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第5回『エルヴィス』後編 童貞アーティスト山口明(童貞歴:62年)の『LIFE IS ART‼ 映画でアート思考をアップデート』

取材・構成◎ギンティ小林

低予算映画のスターになる

今回もディープなエルヴィス・トークを披露してくれるグッチーさん

山口:1960年にエルヴィスは除隊すると、パーカー大佐は彼の活躍の場を音楽界ではなく、ハリウッドに移すんだよね。そして、大手映画会社MGMと長期契約を結んで、1960年から1969年までに27本の映画に出演させる。この期間、1年に3作も出演しなきゃいけない事が何度もあったんだよ。それらの出演作はすべてサントラを発売して儲けていたんだよね。


除隊後、『G.I.ブルース 』(1960年)に続いて主演した『燃える平原児 』(1960年)の日本版主題歌シングル

――エルヴィスの主演作って、公開当時は大ヒットしたようですが、ちゃんと評価されている作品が少ないですよね?

山口:エルヴィスは西部劇『やさしく愛して』(1956年)で俳優デビューするんだけど、もともとは大好きだったジェームズ・ディーンのようなシリアスな演技派になりたかったんだよ。

俳優デビュー作『やさしく愛して』(1956年)のプレス

山口:でも、パーカー大佐は映画のクオリティを重視してなかった。だから、エルヴィスに『ウエスト・サイド物語』(1961年)の主役のオファーが来た時も断っているんだよね。

――TV映画『エルヴィス』でも描かれてましたね。エルヴィスは「これで演技力が試せる!」って出る気まんまんなのに、パーカー大佐が「撮影期間が半年もある!」って理由で断っちゃうんですよね。

山口:早く撮影が終わる低予算映画ばかり主演してるから、1960年代になるとエルヴィスの人気は徐々に陰りが出始めて……。時代が変わって若者はビートルズに夢中になるし、同じような映画ばかり出てたら飽きられるよね……。

――本人も、「どの映画も役の設定が違うだけで物語は同じじゃないか……」って愚痴ってるんですよね。ちなみに映画『エルヴィス』の、この時期を描いたシーンで、本物の出演作の映像が使われますけど、その中に『ヤング・ヤング・パレード』(1963年)でエルヴィスが男の子にスネを蹴飛ばされる映像が出てくるんですが、その子役は、後に『ザ・シンガー』でエルヴィス役を演るカート・ラッセルなんですよね。


1968年 奇跡のカムバック!


1968年に放映されたスペシャル番組『ELVIS』の広告

山口:時代が変わって、エルヴィスの人気も陰りが出てきたのかな、と思いきや1968年12月3日に放映された、後に『68カムバック・スペシャル』と呼ばれる伝説のスペシャル番組『ELVIS』に出て大復活しちゃうんだよね! 瞬間視聴率は72パーセントだから! 

――ちなみに番組のプロデューサー兼ディレクターのスティーヴ・ビンダー(デイカー・モンゴメリー)は、後に『スター・ウォーズ・ホリデー・スペシャル』(1978年)を演出して、SWファンからボロクソに言われる人なんですよね。いま観ると貴重な映像なんですが、当時のファンは『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』(1977年)の続きが観れる、と思って期待してたら、バラエティのノリが強い番組になっていて。

『スター・ウォーズ・ホリデー・スペシャル』(1978年)の広告

山口:『スター・ウォーズ』の番組では失敗したけど腕のあるディレクターなんだよ。スペシャル番組『ELVIS』を収録する前、落ち目だったエルヴィスに今の知名度を認識してもらうため、ロスの通りを彼と友人とビンダーの3人だけで歩いたんだよね。1950年代なら大騒ぎになるけど、その時は誰もエルヴィスに声をかけなかった……。

――そのエピソード、TV映画『エルヴィス』で描かれてましたね。

スペシャル番組『ELVIS』収録中のスティーブ・ビンダーとエルヴィス

山口:そんな状態から『68カムバック・スペシャル』に出演して奇跡の大復活を遂げるんだけど、エルヴィスが黒い革ジャンと革パンで「監獄ロック」を唄う本物の映像はめちゃくちゃカッコいいのよ! 

