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死の恐怖をなくすには。


死の恐怖を感じた。飛行機の中で墜落した動画なんかを見るんじゃなかった。笑
やはりヒトの死を見ることで自分と照らし合わせ自分だったら。。と自分の立場になり考え恐怖する。
叫び声などが聞こえ恐怖が倍増する。
しかし、死という存在は怖いのか。確かに死は怖い。しかしそれと同時に死を受け入れる事で本当の意味で自由になるのではないだろうか。死を受け入れる事。人生の有限性を直視すること。そしてその現実に目を逸らさず向き合う事でもはや人生はもっと豊かになるのではないだろうか。

確かに自分は本当の死と隣り合わせになった事はないし、綺麗事も言わないつもりだ。僕は死が怖い。しかし他人、知人、家族の死を直視してしまう事の方が何倍も恐ろしく、悲しく、悍ましく感じるのだ。

僕の思う理想の死に対する意識とは悲しさや寂しさを抱き、しかしそれと同時に今まで一緒に過ごせた瞬間に感謝を込め、愛を持って接する事が死を本当の意味で迎える事ではないのだろうか。

しかしこの現代社会では何故高い確率で負の感情のみが一人歩きしてしまうのだろうか。やはり死に対する姿勢の違いだと思う。やはり死を受け入れなければ正の感情はポツポツと発生しない。


死を根本に受け入れるには貴方が毎日どう生きるか。生に対しての意識を根本的に考える必要があるのである。

そしてそれは毎日死を意識する事ではなく、対となる生の存在を意識する事でそれは間接的に死に対して意識する事になるのだ。そしてそれは死に対して負の意識ではなく、むしろ死に対して受容しそして感謝を持てる生の意識となると考えている。それは何故なら我々人間の脳はあまりよくできておらず、当たり前の様に聞こえるが毎日死を意識する事は精神を病む可能性が高い。
ここでは死を意識するという事ではなく死に対しての恐怖、そして己、そして己以外の存在の死に立ちあわせた際に、送りだしてあげられる様な姿勢を持てるのか。貴方はその瞬間全てを受け入れる事ができるのかを問いている。

そしてこれはどんな死でもだ。寿命が一番望ましいだろう。しかし死の手段は寿命以外にも存在しており、むしろそれらの手段が最も我々の負の感情を一人歩きさせる事になると思っている。例を挙げると交通事故や他殺・自殺これらは突発的存在であり、負の感情を生み出し易いものである。しかし人生とは非情にもただただ進み続ける。貴方を待ってはくれない。そしてそれでも死に対しての意識を変える力が必要だと思っている。それはその者と共に過ごした時間に対して感謝を心の底から思い、その者が我々の感知できない空間で安らぎを過ごし、その者の性格から私達を観て笑っており、ニコッっと素敵な笑顔で出発していると心の中で信じる事である。お茶目な方なら大笑いしながら出発しているのかもしれない。静かな方だったなら少し恥ずかしつつ照れながら出発しているかもしれない。その個々の存在によって変わっていくのでそれは貴方一人一人の読者のみの知る景色なのであろう。

やはりその心の平安を持つにはもう一度いうが毎日起きる幸せを感じる事だと思っている。
朝起き、鳥の囀りを聞き、自然と触れ幸せを感じる。現代ではもはや皆無に等しくなった
生を実感する感覚を取り戻す必要なのである。

この便利になり過ぎた時代では生を実感する感度がとても鈍くなったと思っている。
やはり1日1日を大切に、初心に戻り意識的に過ごすことで日々の幸福度を上げ、結果として死に対しての意識を変える事ができると思っている。

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