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なぜ意識の高い人が苦手なのか問題

これは生理的なものなのかも知れない。そんな問題。昔から声高に何かを叫んでいる人が苦手だ。もちろんその叫ぶ色にもよるんだけど。お前も意識高いじゃないか。という声がどこからか飛んできそうなんだけど、本人にその意識は全くない。十中八九も面白いと思った人やコトを記事化しているだけに過ぎない。

もしかすると意識の高い人は「言っている」だけで具体化したものが伴っていないと感じているからなのかも知れない。

僕の場合はとりあえず始めてみてチューニングすることに重きを置いている気がする。自分に合わせるのが嫌いで、出来るだけいる環境に合わせてチューニングを図ることを善しとしている。

なんで口だけの人がこんなに嫌悪感が出るようになったのか。それはその場限りで素敵なことを言う人に出会うことが多くなったからなのかも知れない。あとは小さいころから出来ないことは言うなと親に言われて育ったことも大きく関わっている気がする。

社会人になって、それはさらに大きくなった。言ってもやらない人が思いのほか多いことに気付いた。それはそれで人生ってそんなに甘くないな。と思うことも多くなった。会社が変わっても変わらず良い関係でいてくれる友人や知人は、そのほとんどが言ったら必ずやってくれるような方々ばかりで、そんなみなさんの言葉を目にするたびに、自分にとっても大きな励みになっている。

だから切に思うのは、軽々しく「出来る」って言ってほしくないし、「出来る」と言ったら四の五の言わずにやってほしい。なんか「出来る」とか「やります」って言葉が軽すぎる気がする。それだから決して仕事を長く続けるってことは今は名言しない。そんなことはちょっとしたきっかけで状況が変わってしまう可能性があるから。これまでも本当にふとしたきっかけで風雲急を告げることはあったから、そこについては断言しないようにしている。あまり言ったことに対して不誠実な態度は取りたくない。

意識高い系の人はそういうのはどうでも良いらしく、自分のキャリアみたいなものばかりを意識する。そんなキャリアは物悲しいものだと思う。

やっぱり「出来る」の裏には「続ける」があるものだと思う。「言う」と「出来る」は誰でも出来る。「続ける」はほとんど出来ない。言うだけ言ってやらない人がいると腹が立つのは、そういうところもある。

それぐらい「出来る」とか「やります」って言葉はけっこう重いウェイトを占めている。なかなかここに関してのモヤモヤやジレンマは今もずーと抱えている。

インスタントな言葉にはなってほしくないな。

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