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書けるということの幸せ

かの天才、レオナルド・ダ・ヴィンチは、メモ魔であったと言われています。

何か思いつくことや疑問、新しい発見があればすぐにメモを取る。

そして、彼がメモ魔であれたのは、父親のおかげとも言われています。
彼の父は公証人でした。

その人と人の契約を取り持つ職業柄、
彼の家には豊富な紙があったと言います。

当時紙は今と比べると容易く手に入る物ではなかったため、
「メモ魔の下地」としては相当に恵まれた環境にあったと言えます。

彼が人類の歴史に残した多くの功績も、
彼の父が公証人でなければ、そして紙を贅沢に使える環境に無ければ、
ありえなかったかもしれないのです。

という話を先日、本で読みました。

「なるほどなあ」と思ったと同時に、現代の僕達はそれ以上に恵まれているのでは、と思いました。

考えてもみてください。
現代では紙が容易く手に入るどころか、
パソコンやワープロの発明、スマホの普及によって僕達はキーボードを叩いたり長方形の板を触るだけで文字を書くことができるではないですか。

こんなに素晴らしい事は無いと思います。

昔は紙を所有する余裕がある人、
文字の読み書きを学ぶ余裕のある人、
出版ができるほどの学があり相応の階級にある人のみが「文字を書いて残す」という行為が可能でした。

今は、お偉い学者さんにならなくとも、SNSで自分の意見を発信する機会は増えています。

文字で書かずとも動画投稿など、自分を表現する機会は格段に増しています。

このnoteだってそうですね。
僕も、皆さんに伝えたいという気持ち半分、メモと日記代わりに残しておきたい気持ち半分で日々投稿しています。

本当は実際にペンで書いたほうが心身ともに良いのだろうなとは思うのですが、
文字を打ち込むだけで皆さんに読んでいただける、反応も貰える、自分も読み返すことができるということは、
とても楽で便利なのでつい甘えてしまいます。

日記を付けたい、小説やエッセイを書いてみたい、
文章を書くことを仕事にまではせずとも何らかの形で残しておいたり発信したい人にとっては、
今という時代はとても恵まれていると思います。

今年はたくさんnoteに記事を残していきました。

見返すと初投稿が2021年の2月となっていましたので、もうすぐ1年を迎えます。

読んでいただいたみなさんから色んな反応をいただき、まだまだこの書くという行為が自分の力になれているかどうかはわかりませんが、
楽しいことは間違いないです。

この「書いていて楽しい」という気持ちが続いている間は、当然ですが書き続けていきたいと思っています。

相変わらずの駄文、拙文にはなると思いますが、
引き続きよろしくお願いします。

書けるということそれ自体に感謝。
それを可能にしてくれているテクノロジーとその開発者の皆さんに感謝。
少ないながらも読んでくれている皆さんに感謝。

そして何よりも、こんなに使いやすい、書きやすいサービスを提供してくださっているnoteに携わる皆さんに感謝です。

それではまた来年もガンガン思ったことをつらつらと書いていきますので、
よろしくお願いします。

小野トロ

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