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第5章 Utopia−1

「ーのぞみ88号、間もなく発車いたします。ドア付近のお客様ご注意ください。次の停車駅はー。」

 年末ということもあり、新幹線を待つ駅のホームはとても混雑していた。キヨスクでコーヒーと卵サンドを買って指定席に座る。自由席の方を軽く見たが、立っている人もおり乗車率の高さに驚いた。まあ、これを見越して指定席を取ったのだが。地元に帰る時、普段は飛行機を使用するのだが、値段が普段の2倍近くする。そのため年末の帰省は新幹線で帰ることにしている。昨日凛が自殺してしまったことを知った僕は、複雑な心境を抱えながら、僕は新幹線に乗っている。窓から見える景色を見ながら僕はコーヒーと卵サンドを食べた。新幹線に乗るときは大体この組み合わせだった。僕は、小学生の頃から卵サンドが好きだった。ポテトサラダやツナ、チーズではなく、ずっと卵サンドばかり食べていた。僕は、卵サンドに舌鼓を打ちながら本を読むことにした。あの小説の続きを。彼は、大切な人を失って何を想い、どう行動するのか。僕は気になった。卵サンドで少し汚れた指をウエットティッシュで拭き、カバンから本を取り出した。




 警察を後にした僕は、自宅に戻り冷蔵庫にあるハイボールを飲んだ。苦いな。どうしようもない気持ちにお溺れながらハイボールを一口、また一口と飲んだ。不意にあの時の情景がフラッシュバックする。未来が一瞬にしてマネキンのように消えていったあの情景が。受け入れたくない現実に、自分が未来をどれだけ好きだったかを認知していく。しかし、不思議と涙は出なかった。なんでだろう。とても悲しいはずなのに。その答えを考えているといつの間にか僕は寝ていた。

 朝起きると、警察から連絡があった。未来の葬儀は家族で行うそうだと。僕は、未来にもう会うことは出来なかった。それが、彼女の両親が信仰しているブルーガーデンのやり方だった。身内が亡くなった時は、教会で葬儀を行うのが決まりだった。まあ、それもあるが僕と未来の両親の間には一悶着あったので、それが原因なのも否めない。僕は、二日酔いであまり働いていない脳を動かしながら思い出した。


 あれは未来と本当に付き合う前。銀杏並木が黄色に染まる秋だった。僕と未来は、二人でデートをしていた。この頃はまだ、二人で同棲する前だった。未来と出会ってから隔週でデートを行なっていた。映画に行ったり、水族館に行ったり、カフェでお喋りなど普通のカップルのようなことをしていた。一つを除いては。

 僕と未来はスターバックスの新作フラペチーノが発売されるということもあり、近所のスターバックスに来ていた。店は僕ら同様に新作のフラペチーノを求めて大勢が訪れていた。MacBookをカタカタしながらコーヒーを飲む通称意識高い系もちらほらおり、店内での飲食はできなかったため、僕らは外のテーブルで飲むことにした。

「流石に寒くなっってきたね。」

未来がフラペチーノを飲みながらいう。それに対して、僕も同じフラペチーノを飲みながら答える。

「確かに、もうそろそろで冬だね。」

ここ最近、未来はよくブルーガーデンの話を愚痴るようになっていた。当初は口にするのを怖がっていたが、僕に対して親密度が高くなったせいだろう。今では、普通の女子大生がアルバイト先の店長の愚痴でもこぼすような感覚で話している。そろそろクリスマスの予定でも立てるか。と僕が話しかけると未来は気まずそうに眉を顰めた。

「クリスマスなんだけど。私、君とは一緒に入れないの。」

僕がどうしてかと尋ねると、未来はさらに気まずそうに答えた。

「実は、ブルーガーデンはクリスマスに協会に集まり儀式?のようなものをするの。行きたくはないんだけど。」

「じゃあいかなければいいじゃん。すっぽかしちゃいなよ。」

「・・・。」

未来は俯いたまま黙っていた。

「無理にとは言わないけど。本当に行きたくないなら行かなければいいよ。」

未来は、フラペチーノを握りしめながら、僕の目を見て尋ねた。

「私たちって付き合ってるよね。」

僕は、もちろんと頷く。すると、未来は少しホッとしたような、決意を決めたような顔をした。僕は、何を言おうとしているのか想像もつかなかったが、未来が言葉を発するのを待った。

「じ、実はね。ブルーガーデンでは、入信者と付き合う場合はその相手も入信しなくてはならない。そういう決まりなんだ。」

未来は唐突に僕に話してきた。なんたらフラペチーノを片手に話す会話ではない。北風が僕らの頬を撫でる。だいぶ肌寒くなってきただろうか。

「僕は、入信する気はないかな。」

「そうだよね。」

未来は僕の答えを予想していたのだろうか。小さく心細そうにつぶやいた。僕は、フラペチーノを飲んで心を落ち着け、小さく息を吸い、未来の目を見る。

「だから、君に辞めてもらう。ブルーガーデンから。」

「えっ。本気で言ってるの。」

「本気だよ。」

僕はここ数週間、ずっと考えていた。未来がこんなにこの宗教に囚われているのなら、僕がその鳥籠から出してやると。

「でもどうやって。親は二人とも信者だし、大学だって・・・。」

未来は動揺していた。僕は冷静にだが熱を持って応えた。

「親には一緒になって説得しよう。大丈夫、僕がついてる。」

「ありがとう。」

未来は涙を浮かべて喜んだ。そして、僕らは、数日後に未来の籠に行くことになった。場所は、ブルーガーデンの川崎にある教会。僕と未来は電車で川崎に向かった。場所は羽田空港の近くで工業特区として最近開発されている。そんな中に不自然に建つ教会が印象的だった。いくらかかっているのだろう。未来の父もこの近くの食品研究所で働いているらしい。ここら辺の企業は全て教団の息がかかっているのだろう。莫大な資金を企業利益から得ている。「うまく出来ているよ。」僕は皮肉を吐き捨てた。

