【同人オタク】義務感には本とティータイムを【オタク女子】
こんばんは。もち湖です。
金木犀に関するnoteを一筆したためようかと思っていたらあっという間に枯れちまいましたね。
私にとってあの香りを嗅げる時期は年に一度の無敵タイムだったのですが、、、残念です。
ところで私は自他共に認めるオタクなのですが、最近の「推し」ブームにはなんだか違和感を感じています。
「推しは作るべき!」「推しを見つけよう!」みたいなメディアの打ち出し方は、本来のオタクの性質とだいぶかけ離れているように感じます。
あくまで漫画・アニメオタクの女としての意見ですが、
推しができる時って「この人を推しにしてみよう!」とか思わなくないですか?
そもそも「推し」という言葉自体、オタク活動の中で生まれた付属品のような立ち位置で、大々的に取り上げるようなものではないと思ってます。
なので若干の解釈違いが起こるんですよね…。
オタクであることがステータスとか、ちょっと私には理解しかねますが、せっかくの人生ですから、何か夢中になれるものが欲しい気持ちも分かります。
そんな時代の風潮のせいか否か、推し疲れしている人が増えましたよね。
推しへの熱意から生まれるオタク活動であるべきものが、いつの間にかステータスとなり、義務となり、ひけらかすものになっているようです。
かくいう私も、一時期とてつもない疲労感というか、無力感に苛まれ、このままでは推しへの愛が終わってしまう!と焦り、オタ活の最前線から一歩引いたことがあります。
まぁ、そう感じてしまった理由は明確で、ちょっと界隈に浸りすぎた感じですね。10代の頃から孤高のオタク()であった私が、界隈に属してハイテンションになり、交流が増えていく中で推すことが負担になってしまいました。
これは、推している状態が常となったものとは違い、「界隈疲れ」、もしくは「推し疲れ」です。推していることが当たり前になると、自然とそのジャンルを少し引いてみられるようになるものだと思うのですが、この時の私の状態は違いました。
グッズを追い、イベントを追い、上映会を追い、同人活動に追われ…。
誰かに急かされているかのように日々を送っていました。
精神的にも体力的にも、経済的にもつらくなり、ジャンルの勢いから途中離脱。息継ぎ無しで、激流の川の中を泳がされているような感覚でした。
私が止まっても、周り(ジャンル)は止まりません。
私と同じように泳ぎ疲れ、途中で陸に上がる人もいました。
少し休憩すると言って、二度と帰ってこない人もいました。
私はものすごい勢いの川の流れを、中洲に上がり膝を抱えて眺めているしかできませんでした。
そんな自分の不甲斐なさになおさら胸が締め付けられ、もう一度川に飛び込み泳がなくてはと焦りました。
それでも一歩踏み出せないまま、ほんの少し時が流れ、川の流れはせせらぎに変わりました。サラサラと流れていく川をみて、ようやく私はその流れに身を任せることができたのです。
激流がせせらぎに変わるまで、私が何をしていたかというと、ずばりブレイクタイムです。その川のこととは違うことを考え、違うものに触れて、大好きな本を片手にティータイムを過ごしていました。
物理的にも、言葉のあやとしてもです。
正直、この川の流れは人間には読みきれません。予測はできても、その通りに流れが変わるとは限らないんです。
だから、焦っても無駄。
たとえその流れに乗り切れなくても、焦らず、自分がまた泳ぎ出せる時を待てばいいんです。
もしかしたら、川の流れが変わらなくても、自分自身に泳げる体力と精神力が身につくようになるかもしれませんしね。
忘れないでください。オタク活動は「趣味」ですよ。
「義務」じゃないんです。
さて、そう自分に言い聞かせたら、ティータイムで使う茶葉を買いに出かけましょう。
それでは、また。
もち湖ねる
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