見出し画像

【読書】いつかのための記録

わたしの読んだ本と、そこから考えたことの記録です。


愛着関係が成立しない要因はいくつかあるが、その中でもっとも多いのは、虐待をする母親・父親に何らかの精神的な障害がある場合である

消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ | 高橋和巳

小学一年生の時、友達のお母さんがこれを先生に渡してねと、私に手紙を頼んできた。それを母親が勝手に開けて見てしまった。子ども心にもそういうことをしてはいけないと思った。学校で先生に渡したら「これ誰か開けた?」と聞かれた。私はなにも答えられなかった。
これも小学校の頃だったと思う。熱が出て母に連れられて病院に行った。寒い冬の夜だった。母は「病気が移るから」と病院の外でずっと順番を待っていた。熱がある私も、もちろん一緒に外で待たされた。何かちぐはぐだった。それから診察が終わって家に帰ってから、母はもらった薬を私には飲ませなかった。「薬なんか体に悪い」と言っていた。
小学校五年生の時、母親が恋人の自慢をしていた。私には父親がいた。

消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ | 高橋和巳

でも今思い出すと「変だな」と思った自分が正しかった。本当にいろんなことを思い出した。あふれでてきた。私の感覚って正しかったんだと思う。

消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ | 高橋和巳

最近読んだ
『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』という本に、こんな一説があった。

仕事のために買ったけれど、読み進めるうちに心当たりがありすぎた。
思わず付箋を貼って何度も読み返してしまった。

虐待された と定義されるかどうかは分からない。
でも、私の母親はとても不可解な言動をする人だった。
長く会っていないけれど、今もきっと変わらない。

所属した組織でいつもいつも居られなくなるほど揉める。
マンションで娘を外に追い出し続けて目立ちまくる。
家の家電や家具を全て処分する。
宗教的な東洋医学に400万円払う。
家族全員分の保険証をハサミで切って捨てる。
「おばあちゃんが来るなら結婚式行きたくない」と言う。
父と離婚して一年足らずで、また父と再婚する。
父との性的な事情を長女(私)に話して聞かせる。
お金を払って稼ぎのない活動をして「仕事をしてる」と言い張る専業主婦。
突然1億円の家を買う。

わたしはずっと、母の言動に意味を見いだそうとしてきた。
考えて、考え続けて、
「まわりのことはどうでもいいんだ」
「そのどうでもいい『まわり』には私も入るんだ」
「私のことが大切じゃないんだ」
「私に価値がないからだ」と納得するようになった。

虐待を受けてきた子どもは、愛情と優しさを期待しても、いつも親に裏切られてきた。それでも子どもは期待し続ける。「親が自分に優しくないのは何か理由があるはずだ」「暴力を振るうのにも訳があるはずだ」「自分がもっといい子になれば、きっと親は優しくしてくれる」「ちゃんと言うことを聞けば暴力はなくなる」
子どもはそう自分に言い聞かせ、期待をつなぎ、今度こそはと思って頑張る。しかし結局はいつも裏切られた。その厳しい経験の中から、やがて、子は自分には温かい愛情を受ける権利なんてない、そんな期待をする自分の方がおかしいと思うようになり、愛情を期待しないで生きていこうと決心する。

消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ | 高橋和巳

子どもの頃の思考回路は、ぴったりこんな感じだった。
幸いわたしには、習い事で私に優しくしてくれる人がたくさんいた。
だから、家族以外から温かく接してもらえることについては抵抗はない。
でも、家族や親には、愛される権利なんてないと言い聞かせてきた。
結婚して家族という立場になってから急に、夫から愛情を受け取るのが怖くなったり、訳が分からなくなったりしてきた。

もしも、私が思ってきたことや、言い聞かせてきたことが真実でないとしたら?
なにも理由なんてなくて、ただ単に母が障害があってそういう行動をしていただけなら?

今まで納得させてきたすべてが、ひっくり返りそうな気持ちが渦巻く。

夫にこの本の一節を見せた。
「わたし悪くない?愛情を受け取って良いと思う?」と聞いたら、
もちろんそうだと答えてくれた。

ひっくり返りそうな気持ちがするけれど、いきなり納得するのは難しい。
夫が受け止めてくれるのはわかってた。
自分で自分に言い聞かせて、20年以上思い続けてきたことを覆して、納得するしかないと思う。

自分には価値がないと思うことにメリットなんてないと頭では分かってる。
死ねたらと思うときはあるけど、日々の幸せもあって、そんな勇気も決意もない。
だったらきっと自分を責めない方が元気に生きられると思う。
どれだけ掛かるか分からないけど、いつかそう思えたら、結婚して新しい家族がいることをもっと嬉しく思えるんじゃないかと思う。

これは、いつかのわたしのための記録。
もしも同じような人がいたら、
この本の一節が、誰かを私と同じように救いあげてくれたらと
期待を込めて書いた。

どうせ生きてるなら、楽しく生きたいと思えるようになってきた。

いつかこれを読み返して、「できてるよ!」と言えますように。

この記事が参加している募集

よろしければサポートもお願いします。 頂いたサポートは、インプットのための読書に使わせていただきます!