「ここが教会だよ。」

「うん。みればわかるね。」

「でも、なんでこんなに私のためにしてくれるの。」

「いや、教会の愚痴聞かされるのはうんざりだし、未来の笑顔が見たいからかな。」

「君はたまにキザなこというよね。」

未来はとても嬉しそうだった。僕は、そんな未来を連れて教会へと足を運んだ。教会施設は意外とモダンであった。大理石でできたフロントにキレイな絨毯。まるでホテルのような作りだった。外見はまるっきし教会なのに。

「こんにちは、未来さん。そちらの方がセレンさんですか。」

教会に入ると受け付けのような人が話しかけてきた。名前は佐々木美紀。背の高いスリムな女性だった。

「そうです。教団長に会いたいのですが。大丈夫ですか。」

「もちろん。新たな入信者には歓迎ですよ。」

佐々木さんは、僕らをエレベーターまで案内して笑顔で見送った。エレベーターが登る最中、未来のリュックを見ると青い十字架をつけていた。

ピンポーン。甲高い音とともにエレベーターのドアが開いた。ホールのような場所になっており、よくある教会の風景が広がっていた。第7教会と書かれていた。教会に一人の男性が僕らの到着を待っていた。

「おやおや、そちらの青年が新しくブルーガーデンに入団したいという子かな。」

50代前半と思われる少し白髪まじりの男性が話しかけてきた。僕らが黙っていると男性が続けた。

「そんなに怖がらなくてもいいんだよ。私の名前は、油野裕象。教祖様よりこの第七教会の管理統括を任されている。」

彼は自己紹介を行い僕らを手招いた。僕らも言われるがままに足をすすめた。なんだろう、近づくと変な匂いがした。なんだろう。未来は震えていた。

「どうしたの。未来。」

「大丈夫。なんでもないから。」

僕は未来の震える手を握って安心させた。

「素晴らしい。愛とは美しい。まあ、私に恐怖するのも無理はない。彼女の聖杯は私だったからね。」

油野はうんうんと頷きながら言った。

「セイハイ?一体なんです。」

「多弁は銀、沈黙は金という言葉があるだろう。そういうことさ。君がブルーガーデンに入団すれば直にわかるさ。」

意味深な言葉に僕は少し疑問をもった。未来が早く終わらせようという目で僕の方を見てきたので、僕は本題について話し始めた。

「少し勘違いをされているようですね。僕はここに、ブルーガーデンに入団するために来たわけじゃなくて逆に未来をやめさせるために来ました。」

油野は驚いたような表情を浮かべたが、すぐに笑い始めた。

「ははははあっ。面白いことを言う青年だ。ここを止める。」

「そうです。今すぐにでも。」

「彼女の両親にはどう説明する。」

「説得します。娘さんの自由意志を尊重させてくださいと。」

「君は、知っているかね。彼女の両親がどれほどブルーガーデンに心酔しているかを。」

「知りません。」

「全く夢物語を話してくれるよ。若いというか。」

油野は教会の中央に歩いて行った。そしてステンドグラスから伸びる木漏れ日に照らされて話を続けた。

「彼女の両親は、優秀な研究者だよ。大学院博士課程まで進学し、遺伝子工学に精通した学生だった。特に、彼女の父の書いた論文は素晴らしかった。Crispr Casを用いいたものは、科学雑誌の最高峰であるnature誌に載ったのは有名な話だ。たかが地方Fラン大学だったが業界では神童と称えられていた。そんな優秀な彼は大学で教授になろうとしていた。同じ研究室の後輩である彼女の母と結婚を誓ってね。しかし、大学教授のポストが開かないと言うことで彼は教授になることはできなかった。かといって一般企業では地方Fラン大学ということで足切りにあった。ましてやリーマンショックの時代だ。就職氷河期の彼等は非正規雇用であるポスドクとして働くことになった。研究をしながらポストが開くまで働き続けるということだよ。」

「確かに、非正規雇用は大変だが、研究ができてよかったじゃないですか。」

僕は油野の話に何が問題があるのかわからなかった。

「よかった?だと。君は馬鹿なのか。」

油野は、僕に怒りを向けた。馬鹿なんて久しぶりに言われた。

「非正規雇用なんて碌なもんじゃない。今でこそ、しっかりとした補償がつきつつあるが、当時の非正規雇用なんて。彼等がここに助けを求めてきた時、どれほど衰弱していたか。」

「それが、宗教のやり方だろう。衰弱した心に漬け込む。」

「彼等は自らこのブルーガーデンに来たのだ。矯正したわけではない。」

この手のやり口を僕は知っている。教会推進派がこういった社会的弱者を支援する理由は、信者を増やすためだ。社会的弱者は入信者予備軍と呼ばれ、マークされている。

「じゃあなんで社会的弱者を支援する行為を続けているんだすか。」

「人が苦しんでいる時に手を差し伸べる善意をなぜ君は嫌悪するのだ。」

「それを世間では偽善っていうんですよ。」

「社会に対しては無知だが、弁は立つようだね。」

油野は笑いながら近くの椅子に座った。そして話を続けた。

「話を戻そう。彼女の両親の。」

「まだ続くんですか。」

僕は少し苛立ちを覚えた。この話になんの意味があるのだろうか。完全に相手のペースに流されている。油野は身振りを入れながら熱く語り始めた。

「非正規雇用の現実は過酷さ。社会保険にも入れない。給料も安い。ボーナスもない。研究室の教授の雑務を行わされ碌な研究時間はない。科研費や各種助成金の申請のための書類作成にも時間は取られる。休みなんてほとんどなく盆正月くらい。残業という概念がなく、毎日火が昇る前に帰宅し、お風呂に家に帰るそんな毎日を過ごしていた。30歳を目前に彼等は考えた。このままでいいのだろうかと。先行きの見えない不安に怯えて暮らす生活にうんざりしていたのだよ。」

