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自分と他人|『ままならないから私とあなた』著:朝井リョウ|文春文庫|

あらすじ


先輩の結婚式で見かけた新婦友人の女性のことが気になっていた雄太。
しかしその後、偶然再会した彼女は、まったく別のプロフィールを名乗っていた。
不可解に思い、問い詰める雄太に彼女は、
結婚式には「レンタル友達」として出席していたことを明かす。 「レンタル世界」

成長するに従って、無駄なことを次々と切り捨ててく薫。
無駄なものにこそ、人のあたたかみが宿ると考える雪子。
幼いときから仲良しだった二人の価値観は、徐々に離れていき、
そして決定的に対立する瞬間が訪れる。 「ままならないから私とあなた」

正しいと思われていることは、本当に正しいのか。
読者の価値観を心地よく揺さぶる二篇。
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レビュー

自分と他人。それぞれ考え方や捉え方が違います。それをどのように考え、どう伝えていくのか?を考えさせるものであると思います。「レンタル世界」においては、誰であっても自分が絶対に知らない部分があるということ、また、それを見せられない状況があること。見せてしまいたいが、その人が自分にむけているイメージを拭いきれなくなること。ゲイを自覚してしまったことをずっと慕われている後輩には伝えられない。っそこを第三者によって知らせられるのもなかなか辛いものだと思いました。それをどう考えるのか?どう伝えるのか?いや、そもそも知る必要があるのか?関わり合っていく中で改めて人間関係に先入観やそれらの類のものを知らしめるのかなって思いました。もっち、今の自分の気持ちを言語化できるようにしていきたいです。

「ままならないから私とあなた」に関しても、人間味というのが題材になり、合理的に全てを考えるのと曖昧なものを慈しむ考えの対立構造になっていました。解説にもありましたが、その両極端に留まるののが簡単ではあるが、理解されないものなのかもしれません。だからと言って、バランスよく1対1の割合で考えられるのかというと難しいと考えます。同じようで違う。違うようで同じ。その曖昧さがまた愛おしいと思いました。

けれども、それを愛おしいとしか言えない自分は一番嫌いだと感じます。できるなら、もっと誰にでも伝えるような感想にしてみたいです。

他人のことなんて理解できるはずがない。自分の中には他人と関わり合うことで最小にその考えが自分を埋め尽くします。僕は吃音症を持っていますが、難発(言葉を発するときに詰まってしまう状態 例:「おはよう」→「(……)っおはよう」)で挨拶が出来ない。挨拶が出来ないので自己紹介も出来ない。誰かに首を絞められて苦し紛れに言葉を発しなければいけない状況になることをどのように想像して頂けるのでしょうか?実際にそうならなければ無理なのだとも思われます。

だからこそ、その体験や経験は自分のと同じ境遇の者しか理解出来ないのかもしれません。何も知らない人のそのことをは案してもどうにでもならないかもしれません。切り捨てたくなるのかもしれません。

それでも、だからこそ、自分がわからない気持ちや考えも同じではないのか?理解されないと相手は考えてはいないか?それなら、少しでも僕は理解してみたいと考えます。分かりませんけど、全てを理解することは出来ないかも知れませんけど、0から1、1から1.1、10から100にはなれないもの近付けてその人を理解して観たいです。そう思える人になりたいし、おそらくそうなれるのはその人が魅力的に感じるからなのかもしれません。だが、魅力的に感じない人でも同様の考えを常に頭に入れていきたいです。

それでは!!!
また!!

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