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オラファー・エリアソンの個展を見て家庭科の授業を思い出した/「オラファー・エリアソンときに川は橋となる」@東京都現代美術館

美術館を訪れるのが楽しみになったのはいつからだろう?子どもの頃、自ら行きたくて行ったのはエッシャー展ぐらいだった気がする。自主的に美術館に行くようになったのはごく最近だ。


今回の「オラファー・エリアソン ときに川は橋となる」は特に楽しみにしていた。新型コロナの影響で移動の自由が無くなり、美術館も休館になった影響で2カ月近くリアルなアートに触れる機会が無かったためである。緊急事態宣言中に科博の「特別展 和食」など中止になってしまった展覧会もあって、枕を濡らした時も幾度となくあった(さすがにそれは言い過ぎだ)。そんなわけで、久々の美術館である。

氷と一緒に作った作品⁉


エスカレーターを降りると、お決まりの導入ボード。オラファー・エリアソンが環境問題に興味があるオジサンであるということはなんとなくわかるのだけれど、それをどうやって作品に落とし込んでいるのかなかなか想像がつかない。

サッと読んで、くるっと振り返ると3枚の絵。こ、これは……よくわからない。パッと見、絵なのか色のついたシミなのかわからない。気の利いた感想も出てこない。こういう時は解説を読むに限る。どうやら氷との共同制作作品だそう。念のため言っておくと氷君からニョキっと手が生えて、筆を握って描いたわけではない。紙の上に置かれた氷が解けて、顔料と混ざっていくことでこうした作品ができあがるといことらしい。早速、そんな方法があったか!な作品に出会いワクワク。

移動手段も表現の1つ。


斜向かいの壁に掛けられたドローイングは「クリティカルゾーンの記憶」。円の中に不規則に線が引かれたた絵が12枚。う~ん難解。パンフによると今回出展された作品はCO2排出量の多い飛行機ではなく、鉄道や船などで運ばれてきたらしい。この作品はそうした移動中の揺れとか、動きを記録する装置によって描かれている。線の本数が多く、複雑に引かれれば引かれる程、旅路の長さが意識される。輸送過程を動画に撮って流すこともできたはずだけど、こうして間接的に表現するところが素敵ですね!


COP25が行われたスペインから帰国するグレタさんが空路ではなく陸路を選択したり、持続可能なコンサートツアーを模索するColdplayが航空機での移動は難しいとしてツアーを見送ったりしたことも記憶に新しい。表現者にとって、移動手段もその表現手段の1つになっているのだなと感じる今日この頃である。


話を戻して、お次は「あなたに今起きていること、起きたこと、これから起きること」。床に設置されたライトの前を鑑賞者が通ると、黄とか緑色の影ができる。無邪気になって映し出される影の形に夢中になってしまうけれど、人々の行動によって変化がもたらされるというプロセスそのものに目を向けさせることを意図したそういう作品だ。こういう参加型(?)の作品になると、自撮りにいそしんで目的を達成するとスタスタと行ってしまう人もいる。アートをどう楽しむかは個人の自由だと思うけど、ちょっとモヤモヤしてしまうなぁ。

小学校の家庭科の授業を思い出す。

展示中盤にあるのが「サステナビリティの研究室」というゾーン。ベルリンの「スタジオ・オラファー・エリアソン」をイメージして作られた空間なのだろうけど、何かに似ている気がする。小学校の体育館でやった展覧会だ!平台に様々な作品が並べられて、壁にもずらずらっと絵が貼ってあるといった具合。特に印象に残った作品が野菜くずの顔料で作られた水彩画。赤キャベツとかビートとか色々な野菜から抽出された淡い色の絵が並ぶ。それを見て思い出したのが家庭科の授業で作った玉ねぎ染め。当時は玉ねぎの皮で着色をするという斬新さや、学校に充満した強烈な玉ねぎ臭のことばかり頭に残っていたけれど、今思えば当時にしてはかなり進んだ、サステナブルな試みを学校で体験していたんだなと気づく。他にも輸送の際の省スペース化のために折り畳み可能なペーパークラフト作品があったり、作品を見るためのお立ち台や鑑賞スペースを区切る線が木製で手が込んでいたりして、意外と見所たっぷりなのでお見逃しなきよう。

生で見られて良かった!/「ときに川は橋となる」「ビューティー」

そして表題作「ときに川は橋となる」は水中のシャーレが照らされてできる像が頭上に映し出される大型の作品。ゆらゆらと光が揺れ、時々シャーレが動いてカシャカシャ鳴る音だけがする。この没入感は現地に行かないと感じられない。これだけでも美術館に来られて良かった!と思える。


「ときに~」の傍の小部屋に展示されているのが、ポスター・チラシにも採用された「ビューティー」である。美術館という屋内の空間に虹がかかる。みなさん、屋内に虹ですよ⁉といいつつ、降らせた水はどうやって排水しているんだろうかとか、そういうつまらないことまで気になってしまう自分にちょっと悲しくなる。


ラストはオラファー・エリアソンがホワイトキューブを出て、街中で実践してきた作品の写真展示。鏡や流木を街中にポーンと置いただけで、そこが異世界になってしまったような気がしてきて不思議。中には展覧会の会場付近にある貯水槽から水を汲み上げて、道路を氾濫させるという、パブリックアートの枠をぶっ壊すようなゲリラ作品もあってぶっ飛んだ。


自分の伝えたいメッセージをどういう切り口で見せるかがアーティストの個性であり、腕の見せ所であり、来場者を一番ワクワクさせる源だと思う。そういう意味で自粛期間中にウズウズしていたアート好きにとってたまらない展覧会でした!

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