「職は他にもあるじゃないか。別に宗教に入らなくても。」

「博士課程まで進学した研究者は俗世と離れすぎた。もう、研究者としてしか生きられないのだよ。」

「そんなことはない。」

「そうかね。では、君は犯罪者の再犯率を知っているかね。」

「知らないです。」

「約30%だ。軽犯罪含めて。10人に3人が一度罪を犯して再度罪を犯している。犯罪者は犯罪をやめられない。車のスピード違反だって何度も違反してしまう人がこの社会に何人いると思う。君が言っていることは全く根拠のない空想だよ。」

「くっ。」

 僕は言い返すことができなかった。油野はニヤニヤとしながら続けた。

「社会には、そういった救われない人たちがいる。そんな人たちを救うのが我々ブルーガーデンの使命なのだよ。君も見ただろう。この境界の近くの工業特区を。あれは、救われなかった人たちを正規社員として雇用するために作られた特区だよ。彼女の両親もそこで働いている。我々を否定することで、君は社会の闇を肯定することになるんだよ。」

僕は、どう言っていいかわからなかった。すると、後ろのエレベーターから男女二人が入ってきた。

「未来。本当なのか。ブルーガーデンを抜けたいというのは。」

「未来ちゃん。なんて事いうの。」

「お父さん、お母さん。」

未来の父と母だった。母親はどことなく未来に似ている。

「聖過さん。今朝晴さん。お宅の娘さんが変な男に誑かされているようだ。」

「油野さん。ありがとうございます。ほら帰るぞ。こんな男に騙されて。」

未来の手が掴まれて連れていかれようとする。嫌がる未来は大声で叫んだ。

「やめて。私はこんな宗教から抜け出したいの自由になりたいの。お父さんもお母さんもおかしいじゃない。こんな宗教に。みんなの普通が私には通じない。私もみんなみたいに友達と遊びたい。恋もしたい。アルバイトだってしてみたい。大学だって普通の大学に行きたいの。」

「何をウチの娘に言ったんだ。」

未来の父が僕に殴りかかってきた。僕は防御の姿勢をとるが、未来がそれを止めた。

「私はこの人が好きなの・・・・。傷つけるのはやめて。」

未来は今にも泣き出しそうだった。未来の父親は拳を下げ静かに未来に尋ねた。

「なんでその男のことをそんなに庇うんだ。なんでブルーガーデンをやめようなんて。」

「私は、ずっと嫌だった。生まれた時から宗教、宗教って。イベントごとにはついてくるし、献金や礼拝だって私はしたくない。普通に生きたいの。お父さんとお母さん達の趣味を私にまで押し付けないで。」

未来いつになく感情的に叫んだ。そんな未来に両親は困惑しているようだった。

「ブルーガーデンなしでどうやって生きていくんだ。ブルーガーデンを抜けると言うことは私たちとの、家族の縁を切ることだぞ。」

「私、一人で生きていくから平気だもん。」

「そんなバカな話があるか。どうやって生活していくんだ。」

「アルバイトしながらお金を貯めて就職する。」

「お前が言っているほど、社会は甘くない。」

未来の父親の人生について聞いてしまっていたからこそ、この言葉の意味が深く理解できた。大学院まで進学して、なかなか就職できなかった未来の父親だからこそ言える重たい言葉だった。でも、僕なら未来を支えられる。この時の僕は確信していた。

「未来は、僕が支えます。一生。」

「何処の馬の骨かもしれないお前に娘を任せろと言うのか。」

未来の父親が、僕の方をキリリと睨む。すると、油野が割って入ってきた。

「まあまあ、そこらへんにしましょうか。この若僧くんだってバカじゃない、あの東大生だ。ちゃんと考えてここまできている。まあ、恋は人を盲目にさせるともいうが。」

うるさいやつだ。どこで僕の情報を調べてきたんだ。

「しかし、油野さん。ウチの娘が・・・・。」

「いいじゃないですか。むしろ、この二人には身をもって体験してもらうと言うのは。ここまで我々を否定しているんだ。それなら、いかに社会という鳥籠が険しいものかを感じてもらえばいい。」

油野は薄ら笑いを浮かべながら僕らの方を見ていた。

「油野さんがそういうなら。」

未来の父親も少し不満そうだったが納得した。

「少しでも辛いと思ったら帰ってくるのよ。」

未来の母親も少し不満そうだったが優しく未来に囁いた。そして、油野は僕の目を見ていった。

「争ってみるといい。打ちのめされてくるといい。そして、ブルーガーデンが如何に幸せな楽園であるか気づいた時、またここにくるといい。」

「そんな日はこない。絶対に。僕らは僕ら自身で楽園を築いてみせる。」

僕は断言した。こんな奴らの言っていることが真実な訳がない。僕らが教会を立ち去っていくと不気味な笑い声が僕の背中を襲ってきた。

「はははっははアッハッハはあはあはっっはっはっっはっははっはっはっははあはっははははははははははははっ母はっはあははっはっはっははははははははははっははっはっははっっはははははっはっははっはっはっははっははっははっはあはっはははははっはっは母ははははっはっはははっははあっっっははっっはっっははっっはっ」

