかった。メッセージは未読のまま、既読はつかなかった。僕は焦ることでもない、一旦忘れる事にしてスマートフォンを閉じた。
 翌日、いくら待っても凛からの返事が来ることはなかった。翌々日も、そのまた翌々日も返事は返ってこなかった。俗にいう未読無視というやつだ。僕は少々苛立ちを覚えた。心配しているのにどうして返事を返さないんだ。大体、凛が休職しなければ僕はこんなにイライラすることもなかったのに。そう思えば思うほど、心配という感情のベクトルは怒りへと向いていった。とりあえず、このまま待っていても仕方ないと思い、凛の家に行ってみる事にした。
 凛と僕の家は、1駅離れており、僕の家と会社の間にある。退社後、僕は一応差し入れとしてシュークリームを手に持って彼女の家に向かった。電車はくたびれたサラリーマンと塾帰りと思わしき学生が乗っていた。駅に着くと僕は凛の家を目指した。冬ということもあり、あたりはもうすっかり闇に呑まれていた。街灯に羽虫が集まり、チラチラとした光が道を照らしている。時々吹く北風が全身を震わせる。僕は足を急がせた。住宅街をどんどんん進むと、凛のアパートが見えた。懐かしい。来るのはいつぶりだろうか。入社当初、同期で集まりクリスマスパーティーを行った記憶が今でも鮮明に蘇る。思い出に浸りながら僕は彼女の部屋のチャイムを鳴らした。
「ピンポーン」
暫く待ったが何も返答がない。もう二、三度押してみる。
「ピンポーン。ピンポーン。」
何も返事がない。ドア越しに話しかけてみる事にした。
「おーい、凛。課長とかみんな心配してるよ。事情があるなら話してくれ。」
何も返事がない。それどころか、この部屋に人が住んでいるような気配がしなかった。暗く深い、質の悪い闇がそこに蔓延っているように感じられた。息が詰まりそうな空気に僕は少し酔いそうだった。異臭がするとかそういうものではなく、第六感が疼くような重力が他の場所より強い様なそんな不思議な感覚だった。このままドアの前で応答を待っていても埒が開かないと思い、僕はシュークリームをドアノブにかけ帰る事にした。
「とりあえず、シュークリーム買ってきておいたからドアノブにかけておくね。」
僕は闇の底に向かって叫ぶように凛へ言葉を投げかけた。そもそも今日は外出中だったかもしれない。そう自分に言い聞かせて自宅へと返った。帰りの電車の中で凛にメッセージを送った。
「シュークリームをドアノブにかけておいたので、よかったら食べてください。露祺』
そして、スマートフォンの画面には、未読のメッセージがまた1つ増えた。
 それから、また数日が経ったが、凛からの返事は来ることもなく、メッセージは未読のままだった。僕はまた少し、イライラしていた。せっかくシュークリームを渡したのに感謝の言葉一つもないなんて。心配という感情はとっくに怒りの炎に焼かれてしまったようだ。文句の一つでも言ってやりたい気分になった僕は、また凛の家を訪ねる事にした。
 時刻は午後8時。夜空には満点の星が輝く素敵な夜だった。水卜先輩と別れた夜もこんなに綺麗な夜空だったと思っていると凛への怒りも和らいでいた。自然とは不思議なものだ。人の感情を中和してくれる。というより、雄大すぎてその感情が俯瞰視されている方が正しいかもしれない。そうこうしていると、凛のアパートに着いた。すると、驚くことに僕のドアノブにかけたシュークリームは無くなっていた。凛のやつ、僕があげたシュークリームをちゃんと食べているのに何も返事を返さないなんて。人の親切をなんだと思っているんだ。僕は再び怒りが湧き上がった。一言文句を言わないと気が済まない。そう思い、僕は暗い井戸の底。深淵に叫ぶ様にして、「ちょっとは返事ろよ。」と言葉を投げつけた。なんだかこれ以上ここに居てしまうと怒りが良くない方向に行きそうになったので、帰宅する事にした。「ひと言くらいお礼とか言ってもいいでしょ。普通。」と呟きながら夜道を歩いた。少しお腹が空いていたので、駅近くのファミリーレストランに入店し、夕食を食べる事にした。何を食べよう。そう思いメニューを見る。ボリューム満点のハンバーグ定食にするか、ソースが美味しそうなグリルチキンにするか、マルゲリータなのにバジルの乗っていなイタリアの風を感じないピザにするか。といつもと違うメニューを注文しようと試みるも、やっぱりいつも通りに落ち着くのが自分という人間であった。ベルを鳴らし、ミラノ風ドリアとサイドでサラダを注文した。暫くすると、ミラノ風ドリアが運ばれてきた。熱々のドリア。金のない学生時代からお世話になっているこの味。大学生のグループ活動で大学の図書館が閉館後に、みんなでドリアとポテトそしてドリンクバーを頼んで夜通し課題をこなしていた。そういう泥臭い時代があったものだ。あの頃の癖がなかなか抜けずに、結局このミラノ風ドリアを注文している。かなり美味いというわけではなく、そこそこ美味しい。このそこそこ具合がなんだか実家のような感覚を醸し出すのだろうか。熱々のドリアを口に掻き込んで熱い熱いと猫舌ながらも奮闘する。もったりしたクリームとトマトの旨味が合わさって、チーズがと生み出すハーモニーにいつも癒される。しかし、今日は違った。心が落ち着かない。こういう心が落ち着かない時は、読書でもするか。リュックから「ulula」を取り出して読む事にした。

