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楽しいことがはじまるときって、どんなときだろう?

そりゃ、楽しいことが始まる”予感”のあるときに決まっているわけ。当たり前なんだけど、それをどこでどう捉えるかってことが大事な要素だと思うわけ。これって実は経験則からその"予感”が見つかることが多い。

それは単なる思いつきの場合もあるし、何かガタっと歯車が動き出すような感覚がある。そう「これだ!」と感じる瞬間がくる。これは急に来ることが多い。たとえば帰り道を何気なく歩いているときだったり、よる髪を洗っているときのシャワーの瞬間だったりもする。

そういう予感を捉えたときは、瞬時に行動に移したほうがいい。よく言われているとおり、チャンスの前髪は本当に短い。スーンと前髪は一瞬で通り過ぎてしまうので、どれだけ行動を起こせるかってことが実は一番大事だったりする。

だから結局”予感”を捉えて行動に移せる人は「言うだけ番長」ではない。風のごとしで動ける人がやっぱりチャンスを掴める。

あとは何だかんだ思うことは、「楽しい」の前には「苦しい」が意外と段々と連なっているケースが多い気がする。それが連なっている分だけ「楽しい」予感も発生するような。美輪明宏さんがたしか言っていたように、人生は結局プラスマイナスが0になるように出来ていると考えれば、辛く悲しいことがあっても、絶対どこかで面白かったり楽しいことが生じると考えられるようになる。

最近さらに輪をかけて思うのは、あまり健常者とか障がい者とかそんなこともほとんどどうでもいいというか、結局見た目に左右されがちな自分自身の問題大きいなという現実に打ちひしがれるというか。

十中八九の取材をしていても、本当にいろんなバイアスを無意識に掛けていることを思い知らされる。だから取材自身が自分にとっての勉強にもなるわけで。

でも一つ言えるのは、彼らと話していると本当に「愉しい」。自分にない視点があることを思いっきり示唆してくれる存在が身近にいるのは本当にありがたい。だからこそそれを記事にしたためることで、より多くの人にリーチしてほしいと願うわけで。それも僕自身にとっては「楽しい」ことが始まるときに他ならない。

ただやっぱり最終的に常に好奇心をたくさん持って、かつアンテナを張って日々生活することがないと、いつまで経っても楽しいにはたどり着かない。どんな逆境のような環境でも、何とかこれを楽しんでやろうという気概がなければ、苦しいことのあとの楽しいにはつながってこない。

だから、ずっと何かを楽しむことが出来るほどの「余白」を持っていたい。



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