脂っこい笑い声に見送られ、僕らは鳥籠を去った。これから自由な世界が待っている。二人で過ごす未来が。

「今日はありがとう。」

未来が帰りの電車で僕に話しかけてきた。

「こちらこそ、でかいこと言ってた割に途中で全然だった。」

「君がいてくれたからこうやって私は自由になれた。」

「そんなことないよ。にしても疲れた。今日は美味しいものでも食べようか。何食べたい。」

「うーん。ファミレスの大盛りポテト。」

未来が笑いながら言った。

「なんだよ。そこは焼肉とかお寿司とか景気よく行こうよ。」

「でも、君といくならどこでもいいんだよ。」

この日から未来と僕は同棲を始めた。それからしばらくして、未来が記念日はクリスマスがいいということもあって20XX年12月25日のクリスマス。僕らは本当に付き合い始めたのだった。


 このくらいで思い出に浸るのはやめにしよう。じゃないとそろそろ大学の講義に遅れてしまう。そう思いながら僕は、大学へと急いだ。途中不意に顔に手をやると髭を剃り忘れていた。ちくちくとする髭が僕の体が生きているということを教えてくれる。アルコールが抜けていないこともあって、足取りが少しおぼつかない。瓦解した世界に挨拶をされてもそれが挨拶なのかお休みなのかわからない。そんな感覚だった。教室に着くと、いつも通りの光景が広がっていた。講義室は節電の影響で冷房が弱めに設定されており、少し暑かった。まだ、真夏ではないものの冷房が必要なくらいには暑かった。各々下敷きや団扇、ハンド扇風機で涼んでいた。僕は、真ん中より少し後ろの席につき、教科書を広げた。

「大丈夫。」

横から黒奈が僕に言ってきた。昨日の今日だ。

「ごめん。昨日は。」

「謝らないで。私にも非はあるわ。でも、あんなことになるなんて思わなかったわ。」

黒奈は僕の席の隣に座った。明らかに僕が窶れているのを見てか、一緒にお昼でもどうと誘ってくれた。僕も一人でいると狂ってしまいそうになるので一緒にお昼ご飯を食べることにした。午前中の講義は、ほとんど頭に入ってこなかった。そんな中、僕と黒奈は四川風の坦々麺が食べられるお店でお昼を食べることにした。

「未来ちゃん。ブルーガーデンの信者だったのね。」

席に着くなり、黒奈は僕に言ってきた。僕は驚いた。

「なんで黒奈が知ってるの。」

「お父さん。警察だって言わなかったけ。昨日、お父さんに聞いたの。」

「そうだったね。」

「ごめんなさい。別に、ブルーガーデンだから未来ちゃんがどうこうって話じゃないの。」

「うん。分かってる。」

僕は小さく頷いた。そして、今朝浸っていた思い出話を黒奈に語った。この話を聞いている間、黒奈は小さく相槌を打ちながら僕の話を聞いてくれていた。

「・・・という理由だったんだ。」

「そんな理由があったのね。ありがとう。話してくれて。」

「お待たせしました。坦々麺2つです。」

話が丁度終わったところで坦々麺が運ばれてきた。あつあつの坦々麺を啜る。ピリ辛かつ濃厚なスープに絡まった腰のある麺が、僕の空白を埋めていくような感覚だった。

「美味しいわね。この坦々麺。」

「うん、麺の腰といい、辛さとスープの濃厚さが丁度いい。」

すると黒奈が笑いながら僕にいった。

「いつも通りのセレンくんね。」

「どういうこと。」

「食レポが素敵ってことよ。」

黒奈はそう言って坦々麺を啜った。

「午後の講義、すっぽかさない。」

黒奈が提案してきた。僕は正直今日は講義を受けても無駄だと思っていたので二つ返事でOKを出した。

「すっぽかして何するの。」

僕が尋ねると黒奈は所沢とだけ言って京浜東北線に乗った。途中、キヨスクで飲み物を買って電車に揺られた。

「所沢とか初めていくんだけど。」

「私も初めてよ。」

「ええ。言ったことあるんじゃないの。」

「行ったことある場所行ってもつまらないじゃない。」

黒奈の行動力に驚かされた。思えば黒奈には驚かされてばかりだ。初めて出会った時もそうだった。


 あれは、僕と先輩と剣崎はサウナフェスを開こうとしていた時のことだった。いざ開催しようとしたものの運営に女性がいないのは問題だということになっていた。もし、女性がトラブルを抱えたときの対応を野郎3人で対応するのは厳しいものがあった。それに、SNSで呼びかけをする際に女性がいた方が広告的にもウケがいいと。しかし、なかなか女性のサウナ好きを見つけるの難しかった。男女で分かれるサウナにおいて女性と会うことはほとんどないためだ。そこで、先輩が何を狂ったのかナイトプールに行こうと行った。僕と剣崎はあまり乗り気じゃなかったが先輩が熱く熱弁するもんだから折れてしまった。

 ナイトプールは煌びやかな女子たちでいっぱいだった。先輩は片っ端からナンパしていた。おいおい、メンバー探しにきたんじゃないのかよと呆れた僕が椅子に座っていると横に黒奈が座ってきた。先輩は当てにならないし、剣崎はガチで普通に泳いでいる。仕方ない、僕がメンバーの勧誘をしようと黒奈に話しかけるとナンパと勘違いされて一捻りされた。その光景を遠くから見ていた先輩が大笑いしながら飛んできた。そして先輩がこの護身術がある女性運営なんて心強いと先輩が見事にスカウトしたのだった。黒奈も最近サウナにハマったらしく、先輩のスカウトに応じてくれた。