 ファミレスから解散する事になった僕らは、お互いの帰路に別れた。先輩は、最後まで剣崎をいじり続けていた。全く、こういうゴシップネタのようなやつには目がないんだなと少々呆れていた。それにしても、夜道を歩くのはとても気持ちがよかった。日中の暑さが夜にはだいぶ冷えて、散歩日和というのだろうか。
「セレンくん、ちょっといい。」
後ろから突然呼び止められた。振り返ると黒奈が僕の後ろにいた。僕はどうしたんだろうと不思議に思った。黒奈と僕の家は違う方向にある筈だが。
「どうしたの。何か用事。」
「ちょっと付き合って欲しいんだけど。」
なんだろう。僕はそう思いながらいいよと返事をして、黒奈に言われるがままに電車に乗った。この時の僕は、まさか黒奈がこんなことを僕に頼むなんて想像もしていなかった。
着いたのは新宿駅。人々がごった返す駅構内を歩き、黒奈の小さな背中を追っていった。暫く歩くとそこには大きなデパートへと僕を誘った。
「新宿のマルイメンなんて初めてきたよ。」
「私もあまり来ないわね。」
「つまり、あまりきたことないから着いてきてほしい的な感じね。」
「そういうこと。」
黒奈は僕に察しがいいわね。と言わんばかりの返事をした。デパートなんていつぶりだろう。東京都いう街に来てから、デパートに行くことは無くなった。僕はデパートという1つの集合体よりも、いろいろな店舗が立ち並ぶような一種の集落的な集合体の方が好きだった。九州のデパートといえば、福岡にある大丸や三越、熊本の鶴屋、鹿児島の山形屋なんかで数えるくらいしか無い。あと、田舎にイオンタウンやゆめタウンがあるが、これをデパートというかはちょっと微妙だ。
「着いたわよ。」
「ここは男性いていいのかな。」
「大丈夫よ。そこらへんい男性いるじゃない。」
僕は、戸惑っていた。自分が過去の回想に浸っている間に、黒奈は僕を水着売り場へと誘っていたのだ。ドギマギとする心臓をどうにか抑えようとしている僕を黒奈は置いて行き、どんどん店の奥へと進んでいく。僕は、一人でいる方がなんだか人目につくと思い、黒奈の後を急いで追った。後を追う刹那、僕はどうして黒奈が水着を買いに来たのかは察しが着いていた。多分、サウナフェスできる水着を選びにきたのだろう。他の二人にはこういう買い物を付き合って貰うのは危険すぎる。先輩は論外だし、剣崎とは馬が合わない。そう考えると僕が適任だろう。と自分に言い聞かせて心を落ち着けた。
「これどうかしら。」
黒奈は黒と花柄の可愛らしい水着を僕に見せてきた。
「うーん。柄物じゃないものの方が似合うんじゃ無いかな。黒奈は肌白いし、濃いめの色味が似合いそう。」
「やっぱり。私もそれがいいんじゃ無いかと思っていたところ。じゃあ、これは。」
「いいね。そっちの方が黒奈には似合ってる。」
「ちょっと試着してもいい。やっぱりネットだとサイズは書いてあっても着心地が全然違うから。」
「OK。」
慣れとは怖いものである。あれほどドギマギしていたのに、暫くするとその緊張はどこへやら。普通に黒奈の水着のレビューをしていた。こんなところ、未来とも来たことがないのに。未来とは、海やプールにいく暇がなく、昨年は行けていなかった。「今年は行けるかな。」と先日話をしたばかりである。