山口:この番組でエルヴィスが着た衣装を作ったデザイナーのビル・ブリューを呼んだのもスティーブ・ビンダー。この仕事でエルヴィスに気に入られたビル・ブリューは、70年代にラスベガスのステージなどで着るジャンプスーツのデザインも担当してるんだよ。


ビル・ブリューによるレザー・スーツのデザイン画

山口:でも、番組の上下革のファッションはカッコいいんだけど、1968年って若者は長髪でベルボトムのジーパン履いてヒッピーみたいなファッションをしていたんだよね。だから、かなりミスマッチかもしれないけれど、実はこの頃、ロックンロールの再ブームが来はじめてたんだよ。

――そうなんですか。

山口:50sカルチャーが見直されはじめた時期なんだよね。そのブームにエルヴィスはうまく乗っかって復活した、って説もあるよ。この番組で、エルヴィスがリラックスした雰囲気で、かつてバックバンドと共に観覧者の前で座りながら弾き語りをする場面があるけど、これはMTVのアンプラグドのルーツって言われてんだよね。

――映画では、7年ぶりに熱狂する観客の前で演奏して自信を取り戻したエルヴィスにパーカー大佐が「あれはエキストラだ!」って嫌な事を言いますが、実際は違うんですよね。パーカー大佐が観覧者を集めるはずだったのに、やらなかった。

山口:エルヴィスにクリスマス・ソングを唄わせようとした人だから(笑)。

――それが収録日に判明して、スティーブ・ビンダーたちが慌てて、TV局の近くのカフェにいた人たちを呼んだり、ラジオ番組で緊急募集してもらって何とか集めたんですよね。

山口:あと、『68カムバック・スペシャル』といえば最後に唄う「明日への願い」だよね!

山口:この曲は番組プロデューサーのボーンズ・ハウが、「今の時代に合うメッセージ性のある曲」をエルヴィスに唄わせようと思って、アール・ブラウンに作曲を依頼したんだよ。原題の「If I Can Dream」は、番組収録された1968年6月の2ヵ月前に暗殺されたマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師の有名な言葉「I have a Dream」へのアンサーなんだよね。俺も大好きな歌で、映画での再現度も素晴らしかったね!

――TV映画『エルヴィス』のクライマックスは、この番組収録で、「明日への願い」を熱唱するシーンでしたね。その後、テロップで「その後のエルヴィスは1977年に42歳で亡くなりました」ってなる。

山口:エルヴィスの人生はそこからが、さらに大変なのにね(笑)。映画『エルヴィス』では、この番組が大成功を収めて見事にシンガーとして復活を果たしました! という展開だけど、実際には映画会社との契約で翌年に3本の映画に主演してるんだよ。そのうちの1作は当時ブームだったイタリア製西部劇・マカロニウエスタンの影響で作られた『殺し屋の烙印』(1969年)。『荒野の用心棒』(1964年)のクリント・イーストウッドみたいに無精ひげを生やしたエルヴィスのガンマンぶりがカッコいいのよ! 彼が唄う主題歌もマカロニウエスタンっぽくてイイよね!

『殺し屋の烙印』の日本版ポスター

――この映画の主人公は、もともとはクリント・イーストウッドがオファーされたんですよ。イーストウッドが断ってエルヴィスになったんですが、これまでの主演作と違い、主題歌を唄うのみで劇中で唄うシーンがない事とシリアスに復讐を描くストーリーにやる気を出したみたいですよ。でも、脚本を読んだらつまらなくてガッカリしたって(笑)。

山口:エルヴィスの映画といえば、後にレディー・ガガ主演でリメイクされた『スター誕生』(1976年)は最初、主演のバーブラ・ストライサンドがエルヴィスに相手役のオファーをしたんだよね。

――今回の映画でも描かれてましたね。エルヴィスはかなり出たがっていた感じでしたが。

山口:でも、パーカー大佐がコンサートができなくなるから断っちゃうんだよ。それでエルヴィスが演じる予定だった役はクリス・クリストファーソンになった。


遅刻した反抗期

山口:『68カムバック・スペシャル』でエルヴィスは、クリスマス・ソングを唄わせようとするパーカー大佐の反対を押し切って「明日への願い」を熱唱したけど、これは大佐に対する初めての反抗なんだよね。1960年代の半ばぐらいから、エルヴィスに自我が芽生え始めて、反抗期がやってくるんだよ。

――30歳過ぎで? ずいぶん遅刻した反抗期ですね。反逆の象徴みたいな人なのに……。

山口:もともと恋人の両親がビックリするくらいの礼儀正しい少年だったから(笑)。自我が芽生えた理由のひとつに、スピリチュアルな方向に目覚めた事があるんだよね。1964年に主演した映画『青春カーニバル』からエルヴィスの専属ヘア・スタイリストになったラリー・ゲラーって人が、そっち方面に詳しくて。それでハマっていくんだよな。

