しゃもじ

外国でぶらぶらしてます

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最近の記事

思いやりってなんだろう。

人を思いやれる人間になれ。 生きてて一回は言われた事はあるだろう。 でも思いやるってどう言う事? 僕の考える思いやりとは 「見返りを求めない親切心」の事だと思う。 現代社会の今、人間関係の悩みを抱える人の数が増えている様な気がする。 SNSの登場後、人の考えや内面などが表現され始め、無意識の内に他人の内面を考察しながら 過ごしている時が多いのではないのか。 しかし他人の考えなんてわかるはずもなく、 むしろ矛盾する様に聞こえるが他人の事を考えない事が本当の意味での思

    • 夢や目標のもたらすパワー

      今日はイギリスのガトウィッグ空港から。朝3時起きですがコーヒーを一気飲みしなんとか理性を保っています。余談ですが、睡眠不足って、害しかないのかな。 睡眠不足は確かに健康には悪いですが慣れ、そして夢に対しての実現力が有れば20代あたりまではその生活を続けても悪くないのなかなとか考えてます。 余談はそこまで、今回は夢のもたらすパワーに対して考えます。 まず初めに自分の思う夢を持つ事によって自分は精神的に幸福になる気がするのです。 夢を追うこと、目標を追うことって一つの明確な

      • ヒトの美の種類

        ヒトには美術に対しての感性はに二つの種類に分かれていると思っている。 それは動物の持つ本能的に訴えるもの、そして無条件の愛を具現化したものの二つに分かれていると思っている。 例を挙げると古代西洋絵画ではキリストがテーマとなり描かれていた。 キリストの無条件の愛、そして宗教の 心の救済を絵画として表現する事で観たものは無条件の愛を受ける事になる。 そしてそれは辛い事、悲しい事が起きた時ほどその絵画の持つ力が発生しその閲覧者を救うと言う結果になり得る。 そして二つ目は人間の

        • 死の恐怖をなくすには。

          死の恐怖を感じた。飛行機の中で墜落した動画なんかを見るんじゃなかった。笑 やはりヒトの死を見ることで自分と照らし合わせ自分だったら。。と自分の立場になり考え恐怖する。 叫び声などが聞こえ恐怖が倍増する。 しかし、死という存在は怖いのか。確かに死は怖い。しかしそれと同時に死を受け入れる事で本当の意味で自由になるのではないだろうか。死を受け入れる事。人生の有限性を直視すること。そしてその現実に目を逸らさず向き合う事でもはや人生はもっと豊かになるのではないだろうか。 確かに自分は

        思いやりってなんだろう。

          諦めない人に共通するただ一つの真理

          先日から David goggins という元軍人のポッドキャストを観ていた。 日本ではあまり馴染みの無い人かもしれないが、海外では結構な有名人だ。 彼は退役した元海軍特殊部隊員であり、米国で唯一特殊部隊の訓練、米陸軍レンジャー学校、そして空軍戦術航空管制官の訓練を修了した人物である。 彼は60以上のウルトラマラソン、トライアスロン、ウルトラトライアスロンを完走し、懸垂のギネス世界記録を樹立したこともある、すごい人物である。 ここで気になるのが、この超人的な精神的強さ

          諦めない人に共通するただ一つの真理

          人との共存。

          人間関係。 聞いてみると結構複雑そうな問題で、現に沢山の人が人間関係で悩んでいるだろう。 でも、答えは意外とシンプルなんだ。 見返りを求めるな。 これだけ。皆がよく言う、「期待するな。」もこれに当たるね。 だけれど、期待するなってなんだか個人的には嫌な言葉なんだ。 なんだか、人と接するな。って言われてるみたいで。 それよりも、見返りを求めるな。の方がしっくりくるんだよね。 素の自分で他人と接して、人に対して思いやりを持ってもいい。のだけれど、 だからといって、

          人との共存。

          自己中はほぼ全て自己破滅する理由

          自己中の定義をまず述べたい。 自己中とは自分の事のみ考える自分大好き人間のことを指す。 子供の頃泣きながらおねだりを親にした経験はないだろうか。そう、それだがいわゆる自己中と呼ばれる物である。 だが、必ずしもわがままで癇癪を起こす典型的な人物を自己中と呼ばない。 他人からの目に怯え、常に他人からの評価を気にしてしまう存在も、 自己中と呼べるであろう。 何故ならその心理の本質は「自分がどう思われてるか気になる。」という 自己中によって生まれたまた新たな思考の一つなのだから

          自己中はほぼ全て自己破滅する理由

          専門家の創造力の罠

          当たり前だが、専門家とは特定の科目に対して膨大な知識を有している人物を指す。 そしてこの知識量が創造すると言う点において足枷になっている可能性があるのではないか。と思っている。 発見する物に置いて重要な要素は前回の記事でも述べているが、純粋な心である。 このピュアさが本質をつく疑問をつくり、革命へと繋がってゆく その点において、専門的知識を持ってしまうとビギナーズマインド、 すなわち純粋心がなくなっていくような気がするのである。 それは何故だろうか。それは知識を持つこと

          専門家の創造力の罠

          意識的に生きる。

          これって結構難しいよね。ちょっとでも気を抜くと無意識的になってしまう。 意識的に常に生きる事。数々の天才たちは意識的に生きるよね。 それは自分の学びたい学問のことだけを考えているから結果的に意識的に考えていると言うことになる。 これを常に心において置きたい。 メタ認知とビギナーズマインド。 共通している部分は客観的に毎日を意識的に生き、他人からの呪縛から解放。

          意識的に生きる。

          天才は子どもである。

          子供って聞くと天真爛漫で純粋で、本能や欲求のゆくままに行動する生き物だと思う。 そこから社会という枠組みによって「余計な部分」を削ぎ落とされ個性の無い人間になっていく。 天才とはこの削ぎ落とされるプロセスに対抗した存在だと自分は思う。 今あなたが思っている天才像はみな子供心を尊重している。 まぁただ子供になるというわけではない。実際は子供心の持つ精神状態を維持しながら 知能だけは大人になる。ということになる。 例を上げると、子供の頃夢中になっていた鬼ごっこ。その娯楽レベル

          天才は子どもである。

          にんげんかんけいはむずかしい。

          自分自身よく思うのが、常に神経を頭に貼り巡らないと闇のあの悶々とした、 妄想のドグマにハマってしまう怖さを自分は知っている。 気づかないうちに、無意識の中で自己否定、自己嫌悪、周りからの目の意識などの思考が自分の脳を占めていく。これに客観的に気づく事で解決する。 メタ認知と言われるものだ。 客観的に自分を観ることで今現在行なっている行動、状況を意識的に把握し、 風のそよ風、花の甘い香り、鳥の囀りなど様々な音や風景に気づくことができる。  このメタ認知が行われた際、なかなか面

          にんげんかんけいはむずかしい。

          親に感謝、してますか?

          自分自身が親と壮絶な喧嘩を繰り広げる度に、自分が起した言動、行動に対して後悔する日々を送る毎日、、 アンガーマネジメントが必要なのか。そう考えたこともあったが僕はアンガーマネジメントは根本的な解決にはなってないのではないかと、自分は思う。 僕が思う解決法は「怒り」を抑えるのではなくて「怒り」という感情を消すことのような気がする。 ていうか、そもそもなんで親との喧嘩が僕は多いの? 家族内で起きる喧嘩と、友達という関係性を築いている「他人」との喧嘩では 次元の違う喧嘩。 こ

          親に感謝、してますか?