「セレンくーん。ちょっと来て。」
黒奈が僕を呼んできた。なんだろうと思いながら、試着室の前に来ると黒奈がいきなりカーテンを開けた。すると、黒奈が水着姿で立っていた。
「どうかしら。似合う。」
「とてもいいんじゃないかな。」
すると、黒奈は満足げに笑みを浮かべていた。案外早く終わりそうだと思った。試着室から出てきた黒奈は、レジへと水着を持っていき、僕は霊の如く後を追った。レジに着くと店員さんが、彼氏さんとお買い物いいですね。と言って来た。僕は否定しようとしたが、黒奈が笑顔でそうなんですと言っていて少し驚いた。まあ、スマートに返事をした方が店員さんにも変な気を使わせないで済むと思ったのだろう。黒奈はそこら辺の能力が高いように感じる。
「次、行こうか。」
「え。次あるの。」
「私一度もここで終わりなんて言ってないじゃない。」
まさか、まだ続くなんて。そう思いながら黒奈と一緒に歩き始めた。空はもう茜色に染まっていた。すんなりと買い物を終えたように見えるが、意外に時間が経っていたようだ。
「もう夕方か。早いね。」
「そうかしら。こんなもんじゃない。」
「これが相対性理論か。なんちゃって。」
「セレンくんも冗談言うのね。私はすごく好きだけど、理系の奴らに聞かれたら怒られるわよ。あいつら理系ネタにはうるさいから。まあ、文系ならウラシマ効果とでも言っていた方がいいんじゃない。」
「そっちがいいかもね。黒奈も意外にそう言うこというんだ。」
「あら、周りの人が異常すぎて私の魅力に気づけてないだけよ。」
「確かに。異常な人が多いもんね。」
二人でバカみたいな話いをしていると、新宿のおもいで横丁に到着した。
「実はここに来てみたかったの。流石に女の子の友達だと辺な人たちにナンパされちゃうでしょ。」
「納得。ここは美味しそうなお店だけど、そういうのありそうだね。」
「じゃあ、このお店でいいかしら。ここの串焼きがとても美味しいみたいで。」
「いいよ。」
僕らは、趣ある佇まいの店の扉を開けた。
「いらっしゃい。」
大将のどっしりとした声が店内に響いた。店内は割と狭くい、二人席に着いてレモンサワーと適当に串もりを頼んだ。
「そういえば、剣崎の気になる子のライブって明後日だったよね。」
「そうよ。少し私楽しみなのよ。ライブハウスとか初めていくから面白そう。」
「そうなんだ。僕は1、2回は行ったことあるかな。なんか普通のライブより、距離感近いからすごい一体感が強いかな。」
「いいわね。楽しみだわ。」
「おまちどう。串もりとレモンサワーです。」
串もりが想像以上にボリューミーで驚いた。量だけじゃなく味もとても美味しかった。味付けが少ししょっぱめでお酒が進む。3、4杯くらいお酒を飲んでお店を出た。その後も2、3軒お店を周り僕らは解散する事にした。家に帰ると未来がベロベロに酔って帰ってきたことに対して少し機嫌が悪かったがお土産のプリンを見た瞬間機嫌を直した。
 