――『200 キャデラックス』(2005年)というエルヴィスのドキュメンタリーでラリー・ゲラーが証言してますね。出会って間もないエルヴィスから「趣味は?」と聞かれたラリーが「真実や神の存在を探求する事です」と答えたら「頼むから話を続けてくれ! 俺は君の話を聞く必要がある!」って喰いついてきて鮮やかな交際がスタートしたって。

左からパーカー大佐、エルヴィス、そしてスピリチュアル仲間のラリー・ゲラー

山口:遅い反抗期がやってきたエルヴィスなんだけど、またしてもパーカー大佐にうまいこと丸め込まれちゃんだよね。

――この頃、エルヴィス本人は海外ツアーをやりたかったんですよね。

山口:でも、パーカー大佐の事情で無理だから。その代わり、大佐は国内ツアーを計画したり、ハワイでのライブを世界中に衛星生中継したりした。あと、大事なのはパーカー大佐の個人的な事情でラスベガスのインターナショナル・ホテルのステージで常設公演をやるんだよね。ちなみに1969年以降に行ったライブは1000回以上で、年間125回のペース。働かせすぎだよな……。

――ラスベガスの常設公演は、パーカー大佐がカジノで作ってしまった莫大な借金の返済が目的なんですよね。

山口:そうなんだけど、まあ、ビジネス的には成功したんだよね。ちなみにエルヴィスとパーカー大佐は2人とも浪費癖が凄かったんだよ。パーカー大佐はギャンブル狂なんだけど、エルヴィスの場合は、とにかく人に贈り物をするプレゼント狂なんだよね。車屋の外から店内のキャデラックを見つめていた、見知らぬ叔母さんに買ってあげたり(笑)。このエピソードはTV映画『エルヴィス』で描かれたね。

――ドキュメンタリー『200 キャデラックス』で、その辺の事がたっぷり描かれてますよ(笑)。エルヴィスが、どんだけ人に高価な贈り物をしたか、というドキュメンタリーなんで。スピリチュアル仲間のラリー・ゲラー、コーラスを担当したスウィート・インスピレーションズのメンバーや空手の先生たちが出演するんですが、みんなキャデラックや高級品の贈り物をもらった、って証言してました。

『男と時計の物語』に掲載された、エルヴィスがボディガードにプレゼントした高級時計コルム・バッキンガム。この本には他にもシルヴェスター・スタローン、アンディ・ウォーホル、スティーブ・マックイーンなどの著名人が所有した高級時計が特大画像で掲載されています。

山口:エルヴィスの浪費癖は、「お金をたくさん持っている人は天国にはいけない」という宗教の教えに従ってやった事みたいだよ。あと、この頃のエルヴィスは私生活が荒れ放題なんだよね……。

――離婚もしましたね……。

山口:映画では描かれないけれど、1972年から1977年に亡くなるまでの間はリンダ・トンプソンという15歳下のミス・テネシーユニバースに選ばれた女性と交際してるんだよ。

リンダ・トンプソンとエルヴィス

――やっぱり若い女性が好きなんですね。

山口:それもあるけど、スピリチュアル方面でも気が合ったんだって(笑)。それでもエルヴィスの私生活は荒れ放題。奇行が目立ちはじめるし、不摂生とストレスで肉体的にも精神的にもボロボロな状態を、大量の薬でなんとかごまかし続けてたんだよね……。この辺のエルヴィスの奇行については、次回にじっくりやりますんで!

アダルティなスタイルを確立

(c)2022 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved

山口:70年代になってからのエルヴィスの凄いところってさ、人気が復活したんだから50年代の自分に戻せばいいのに、どんどん違うスタイルになっていくんだよな。

――キング・オブ・ロックンロールなのにロックを超えて、ザ・エルヴィスとしか言いようのない素晴らしいスタイルになりますよね。

山口:これはラスベガスでショーをやるにあたって、かなり研究した結果なんだよ。実はエルヴィスは1956年にラスベガスでショーをやってるの。でも、ラスベガスのショーに来る客は大人がメインじゃない。そこで、いつも通りのティーンエイジャーを相手にするパフォーマンスをしたらウケなかったんだよ……。それで、大人の女性を魅了するための方法を研究したんだ。

――どんな研究をしたんですか?

山口:まずはトム・ジョーンズのステージを研究した。そのために、自分からトム・ジョーンズに近づいて友達になって、彼から色々と盗んだんだって。あのハードなモミアゲや胸元が開いたファッション、セクシーな動きをしながら唄うってのはトム・ジョーンズの影響だよ。

――そこに大好きな空手の動きも導入して、オリジナルのパフォーマンスに昇華しちゃうところが素晴らしいですよね!

