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考える人たち

noteいつも見てじんわりしてるよ
言葉を書くってすごいなぁ、って思いながら!!
小さい頃とか中高生の頃とか、どうでも良いことをお風呂の中で難しく考えて、大発見したつもりになったり。そういうの、人に話すの恥ずかしいとか、皆に知って欲しい自分じゃないとか、今でもそんな事の繰り返しだから。ひっそり共感して満たされています。ありがとう

1年ほど前、高校の同級生にインスタグラムのDMで送った内容。彼女は実名でnoteに投稿していて、インスタグラムのプロフィール欄にURLを表示していた。素敵な事を考えたり、それを人に話したりすることが日常の中にあるひと。


高校時代、クラスには個性的な人が沢山いた。とても沢山。
難しく言葉にする事が好きだったり、概念とかそういう、大きなものについて考えたりする人たち。沢山の宿題と課外授業と模試、それから行事の合間にそういう事を考えて、そして口にする事が出来る人たち。
夏休みになんでも好きに書く課題があって、それが毎年製本されて配られていたけれど、彼らはその中でも自由だった。

私はというと、難しいこと考えている、という事をほんの少しだけ馬鹿にしていた気がする。壮大な事を考えて尤もらしい事を言う青少年、というのはダサいと思ったから。もしも、私が世界や宇宙、社会の仕組みについて考えていると口にしたら?他のクラスの子は何というだろう?やっぱり変わっているね、なんて言われちゃう。私は変わっている子の多いクラスの中で比較的「まともで普通」の女の子でいたい。思春期特有の自意識過剰、羞恥心、何の衒いもなく自分の考えを言える人たちへの妬み、それらがごちゃ混ぜになって、作りだした「まともで普通」な私の言動はとても痛々しかった。誰とも共有せず、ひっそりと生み出す思考は酷く自己完結で広がりを持たないものだ。今でも。


だから、インスタグラムのプロフィールに自分のnoteを置いた彼女はとても眩しくて、変わらずに考え続けて言葉にできる事がやっぱり羨ましかった。
彼女のインスタグラムにもうnoteは置かれていない。こっそりと検索したそれは随分と更新されていないようだから、彼女はもうnoteでは発信してくれないかもしれない。それでも、どんなに日常が忙しなく続いていたとしても、彼女は世界から受け取ったものについて考え、自分のものにしていると思う。そうして親しい人に、彼女の世界をお裾分けしているんだろうな。


同じ教室にいた、特別難しいことを考えていた彼は、若手哲学研究者として生きていると噂で聞いた。概念とか社会とか、そんな事を考え続けていたって正解に辿り着くはずがない、と思っていたのに。彼は今、世界を構成する論理の端っこを掴んでいる。
もしかしたら端っこどころじゃ無いかも。
1ミリもそういう話をしなかった、まともな会話すらした事がなかった、これからも会う事もないだろう彼に見えている世界に私はやっぱり嫉妬する。



考え続けている彼らの人生を覗き見した気分になって、考える機会を手放した私は思わずくしゃみをしたくなった。どこかの詩人みたいに。

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