 剣崎の気になる子のライブ当日。僕らは下北沢の駅に集合した。駅前は学生やサラリーマン、バンドマンなどで混雑していた。
「お待たせ、少し遅くなったわ。あれ、先輩がまだ来ないわね。」
黒奈が前髪を押さえながら小走りにやってきた。
「あ。先輩ななら今日来れなくなったんだよ。なんだか急用が入ったらしくて。だから、僕と剣崎と黒奈だけで言ってくれって。」
そう、先輩は今日来ない。今朝先輩からメッセージが僕に送られてきた。交友関係が広い人は大変だな。なんなら未来がとても来たがっていた。ライブに行ったことがないらしく、ずるいずるいと子供みたいに僕にうるさく言ってきた。なんとか沈めて家を出てきた。
「じゃあ行こうか。結構入り組んでいるところにあるからな。」
剣崎が先陣を切って歩いていく。今日はなんだか少し洒落た格好をしていた。あからさまに意識している。ちょっと笑いそうになったがその笑いを堪えた。すると、隣にいる黒奈も笑いを堪えてるのが分かりついに吹き出してしまった。
「二人ともどうした。急に笑い出して。」
「いや、ちょっとね。」
「気にしなくていいわよ。」
「おかしな奴らだな。あと、ここの路地を左に曲がれば着くぞ。」
そうこうしていると、ライブハウスに着いた。このビルがライブハウスなんだ。と思いながら階段を登っていく。
「なんだか緊張しちゃうわね。」
「確かに、俺も初めてだから緊張している。」
剣崎さっきよりも恐る恐る階段を登っていた。4階に階段で行くのはなかなかしんどかった。剣崎は流石に余裕そうだったが。そうこうしていると、ライブハウスに到着した。入り口でチケットを確認され、中へ通された。ドリンクを注文して僕らは少しステージから離れたところに集まった。ライブハウスは2~300人程度入るようなキャパシティで、今は数十人程度人が入っていた。
「なあ、なんでワンドリンク頼むんだ。」
剣崎が不思議そうに尋ねてきた。
「あー。ライブハウスって飲食店なんだよ。音楽を楽しみながら飲食がとれるというお店になっているんだ。普通にライブができる場所で申請するとなかなか通りににくいからこういう形になっているんだよ。」
「そうなのか。セレンはこういうの詳しいんだな。」
「いや、受け売りだよ。誰かさんの。」
誰かさんの受け売りがこんなところで役に立つなんて想像もしていなかった。全く、あの人もどこでそんな知識を得ているのか不思議でならない。
 この後も10分くらい雑談をして過ごしていると、お客さんもどんどん増えてきた。200人近くはいるだろうか。ザワザワとした空気がステージ照明が暗くなるのと同時に静寂に包まれた。ギターソロが始まる。ピンク色の髪が奏でる演奏はプロ顔負けだった。そしてギターソロが終わるのをを合図に他のメンバーもしれぞれ奏で始める。緑色の髪が打つドラムはハードでかつ繊細だった。黒色の髪が奏でるベースがリズムをまとめ上げている。
「黒薔薇の少女・・・」
オレンジ色の髪のボーカルの子が呟いた瞬間客席が熱狂を上げた。