 これが僕と黒奈の出会いだった。未来と違ってすごく痛い出会いだった。Vol.1

「ーのぞみ88号、間もなく発車いたします。ドア付近のお客様ご注意ください。次の停車駅はー。」

 年末ということもあり、新幹線を待つ駅のホームはとても混雑していた。キヨスクでコーヒーと卵サンドを買って指定席に座る。自由席の方を軽く見たが、立っている人もおり乗車率の高さに驚いた。まあ、これを見越して指定席を取ったのだが。地元に帰る時、普段は飛行機を使用するのだが、値段が普段の2倍近くする。そのため年末の帰省は新幹線で帰ることにしている。昨日凛が自殺してしまったことを知った僕は、複雑な心境を抱えながら、僕は新幹線に乗っている。窓から見える景色を見ながら僕はコーヒーと卵サンドを食べた。新幹線に乗るときは大体この組み合わせだった。僕は、小学生の頃から卵サンドが好きだった。ポテトサラダやツナ、チーズではなく、ずっと卵サンドばかり食べていた。僕は、卵サンドに舌鼓を打ちながら本を読むことにした。あの小説の続きを。彼は、大切な人を失って何を想い、どう行動するのか。僕は気になった。卵サンドで少し汚れた指をウエットティッシュで拭き、カバンから本を取り出した。




 警察を後にした僕は、自宅に戻り冷蔵庫にあるハイボールを飲んだ。苦いな。どうしようもない気持ちにお溺れながらハイボールを一口、また一口と飲んだ。不意にあの時の情景がフラッシュバックする。未来が一瞬にしてマネキンのように消えていったあの情景が。受け入れたくない現実に、自分が未来をどれだけ好きだったかを認知していく。しかし、不思議と涙は出なかった。なんでだろう。とても悲しいはずなのに。その答えを考えているといつの間にか僕は寝ていた。

 朝起きると、警察から連絡があった。未来の葬儀は家族で行うそうだと。僕は、未来にもう会うことは出来なかった。それが、彼女の両親が信仰しているブルーガーデンのやり方だった。身内が亡くなった時は、教会で葬儀を行うのが決まりだった。まあ、それもあるが僕と未来の両親の間には一悶着あったので、それが原因なのも否めない。僕は、二日酔いであまり働いていない脳を動かしながら思い出した。


 あれは未来と本当に付き合う前。銀杏並木が黄色に染まる秋だった。僕と未来は、二人でデートをしていた。この頃はまだ、二人で同棲する前だった。未来と出会ってから隔週でデートを行なっていた。映画に行ったり、水族館に行ったり、カフェでお喋りなど普通のカップルのようなことをしていた。一つを除いては。

 僕と未来はスターバックスの新作フラペチーノが発売されるということもあり、近所のスターバックスに来ていた。店は僕ら同様に新作のフラペチーノを求めて大勢が訪れていた。MacBookをカタカタしながらコーヒーを飲む通称意識高い系もちらほらおり、店内での飲食はできなかったため、僕らは外のテーブルで飲むことにした。

「流石に寒くなっってきたね。」

未来がフラペチーノを飲みながらいう。それに対して、僕も同じフラペチーノを飲みながら答える。

「確かに、もうそろそろで冬だね。」

ここ最近、未来はよくブルーガーデンの話を愚痴るようになっていた。当初は口にするのを怖がっていたが、僕に対して親密度が高くなったせいだろう。今では、普通の女子大生がアルバイト先の店長の愚痴でもこぼすような感覚で話している。そろそろクリスマスの予定でも立てるか。と僕が話しかけると未来は気まずそうに眉を顰めた。

「クリスマスなんだけど。私、君とは一緒に入れないの。」

僕がどうしてかと尋ねると、未来はさらに気まずそうに答えた。

「実は、ブルーガーデンはクリスマスに協会に集まり儀式?のようなものをするの。行きたくはないんだけど。」

「じゃあいかなければいいじゃん。すっぽかしちゃいなよ。」

「・・・。」

未来は俯いたまま黙っていた。

「無理にとは言わないけど。本当に行きたくないなら行かなければいいよ。」

未来は、フラペチーノを握りしめながら、僕の目を見て尋ねた。

「私たちって付き合ってるよね。」

僕は、もちろんと頷く。すると、未来は少しホッとしたような、決意を決めたような顔をした。僕は、何を言おうとしているのか想像もつかなかったが、未来が言葉を発するのを待った。

「じ、実はね。ブルーガーデンでは、入信者と付き合う場合はその相手も入信しなくてはならない。そういう決まりなんだ。」

未来は唐突に僕に話してきた。なんたらフラペチーノを片手に話す会話ではない。北風が僕らの頬を撫でる。だいぶ肌寒くなってきただろうか。

「僕は、入信する気はないかな。」

「そうだよね。」

未来は僕の答えを予想していたのだろうか。小さく心細そうにつぶやいた。僕は、フラペチーノを飲んで心を落ち着け、小さく息を吸い、未来の目を見る。

「だから、君に辞めてもらう。ブルーガーデンから。」

「えっ。本気で言ってるの。」

「本気だよ。」

僕はここ数週間、ずっと考えていた。未来がこんなにこの宗教に囚われているのなら、僕がその鳥籠から出してやると。

「でもどうやって。親は二人とも信者だし、大学だって・・・。」

未来は動揺していた。僕は冷静にだが熱を持って応えた。

「親には一緒になって説得しよう。大丈夫、僕がついてる。」

「ありがとう。」

未来は涙を浮かべて喜んだ。そして、僕らは、数日後に未来の籠に行くことになった。場所は、ブルーガーデンの川崎にある教会。僕と未来は電車で川崎に向かった。場所は羽田空港の近くで工業特区として最近開発されている。そんな中に不自然に建つ教会が印象的だった。いくらかかっているのだろう。未来の父もこの近くの食品研究所で働いているらしい。ここら辺の企業は全て教団の息がかかっているのだろう。莫大な資金を企業利益から得ている。「うまく出来ているよ。」僕は皮肉を吐き捨てた。

