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少子化が招く意外な弊害 少ないと子どもは大人に管理できてしまう

昔はもっとおおらかだった。子どもは好き勝手やって痛みを伴いながら学んでいった。

そんな言葉を聞くことがあります。
確かにそれは正しいかもしれません。

しかし、今と昔で大きく変わったことがあります。

少子化です。
子どもの数より大人の数が上回ってしまった。
このことによって、大人が子どもを管理できるようになってしまった。

それが、子どもから、遊びや許される悪さ、そこから学ぶ社会性や倫理観、自主性などの子ども時代に培うべきものを奪うことになっていると思います。

一般的には、少子化の何がまずいかという議論においては、
働き手が少なくなることや、それにより僕らの世代が年金を貰えなくなることが挙げられます。

しかし、僕にはそれらは表面的なものにしか思えません。

今も昔も、これをしなさい、これをしてはダメです、とは言い続けてきたはずです。
子どもを管理しようとする親もいたことでしょう。

しかし、昔は子どもが多かったので、管理しようにもできなかった。
それが現代では子どもの数が少なくなってしまったがために、
管理できてしまう、という状況になってしまったのだと思います。

親の教育に関する考えが変わった、確かにその側面もあるかもしれませんが、
単に子どもの数が少なくなったから管理できてしまう、という要素の方が強いと僕は思います。

では、子どもが大人に管理できてしまうとどうなるか。
弊害は主に2つあります。

1つは、管理されないと何もできない子が増えるということ。
2つ目は、親の目に隠れてやることが子どもの心を育む、という要素が消えること。

まず1つ目から説明していきます。
管理というのは、する方もされる方も楽です。

大人は見守る方がよっぽど大変です。
気力が要ります。
自分から選択して行動する力を養う仕掛け作りも、
正直面倒くさいでしょう。
日々の家事や仕事もありますからね。

しかし、管理してしまえば、例えば勉強だと、見張ったりルールを作ってやらせていれば、大人は楽です。

「この子は管理しないとやらないんだから、もう大変で…」と大変アピールをする親もいますが、
これはむしろ、見守ることを諦めた怠慢です。

子どもの管理は大人の怠慢です。

管理する方が楽だからです。

一方で、管理される側の子どもも楽です。
自分で考えなくて良いですからね。
やれ、と言われたことだけやっていればいい。
やれ、と言われた時間だけやればいい。

それ以外は好きにしていれば良いわけです。
多少不自由かもしれませんが、気力は使わなくて良いです。

そして2つ目の、親の目に隠れてやることの重要性ですが、
今も昔も学校には校区というものがあって、
たいてい「校区外には行くな」と言われるものです。

僕はまだ親や先生の目に隠れて校区外に行っていたものですが、
今の子どもたちはどうでしょうか。

子どもは、程よい、許される悪さや喧嘩を通して、
人との心の距離感の取り方や超えてはいけない一線がどこにあるのかを、
肌感覚で学びます。

または、親と先生以外の大人から学ぶことによって、
子ども時代のどうしても狭くなりがちな視野を広げるきっかけにもなりえます。

近所のおっちゃんおばちゃん、お兄さんお姉さんから学ぶことは多くあるはずです。

大人って親と先生だけじゃないんだなあ…
色んな人がいて色んな考え方があるんだなあ…
という視点が生まれる。

これはとても大切なことです。

しかし、子どもへの凶悪犯罪や非行を防ぐという目的で、
これらの機会も奪われています。

「知らない人についていってはいけません」

これは僕も子ども時代に何回も言われたことです。

まあ、子ども相手に誘拐や殺人を犯そうとする人は、
「知ってる人」の顔をしてターゲットに近づくと思うので、
この警告はあまり意味が無いと僕は思うのですが…。

公園なんかでも、怪我をする可能性のある遊具は取り除け、公園で球技はするな、と、
管理だらけです。

個人的には遊具に頼らずにイマジネーションに頼ることで子どもの力を育むことが大切と思いますので、
公園はまっさらな土地に高いフェンスを作って球技ができるようにすればいいと思いますが、

死亡者が出るような遊具でない限りは、
子どもの怪我を理由に遊具を取り除くのは馬鹿げているとも思います。

知らない人、危ない場所、
これらは子どもを育む格好のフィールドでもありますが、

犯罪や事故に巻き込まれる危険な要素もあるので、
線引きはしっかりとする必要があると思います。

しかし、ケースバイケースで対応することや、
みんなで話し合って線引をすることが面倒、大変であるが故に、

それらを排除してしまう、ゼロにしてしまうのは、
大人の怠慢であると思います。

もう一度言いますが、子どもの管理は大人の怠慢です。

しかし、大人を糾弾するだけでは事は解決しません。
大人が子どもを管理せざるをえない、管理したいと思う理由は、

大人に余裕がないからです。

今まで僕が書いてきた記事の中で何度も登場するこの「大人の余裕の無さ」。

それは親も先生も、妻も夫もそうであり、
やはり企業や社会のほうから、変えていく必要がありそうです。

子どもが変われば大人も変わるし、
その為には大人が変わらないといけない。

そのことを考えると、僕たち教育従事者に課せられた使命は、
大変に大きなものと思います。

なので、まずやるべきことは、
激務、ブラックと言われ、
憐憫や敬遠の対象になっている先生という仕事への世間の認識を変えること、
そして先生の働き方を変えること、
負担を分担することだと思います。

その為には残業の考え方を変えたり、
給与を上げることも必要と思います。

どうか、教育ということを学校というブラックボックスだけに閉じ込めず、
家庭や地域や企業で、分担してやっていく方向にしていきましょう。

当面は負担であるかもしれませんが、
将来的にはWin-Win-Win-Win…と、
「全員勝ち」状態になるはずです。

目先の利益にとらわれず、
皆で明るい未来をつくりましょう。


小野トロ

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