僕は君に恋してるんだその瞳に 落ちては溶けていきそうなこの純情
僕は君に恋してるんだその横顔 狂いそうに美しい黒薔薇の少女

出会いは偶然いや必然 すれ違った君の横顔を追っていた

ぽつりぽつりと天上から雨が優しく包んで
哀愁漂う季節に突然花弁が現れた

僕は君に恋してるんだその瞳に 落ちては溶けていきそうなこの純情
僕は君に恋してるんだその横顔 狂いそうに美しい黒薔薇の少女

出会いの確率論がイマイチで まだ僕らはすれ違う他人のまま

全く進展のない世界線停滞気味プラート
最近、君とはご無沙汰みたいです

僕は君に恋してるんだその瞳に 君は気づいているんでしょう?この視線
僕は君に恋してるんだその雰囲気 メデューサのよう黒薔薇の少女

この世界で出会えた70億分の1の運命
この場所で会えたそれは奇跡
ハッピーエンドで飾らせて欲しい

僕は君を愛してるんだこの心から 想っては消えていく黒薔薇の少女
僕は君に伝えたいんだこの気持ちを 燃焼するこの想い情愛念清 黒薔薇の少女

 凄い歌だった。心に刺さるようなフレーズに走るような疾走感のあるサウンド。こんなバンドがいたなんて。
「木工ボンドです。みんな、今日は盛り上がっているかー。」
熱狂が続く。
「次の曲は、みんなに人気の曲。シリウス」
びくともしない大岩が私の前にドスンと落ちた
曖昧な感情に押しつぶされるように
未来におやすみをいえたかな?

予定は立てていたのに遮る雨の壁に阻まれて
一度でも悪魔の囁きにのったから?
そんな聖人にはなれないよ

言われたい
誰よりも大切だって
言われたい
寂しい夜はそばにいるよって

くだらないくらいって愛して欲しい
猫も鳴き止むようなこんな夜に
今すぐに会いにきてよね
気がすむまでキスをして
シリウスが吠えるような夜に乾杯

どんなに位置情報送っても迎えに来ないのね
昨日飲んだオレンジジュースの後味
呟くほどに苦くなって酸化する

言われたい
綺麗な髪だねって
言われたい
苦しい夜は抱きしめてるよって

まだ誰も感じたことのない感情を
猫も鳴き止むようなこんな夜に
瞬きなんて許さないよ
その目に焼き付けてね
シリウスが吠えるような夜に乾杯

会うたびに変わっていく癖が
私を不安に堕としていく
はやく未来におはよう言わなきゃ

くだらないくらいって愛さないで
猫も泣き病むようなこんな夜に
今すぐにサヨナラを言い
気がすんだら消えて欲しい
シリウスが吠えるような夜に乾杯

 空気の振動が余韻で残る。熱狂する人々、演奏者はその熱を帯びてさらに輝き始める。今日の主役は私たちだと言わんばかりの光景が広がっていた。隣を見ると剣崎もその熱狂の薪となっている。黒奈は少しいつもより無邪気に見えた。
「みんな、最高です。最高です。そんなみんなのために新曲をここで披露したいと思っています。」
熱狂が業火のごとく燃え上がった。
「僕らの革命劇・・・・。」

君に出会ったのが全ての始まり
未来を告げるような歌でした
どこにでも転がっているような朱鷺を
瞬きもせずに過ごしていたと
君がいない夜を想うと怖くて
味気ない萎びたポテトのよう
神様がこの世にいるとしたらば
それは権力者の傲慢だね

動脈サディスティックこれはTikTok
15秒で始まる物語だと

君が笑える世界をのために
僕は革命を撃つんだ
闇夜に光る雷のような
生きながらえるだけじゃダメだからと
逃げ腰な妥協点を今
覚醒の火をと想わせような

カルメ焼きにされた骨が砕けていく
不都合な好都合で溢れてる
民衆は踊らされているだけみたい
立ち塞がる権力者の姿

高確タイムリープそして拝中律
第三者なんて許されないのだと

キミが悪いような世界のために
僕の革命は鬱んだ
三進法で進む時計の針
犬死にする事があってはならぬ
轢き逃げされた勘定が覚醒のロケットパンチ

熱いキスを交わした夜も小さな吐息をSMRにしていた夜も
数えてはもう泣いて無いって泣いて無いってなんで?
悪魔と相乗りする大博打を僕は人生を欠けた

君が笑えるような世界のために
僕は革命を討つんだ
満身創痍最哀ショットガン
キリコガラスなシナリオを書いては
砕ける様をみてみたい
感受性をなくした未来で
君がいないこの時に送る最後のラブレター

