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「もうひとりの編集部の話」②『DISTANCE』の生まれた日

2020年春、これから始まる大学院生活に胸を膨らませていた私でしたが、コロナ禍をきっかけに休学することにしました。

休学とは言っても、ただコロナ禍をやりすごすことが第一義だったので、何か特別な勉強とか、留学とか、とりわけやりたいこともやるべきことありませんでした。一方そんな日々がのんべんだらりと過ぎてくうちに、「このままではこの一年を本当に無駄に過ごしてしまうのではないか」という危機感と、「この特殊なコロナ禍を何かしらの作品に落とし込みたいな」という制作意欲が膨らんでいきました。

大学卒業からほとんど人とコミュニケーションを取らずに2ヶ月ほどがたった5月の夜、布団の中で突然「このコロナ禍で過ごす人々に取材した雑誌をつくってみるのはどうだろう」というアイデアが湧いてきました。いま思えばありふれた何の捻りもない考えですが、その時はとても興奮し、飛び起きてすぐにアイデアをメモしたことを覚えています。ZINEなら、グラフィックデザインを勉強している自分のスキルアップにはもってこいだし、なにより、このコロナ禍という超異常事態を、自らの手で紙媒体に記録することに大きな意義があるように感じたのです。

そんな思いつきからアイデアを煮詰めていったわけですが、これまで自分で本や冊子を何度か作ったことのある経験から、インタビュー雑誌となれば、文字起こし、編集、校正……と作業量がとてつもないものになることは容易に想像できました。

「さすがに一人で文字メインの雑誌を定期刊行するのは厳しいかもしれない」そう思ったときに思い出したのが中高の同級生だった村上くん。浪人して大学院に進んで休学した私と違って、彼は現在一般企業に勤めるサラリーマン。大学時代には自分で雑誌を作っていて、私は一度ロゴマーク作りを手伝ったことがあったのでした。彼なら手伝ってくれるかも。でも彼はもう社会人だしなぁ。そう思いつつダメ元で連絡をとると思いがけずOK。そうして、いよいよここから雑誌制作が本格的に始まったのでした。

さて次回は、この小さな思いつきが実際に一冊のZINEになるまでの物語。
お楽しみに。

(つづく)

「村上くんを誘ったときのライン。かなりふわっとした誘いだったにもかかわらず二つ返事でOKしてくれた」

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