「ここが教会だよ。」

「うん。みればわかるね。」

「でも、なんでこんなに私のためにしてくれるの。」

「いや、教会の愚痴聞かされるのはうんざりだし、未来の笑顔が見たいからかな。」

「君はたまにキザなこというよね。」

未来はとても嬉しそうだった。僕は、そんな未来を連れて教会へと足を運んだ。教会施設は意外とモダンであった。大理石でできたフロントにキレイな絨毯。まるでホテルのような作りだった。外見はまるっきし教会なのに。

「こんにちは、未来さん。そちらの方がセレンさんですか。」

教会に入ると受け付けのような人が話しかけてきた。名前は佐々木美紀。背の高いスリムな女性だった。

「そうです。教団長に会いたいのですが。大丈夫ですか。」

「もちろん。新たな入信者には歓迎ですよ。」

佐々木さんは、僕らをエレベーターまで案内して笑顔で見送った。エレベーターが登る最中、未来のリュックを見ると青い十字架をつけていた。

ピンポーン。甲高い音とともにエレベーターのドアが開いた。ホールのような場所になっており、よくある教会の風景が広がっていた。第7教会と書かれていた。教会に一人の男性が僕らの到着を待っていた。

「おやおや、そちらの青年が新しくブルーガーデンに入団したいという子かな。」

50代前半と思われる少し白髪まじりの男性が話しかけてきた。僕らが黙っていると男性が続けた。

「そんなに怖がらなくてもいいんだよ。私の名前は、油野裕象。教祖様よりこの第七教会の管理統括を任されている。」

彼は自己紹介を行い僕らを手招いた。僕らも言われるがままに足をすすめた。なんだろう、近づくと変な匂いがした。なんだろう。未来は震えていた。

「どうしたの。未来。」

「大丈夫。なんでもないから。」

僕は未来の震える手を握って安心させた。

「素晴らしい。愛とは美しい。まあ、私に恐怖するのも無理はない。彼女の聖杯は私だったからね。」

油野はうんうんと頷きながら言った。

「セイハイ?一体なんです。」

「多弁は銀、沈黙は金という言葉があるだろう。そういうことさ。君がブルーガーデンに入団すれば直にわかるさ。」

意味深な言葉に僕は少し疑問をもった。未来が早く終わらせようという目で僕の方を見てきたので、僕は本題について話し始めた。

「少し勘違いをされているようですね。僕はここに、ブルーガーデンに入団するために来たわけじゃなくて逆に未来をやめさせるために来ました。」

油野は驚いたような表情を浮かべたが、すぐに笑い始めた。

「ははははあっ。面白いことを言う青年だ。ここを止める。」

「そうです。今すぐにでも。」

「彼女の両親にはどう説明する。」

「説得します。娘さんの自由意志を尊重させてくださいと。」

「君は、知っているかね。彼女の両親がどれほどブルーガーデンに心酔しているかを。」

「知りません。」

「全く夢物語を話してくれるよ。若いというか。」

油野は教会の中央に歩いて行った。そしてステンドグラスから伸びる木漏れ日に照らされて話を続けた。

「彼女の両親は、優秀な研究者だよ。大学院博士課程まで進学し、遺伝子工学に精通した学生だった。特に、彼女の父の書いた論文は素晴らしかった。Crispr Casを用いいたものは、科学雑誌の最高峰であるnature誌に載ったのは有名な話だ。たかが地方Fラン大学だったが業界では神童と称えられていた。そんな優秀な彼は大学で教授になろうとしていた。同じ研究室の後輩である彼女の母と結婚を誓ってね。しかし、大学教授のポストが開かないと言うことで彼は教授になることはできなかった。かといって一般企業では地方Fラン大学ということで足切りにあった。ましてやリーマンショックの時代だ。就職氷河期の彼等は非正規雇用であるポスドクとして働くことになった。研究をしながらポストが開くまで働き続けるということだよ。」

「確かに、非正規雇用は大変だが、研究ができてよかったじゃないですか。」

僕は油野の話に何が問題があるのかわからなかった。

「よかった?だと。君は馬鹿なのか。」

油野は、僕に怒りを向けた。馬鹿なんて久しぶりに言われた。

「非正規雇用なんて碌なもんじゃない。今でこそ、しっかりとした補償がつきつつあるが、当時の非正規雇用なんて。彼等がここに助けを求めてきた時、どれほど衰弱していたか。」

「それが、宗教のやり方だろう。衰弱した心に漬け込む。」

「彼等は自らこのブルーガーデンに来たのだ。矯正したわけではない。」

この手のやり口を僕は知っている。教会推進派がこういった社会的弱者を支援する理由は、信者を増やすためだ。社会的弱者は入信者予備軍と呼ばれ、マークされている。

「じゃあなんで社会的弱者を支援する行為を続けているんだすか。」

「人が苦しんでいる時に手を差し伸べる善意をなぜ君は嫌悪するのだ。」

「それを世間では偽善っていうんですよ。」

「社会に対しては無知だが、弁は立つようだね。」

油野は笑いながら近くの椅子に座った。そして話を続けた。

「話を戻そう。彼女の両親の。」

「まだ続くんですか。」

僕は少し苛立ちを覚えた。この話になんの意味があるのだろうか。完全に相手のペースに流されている。油野は身振りを入れながら熱く語り始めた。

「非正規雇用の現実は過酷さ。社会保険にも入れない。給料も安い。ボーナスもない。研究室の教授の雑務を行わされ碌な研究時間はない。科研費や各種助成金の申請のための書類作成にも時間は取られる。休みなんてほとんどなく盆正月くらい。残業という概念がなく、毎日火が昇る前に帰宅し、お風呂に家に帰るそんな毎日を過ごしていた。30歳を目前に彼等は考えた。このままでいいのだろうかと。先行きの見えない不安に怯えて暮らす生活にうんざりしていたのだよ。」