 不協和音が響く中に芯のあるギターの一本の音色が僕を着いている。そんな曲だった。何かと戦う歌。僕には人生という神様と戦っているように感じられたが、彼女たちは何と戦っているのだろう。それからまた、二、三曲が披露されて木工ボンドのライブは大成功で終わった。
「すごかったね。剣崎の同級生めちゃくちゃギターうまいじゃん。」
「私もライブのことはあまりよくわからないけど、凄いうまいと思ったわ。」
「俺も、よく分からないがすごかったな。」
3人でライブの感想を言い合っていると、ライブ終わりの剣崎の同級生が近づいてきた。
「みんな来てくれたんですね。ありがとうございます。どうでした。」
少し不安そうに彼女は尋ねた。僕も黒奈も剣崎も大絶賛をすると彼女は少し照れ臭そうにお礼をした。反応がすぐ顔に出るらしい。この後、ライブの打ち上げがあるらしく、彼女は帰っていた。ライブの余韻に浸りながら僕らも帰る事にした。剣崎はこの後も別件の予定があると言ってここで別れた。そういえば、僕は明後日に迫っていた未来との1年記念日のプレゼントを買うのを忘れていたのを思い出した。僕もちょっとここでと言ったが黒奈が一緒に選んであげると言われた。確かに黒奈が一緒にいてくれた方が助かるなと思い、僕らは一緒に未来へのプレゼントを選びに行った。
 渋谷に着くと辺は暗くなっていた。時間も時間ということもあって、過ごしやすい気温になっていた。人々が街頭に照らされながら歩く街並みに僕らも溶けていた。
「彼女さんはどんなものが好みなの。」
「うーん、なんか服装とかは普通のお茶の水とかにいそうな感じなんだけど、なんかいつもふわふわしているというか。何が好きかって言われると難しいかな。」
「不思議ちゃんなのね。そういう子は下手に辺なものをあげるより、シンプルでいいものがいいんじゃないかしら。」
「なるほど。」
僕は少し考えた。なんか未来が欲しいと言っていたような。…………ガーネットとピンクアメジストのネックレスだ。
「そういえば、ガーネットとピンクアメジストのネックレスが欲しいって言ってた。」
「ちゃんとアピールしてるじゃん。付き合って損しちゃったわ。」
黒奈は少し呆れ顔で僕にいった。僕はごめんと言って、お詫びに夜ご飯を奢るよと言った。未来がご所望のネックレスを購入し、僕らはハチ公前のスクランブル交差点の信号を待っていた。黒奈と再びライブの余韻に浸りっていた。すると、交差点の反対側に見覚えのある姿が見えた。独得のリズム感のある動き、見覚えのある服に背格好…。ー未来だ。しかも知らない男と一緒だった。誰だろう。暗くてよく分からないが身長は170センチくらいの痩せ型の男性だ。未来が僕以外の男性と一緒にいる。バイト先の知り合いだろうか、それとも…。信号が青になる。僕と未来の距離はどんどん近づいていく、5メートル、4メートル、3メートルと近づいていく。息を吸うのが重くなった。僕に反して、堂々と男は未来の手を掴み人混みへと連れ去っていった。まるで、すでに未来の手綱は自分が握っているというような感じだった。僕は、どうしたらいいか分からずにただ真っ直ぐに歩くことしかできなかった。未来と目が合うことはなく、その表情も全く分からない。僕がただ一方的に見つめていた。交差することはなく、ただ停滞した思考が没頭していた。僕の心がぐらついていた。質の悪い闇感情が溢れてきて止まらなかった。自分の知らない未来がそこに入るのか。自分の見ていた未来は本当の未来じゃないのか。未来は自分に一途だと勝手に勘違いしていたのは自分だけなのかと。どうしてだろ。悲しいのに少し怒りが心にある事に気がついた。頭を撃たれたような衝撃に痺れていたのだろう、感情の整理がつかないまま僕はスクランブル交差点の途中で立ち尽くしていた。
「セレンくん、早く歩かないと信号赤になるわよ。急にどうしちゃったの。」
「カオスだ…。」
小さく呟いた。僕は、黒奈に手を引かれながらスクランブル交差点を歩いていた。黒奈の艶やかな声と甘い香水の匂い、柔らかくて白い肌が僕を引き寄せた。その後のことはよく覚えていない。気がついたら僕は黒奈と寝ていた。ああ、今日は、一限があるんだ。そう思いながら二日酔いの頭にコーヒーを流し込んで、夜明けの空にため息をついた。


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