山口:他にも、ライブ中にお客さんに汗を拭かせるパフォーマンスもトム・ジョーンズが元なんだって。あとは70年代のエルヴィスを象徴するジャンプスーツだよね! 『68カムバック・スペシャル』で衣装を担当したビル・ブリューがデザインしたんだよ。ジャンプスーツといえば白色が一番印象に残ってるじゃない。これは様々な照明の色に映えるから、という理由からなんだよ。エルヴィス本人は、青色のジャンプスーツを気に入っていたんだけど。

ビル・ブリューによるジャンプスーツのデザイン画

――少年時代に大好きだったコミックのヒーロー、キャプテン・マーベル・Jr.のスーツの色ですね(笑)。

山口:あとジャンプスーツといえばデカい襟だよね(笑)。これはビル・ブリューが大好きなフランスの皇帝ナポレオンのファッションが元なんだよ。

――そうなんですか!

山口:ビル・ブリューが初めてエルヴィスに会った時、「なんてカッコいい男なんだ! この人なら、自分が大好きなナポレオンのような襟の服が似合う!」と思ったんだって(笑)。それで『68カムバック・スペシャル』の革ジャンの襟もデカいんだよ。

ジョゼフ=マリー・ヴィアンによるナポレオンの肖像画。この襟を取り入れた!
ビル・ブリューによるジャンプスーツのデザイン画

オースティン・バトラーが素晴らしすぎた!

――エルヴィスのラスベガス公演の模様は映画『エルビス・オン・ステージ』(1970年)で観る事ができますが、女性の観客と片っ端からキスするパフォーマンスが凄かった! 過激な地下アイドルみたいな事をやっていたんですね(笑)。

山口:そうなんだよ! ラスベガスのホテルで連日ライブやって、お客さんにハグしたりキスしたりする。この客との距離の近いライブってさ、自分たちの劇場で連日ライブやって、握手会やって、一緒に写真撮れる、「会えるアイドル」と宣伝していたAKB48の先駆けみたいなもんだよ! そう考えると、パーカー大佐って、やっぱり凄いのよ! 大佐がラスベガスの常設公演を決めたから、エルヴィスにラスベガスのイメージがついたわけだし。

――映画『エルヴィス』のラスベガスのステージ・シーンは、オースティン・バトラーのステージ・アクションだけでなく、映像も映画『エルビス・オン・ツアー』(1972年)の編集やスプリットスクリーンを完コピしてましたね。

山口:ラスベガスのシーンでオースティン・バトラーが「サスピシャス・マインド」を唄う時、『エルヴィス・オン・ステージ』でのエルヴィスの動きを完璧にやっていたね(笑)。『エルヴィス・オン・ステージ』の「サスピシャス・マインド」の時の本物のエルヴィスの動きは凄いカッコいいんだよね! あんだけ動いたら身体壊すよな(笑)。

――1970年のエルヴィスは、まだ太ってなくてジャンプスーツ姿がカッコいいんですよね!

山口:そうそう! でもね、俺は本物のエルヴィスが大好きだけど、今回のオースティン・バトラーの方が好きかも(笑)。凄い役者だよ!

――たしかに素晴らしかったけど、僕は甘さとこってり感が絶妙にブレンドされた本物が好きですね。

山口:彼が演じたエルヴィスはガチのエルヴィス好きからしたら似てないかもしれないけど、ちゃんと自分なりのエルヴィスを演じてたと思うよ。本物のエルヴィスよりもスマートで、甘くて、洗練されてるところが今っぽいよ。それに歌も吹替じゃないんだから!

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――カート・ラッセルがエルヴィスを演じた『ザ・シンガー』(1979年)は、歌のシーンでは歌手のロニー・マクダウェルの吹替なんですよね。

山口:TV映画『エルヴィス』の歌のシーンはエルヴィス本人の音源を使ったんだよね。それで当時、初めて本物の音源を使った、って話題になったんだよ。だからオースティン・バトラーが自分で唄ったのは凄いよね! ただ、晩年のエルヴィスの唄声は本物の声をミックスしてるんだよ。 円熟したエルヴィスの声は出せなかったから。でも、オースティン・バトラーは撮影で気合が入りすぎて、撮影が終わった後、入院したんだよ。映画が終わった後もエルヴィスが抜けなかったんだって。

――映画は2時間39分ですけど、本当は4時間バージョンもあるんですよね。そこには映画『エルヴィスとニクソン 〜写真に隠された真実〜』(2016年)で描かれた、1970年にニクソン大統領と会見したエピソードや薬物中毒になっていく様子も描かれているようですよ。

1970年12月21日にホワイトハウスで会見したエルヴィスとニクソン大統領

山口:それだけエルヴィスを演じたら、簡単には抜けないよ。あと映画に出てた人で言うとリトル・リチャードを演じてたアルトン・メイソンっていう人気モデルが凄え印象に残った。見た目も妖しくて心を奪われたよ!