「職は他にもあるじゃないか。別に宗教に入らなくても。」

「博士課程まで進学した研究者は俗世と離れすぎた。もう、研究者としてしか生きられないのだよ。」

「そんなことはない。」

「そうかね。では、君は犯罪者の再犯率を知っているかね。」

「知らないです。」

「約30%だ。軽犯罪含めて。10人に3人が一度罪を犯して再度罪を犯している。犯罪者は犯罪をやめられない。車のスピード違反だって何度も違反してしまう人がこの社会に何人いると思う。君が言っていることは全く根拠のない空想だよ。」

「くっ。」

 僕は言い返すことができなかった。油野はニヤニヤとしながら続けた。

「社会には、そういった救われない人たちがいる。そんな人たちを救うのが我々ブルーガーデンの使命なのだよ。君も見ただろう。この境界の近くの工業特区を。あれは、救われなかった人たちを正規社員として雇用するために作られた特区だよ。彼女の両親もそこで働いている。我々を否定することで、君は社会の闇を肯定することになるんだよ。」

僕は、どう言っていいかわからなかった。すると、後ろのエレベーターから男女二人が入ってきた。

「未来。本当なのか。ブルーガーデンを抜けたいというのは。」

「未来ちゃん。なんて事いうの。」

「お父さん、お母さん。」

未来の父と母だった。母親はどことなく未来に似ている。

「聖過さん。今朝晴さん。お宅の娘さんが変な男に誑かされているようだ。」

「油野さん。ありがとうございます。ほら帰るぞ。こんな男に騙されて。」

未来の手が掴まれて連れていかれようとする。嫌がる未来は大声で叫んだ。

「やめて。私はこんな宗教から抜け出したいの自由になりたいの。お父さんもお母さんもおかしいじゃない。こんな宗教に。みんなの普通が私には通じない。私もみんなみたいに友達と遊びたい。恋もしたい。アルバイトだってしてみたい。大学だって普通の大学に行きたいの。」

「何をウチの娘に言ったんだ。」

未来の父が僕に殴りかかってきた。僕は防御の姿勢をとるが、未来がそれを止めた。

「私はこの人が好きなの・・・・。傷つけるのはやめて。」

未来は今にも泣き出しそうだった。未来の父親は拳を下げ静かに未来に尋ねた。

「なんでその男のことをそんなに庇うんだ。なんでブルーガーデンをやめようなんて。」

「私は、ずっと嫌だった。生まれた時から宗教、宗教って。イベントごとにはついてくるし、献金や礼拝だって私はしたくない。普通に生きたいの。お父さんとお母さん達の趣味を私にまで押し付けないで。」

未来いつになく感情的に叫んだ。そんな未来に両親は困惑しているようだった。

「ブルーガーデンなしでどうやって生きていくんだ。ブルーガーデンを抜けると言うことは私たちとの、家族の縁を切ることだぞ。」

「私、一人で生きていくから平気だもん。」

「そんなバカな話があるか。どうやって生活していくんだ。」

「アルバイトしながらお金を貯めて就職する。」

「お前が言っているほど、社会は甘くない。」

未来の父親の人生について聞いてしまっていたからこそ、この言葉の意味が深く理解できた。大学院まで進学して、なかなか就職できなかった未来の父親だからこそ言える重たい言葉だった。でも、僕なら未来を支えられる。この時の僕は確信していた。

「未来は、僕が支えます。一生。」

「何処の馬の骨かもしれないお前に娘を任せろと言うのか。」

未来の父親が、僕の方をキリリと睨む。すると、油野が割って入ってきた。

「まあまあ、そこらへんにしましょうか。この若僧くんだってバカじゃない、あの東大生だ。ちゃんと考えてここまできている。まあ、恋は人を盲目にさせるともいうが。」

うるさいやつだ。どこで僕の情報を調べてきたんだ。

「しかし、油野さん。ウチの娘が・・・・。」

「いいじゃないですか。むしろ、この二人には身をもって体験してもらうと言うのは。ここまで我々を否定しているんだ。それなら、いかに社会という鳥籠が険しいものかを感じてもらえばいい。」

油野は薄ら笑いを浮かべながら僕らの方を見ていた。

「油野さんがそういうなら。」

未来の父親も少し不満そうだったが納得した。

「少しでも辛いと思ったら帰ってくるのよ。」

未来の母親も少し不満そうだったが優しく未来に囁いた。そして、油野は僕の目を見ていった。

「争ってみるといい。打ちのめされてくるといい。そして、ブルーガーデンが如何に幸せな楽園であるか気づいた時、またここにくるといい。」

「そんな日はこない。絶対に。僕らは僕ら自身で楽園を築いてみせる。」

僕は断言した。こんな奴らの言っていることが真実な訳がない。僕らが教会を立ち去っていくと不気味な笑い声が僕の背中を襲ってきた。

「はははっははアッハッハはあはあはっっはっはっっはっははっはっはっははあはっははははははははははははっ母はっはあははっはっはっははははははははははっははっはっははっっはははははっはっははっはっはっははっははっははっはあはっはははははっはっは母ははははっはっはははっははあっっっははっっはっっははっっはっ」

