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意外となんとかなる。

そもそも東京で10年以上働くことになるってことが想定外だった。関西から出て働くことになる。しかもそのままずっと関東で所帯を持つことになるとは全く思っていなかった。

もっとずっと家と会社の往復をする生活だと思っていたし、よもや社会人生活が学生時代よりも充実するような結果になるとは思っていなかった。全く予想しなかったことが次々起こるから面白い。

社会人のいきなり出だしで入る会社がM&Aされたところから、いきなり人生は分からなくなる。あのころはまだまだ純粋だったので、何も変わらないなんてことは絶対ないのに、何も変わらないという言葉を信じていた気がする。経営者からの何も変わらないという軽薄な言葉は、もうあまり信用することはしていない(笑)。

変わるに決まってるじゃん。まだ変わらなかったという事案に出会ったことがない。ある種正直の裏返しの正直の趣さえある。

今でいうアルハラも社会人初期のころはあったなと思うし、まさか社長がデスクトップの画面フルサイズで昼間っからゲームをしているなんて予期してなかったし、いろいろ勉強になったころから、転職回数多すぎ問題へと発展していくわけだけど、意外と何とかなっている。

履歴書だけ見ると、明らかに書類だけで落とされてしまう37歳が生成されてしまったわけだけど、何とかギリギリのラインで次へつながるように出来ているのだから、人生は面白いのかも知れない。

SNSがちょうど出始めたことが大きかった。最初は何をやるのか分からないまま、「粒谷区」のムーブメントにちょっぴり乗っかり、そして「ツブヤ大学」が出来、ツブヤ大学はNPOになり、そして今も11期目を細々とだけれど続けている。横浜に居を移してから全く食べることがなかった崎陽軒のシウマイ弁当とひょんなことでつながりが出来、今では6年も毎年年末には崎陽軒さん、そして横浜ウォーカー編集長などの協力もあり「シウマイ忘年会」なるイベントをすることが出来ている。

1本のバウムクーヘンをみんなで食べたら面白いかも知れないという発想から、バウムクーヘン・ナイトも始まった。バウムクーヘン・ナイトのあとにバウムクーヘン博覧会も始まった。まさか半年に1回程度続けて、2020年に10回目をやるような企画になろうとは、最初に着想したときには思いもしなかった。

そんなツブヤ大学を続けていたから、今の会社にもそれを評価してもらった。まさかよもやいま不動産会社で「十中八九」なるメディアを立ち上げ、日々取材をするような毎日になるとも思わなかったけど。

何がチャンスか分からないし、ここだ!というタイミングでは一気にギアを上げることで何かしら掴めているような気がする。

おかげさまで節目なところでの決断するスピードは格段に早くなった。

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