――彼の登場シーンは、スピンオフでリトル・リチャードの伝記映画を作る気まんまんって感じでしたね(笑)。

山口:ぜひ作って欲しいよ(笑)。映画のラスト、本物のエルヴィスがピアノで弾き語る「アンチェインド・メロディ」の映像が使われてるんだけど、亡くなる少し前で立ってられないような状態なんだよね。もうすごい迫力じゃない! 自分でも死を意識してたのか、壮絶無比で感動するよね!

――魂を絞り出すように唄っていましたね。


山口:ちなみに、この「アンチェインド・メロディ」、ザ・ゴールデン・カップスの1stアルバム『ザ・ゴールデン・カップス・アルバム』(1968年)でドラムのマモル・マヌーさんがカバーしていて、それも甘くてオススメです! 実は俺、働き始めた20歳の頃、出入りしてた広告代理店の人に「君、マモル・マヌーみたいだな」って言われてたんだよね!

――どーでもいい話をぶっ込んできましたね。

1969年、ザ・ゴールデン・カップスを脱退後。ソロ・シンガーとなったマモル・マヌーさんのデビュー曲「雨の街」(1970年)
マモル・マヌーさんに似ていた、という事を自慢したいために『ザ・ゴールデン・カップス・アルバム』を持ってきたグッチーさん……。でも、カップスのアルバムは本作だけでなく、聴いて損なしの名盤だらけですよ!

エルヴィスはミクスチャーの偉大な元祖でもある!


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山口:俺は昔からエルヴィスが好きなんだけど。俺の周りのロッカーやロック・ファンにエルヴィス好きを公言すると、怪訝な顔されることが多かったんだよ……。

――何でですか?

山口:「エルヴィスは曲が作れないからダメ」なんだって……。俺、そういう昨今のクリエイター向上主義的な考えって、ちょっとどうかなって思うんだ。

――切り込みますね。

山口:お笑いコンビでも、「どっちがネタ作ってる」みたいな話が最近出るじゃない。ネタ作ってる方が凄いって事になってるけど、パフォーマンスは2人でやってるわけでしょ。クリエイターとしての凄さは当然認めるべきなんだけど、プレイヤーとしての凄さでもっと評価されるべき人間もいると思うんだよね。

――エルヴィスはプレイヤーとして素晴らしい、って事ですね。

山口:そう! エルヴィスのあの歌の上手さとステージアクション、そして自ら作り上げたルックスって、なかなかたどり着けない領域なんじゃないかな? 楽曲のセレクト・センスも素晴らしいし、元の曲よりも魅力的に唄って自分の代表曲にしちゃうところも凄いよ! 「この胸のときめきを」は、元はイタリアの曲だけど、今やエルヴィスの曲として知られてるし。エルヴィスのカヴァーはM&Aカバー。企業買収カヴァーだよ(笑)。

――そう言われると汚いイメージだな(笑)。

山口:ちょっと言い過ぎた(笑)。シメを言うと、初期のエルヴィスは、黒人ミュージシャンの唄い方や、ファッションなどのフィーリングとカントリー・ソングとかをミックスしたりして作り上げた。そして後期のエルヴィスは、トム・ジョーンズの魅力とパフォーマンスをパクって、そこに空手の型などをミックスして大人の女性を魅了したセクシーなスタイルを作り上げた。そもそもロックってミクスチャーの文化だと思うんだよ。この様々な要素を取り込んで自らを作り上げたエルヴィス・プレスリーって、偉大な生身の芸術作品なんじゃないかな!? という事でライフ・イズ・アート! 

――お! 今回はキマりましたね(笑)。

山口:でも、次回もエルヴィスでやりたいな! 映画『エルヴィス』では描かれなかった「エルヴィス・ちょっとイイ話」はたくさんあるから! 最後に読んでいただいた皆さん、できれば感想をアップしてくださいね!

エルヴィスの事をまだまだ話し足りないグッチーさん。そんなわけで次回は『エルヴィス』番外編をお送りする予定です!
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『エルヴィス』

監督:バズ・ラーマン
出演:オースティン・バトラー、トム・ハンクス、オリヴィア・デヨングほか
製作年:2022年
2022年7月1日より丸の内ピカデリーほかにてロードショー
公式サイト:https://wwws.warnerbros.co.jp/elvis-movie/

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