脂っこい笑い声に見送られ、僕らは鳥籠を去った。これから自由な世界が待っている。二人で過ごす未来が。

「今日はありがとう。」

未来が帰りの電車で僕に話しかけてきた。

「こちらこそ、でかいこと言ってた割に途中で全然だった。」

「君がいてくれたからこうやって私は自由になれた。」

「そんなことないよ。にしても疲れた。今日は美味しいものでも食べようか。何食べたい。」

「うーん。ファミレスの大盛りポテト。」

未来が笑いながら言った。

「なんだよ。そこは焼肉とかお寿司とか景気よく行こうよ。」

「でも、君といくならどこでもいいんだよ。」

この日から未来と僕は同棲を始めた。それからしばらくして、未来が記念日はクリスマスがいいということもあって20XX年12月25日のクリスマス。僕らは本当に付き合い始めたのだった。


 このくらいで思い出に浸るのはやめにしよう。じゃないとそろそろ大学の講義に遅れてしまう。そう思いながら僕は、大学へと急いだ。途中不意に顔に手をやると髭を剃り忘れていた。ちくちくとする髭が僕の体が生きているということを教えてくれる。アルコールが抜けていないこともあって、足取りが少しおぼつかない。瓦解した世界に挨拶をされてもそれが挨拶なのかお休みなのかわからない。そんな感覚だった。教室に着くと、いつも通りの光景が広がっていた。講義室は節電の影響で冷房が弱めに設定されており、少し暑かった。まだ、真夏ではないものの冷房が必要なくらいには暑かった。各々下敷きや団扇、ハンド扇風機で涼んでいた。僕は、真ん中より少し後ろの席につき、教科書を広げた。

「大丈夫。」

横から黒奈が僕に言ってきた。昨日の今日だ。

「ごめん。昨日は。」

「謝らないで。私にも非はあるわ。でも、あんなことになるなんて思わなかったわ。」

黒奈は僕の席の隣に座った。明らかに僕が窶れているのを見てか、一緒にお昼でもどうと誘ってくれた。僕も一人でいると狂ってしまいそうになるので一緒にお昼ご飯を食べることにした。午前中の講義は、ほとんど頭に入ってこなかった。そんな中、僕と黒奈は四川風の坦々麺が食べられるお店でお昼を食べることにした。

「未来ちゃん。ブルーガーデンの信者だったのね。」

席に着くなり、黒奈は僕に言ってきた。僕は驚いた。

「なんで黒奈が知ってるの。」

「お父さん。警察だって言わなかったけ。昨日、お父さんに聞いたの。」

「そうだったね。」

「ごめんなさい。別に、ブルーガーデンだから未来ちゃんがどうこうって話じゃないの。」

「うん。分かってる。」

僕は小さく頷いた。そして、今朝浸っていた思い出話を黒奈に語った。この話を聞いている間、黒奈は小さく相槌を打ちながら僕の話を聞いてくれていた。

「・・・という理由だったんだ。」

「そんな理由があったのね。ありがとう。話してくれて。」

「お待たせしました。坦々麺2つです。」

話が丁度終わったところで坦々麺が運ばれてきた。あつあつの坦々麺を啜る。ピリ辛かつ濃厚なスープに絡まった腰のある麺が、僕の空白を埋めていくような感覚だった。

「美味しいわね。この坦々麺。」

「うん、麺の腰といい、辛さとスープの濃厚さが丁度いい。」

すると黒奈が笑いながら僕にいった。

「いつも通りのセレンくんね。」

「どういうこと。」

「食レポが素敵ってことよ。」

黒奈はそう言って坦々麺を啜った。

「午後の講義、すっぽかさない。」

黒奈が提案してきた。僕は正直今日は講義を受けても無駄だと思っていたので二つ返事でOKを出した。

「すっぽかして何するの。」

僕が尋ねると黒奈は所沢とだけ言って京浜東北線に乗った。途中、キヨスクで飲み物を買って電車に揺られた。

「所沢とか初めていくんだけど。」

「私も初めてよ。」

「ええ。言ったことあるんじゃないの。」

「行ったことある場所行ってもつまらないじゃない。」

黒奈の行動力に驚かされた。思えば黒奈には驚かされてばかりだ。初めて出会った時もそうだった。


 あれは、僕と先輩と剣崎はサウナフェスを開こうとしていた時のことだった。いざ開催しようとしたものの運営に女性がいないのは問題だということになっていた。もし、女性がトラブルを抱えたときの対応を野郎3人で対応するのは厳しいものがあった。それに、SNSで呼びかけをする際に女性がいた方が広告的にもウケがいいと。しかし、なかなか女性のサウナ好きを見つけるの難しかった。男女で分かれるサウナにおいて女性と会うことはほとんどないためだ。そこで、先輩が何を狂ったのかナイトプールに行こうと行った。僕と剣崎はあまり乗り気じゃなかったが先輩が熱く熱弁するもんだから折れてしまった。

 ナイトプールは煌びやかな女子たちでいっぱいだった。先輩は片っ端からナンパしていた。おいおい、メンバー探しにきたんじゃないのかよと呆れた僕が椅子に座っていると横に黒奈が座ってきた。先輩は当てにならないし、剣崎はガチで普通に泳いでいる。仕方ない、僕がメンバーの勧誘をしようと黒奈に話しかけるとナンパと勘違いされて一捻りされた。その光景を遠くから見ていた先輩が大笑いしながら飛んできた。そして先輩がこの護身術がある女性運営なんて心強いと先輩が見事にスカウトしたのだった。黒奈も最近サウナにハマったらしく、先輩のスカウトに応じてくれた。

 これが僕と黒奈の出会いだった。未来と違ってすごく痛い出会いだった。

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