適応障害で退職し、転職した職場を3日で辞めた僕がヒモから主夫になり起業するまでの話008
今日は僕が休職中にどんな1日を送っていたかについて話していく。
休職期間中の僕は、はっきり言って適応障害という自己認識がほとんど無かった。
仮面浪人ならぬ仮面休職とでも言おうか、会社が嫌で行きたくなくて、でもお金が無いから診断書を貰って傷病手当金を受給するために適応障害の仮面を被っていると思って過ごしていた。
通院も診断書を貰うために行き、診察室で流れ作業的に近況を簡潔にまとめて話す。
家では休職前にはできなかったことを全てやろうと意気込み、
時間を気にせず海外サッカーを深夜に観戦したり、好きなスポーツ観戦を明日を気にせず満喫した。
ちょうど春先から5月、6月に佳境を迎える海外サッカーシーンを余す所なく堪能することができたのは時期的にラッキーだとさえ思った。
他には、見る時間がなくたまっていたアニメや漫画、映画を片っ端から見た。
する時間がなかったゲームに没頭した。
積み上がっていた未読の本を読んだ。
好きな料理を色々作った。
お酒を飲むのは好きだけれど、休職中には流石にあまり飲む気にはなれなかった。
後半の方には普通に飲んでたけどね。
そして時々会社の人事の人と面談をし、
彼女と出かけ、たまに実家に帰った。
心が元気な日は転職先を探し、応募のメールを送ったり職務経歴書や履歴書を作成したりした。
転職エージェントなるものを生まれてはじめて使ったりした。
担当医の先生にも「今は仕事のことは考えずに好きなことをして休んでくださいね」と言われていたので、本当にそうした。
そうして過ごす中で、本当は仕事の何が嫌だったのか、改めて見つめ直して整理することもできた。
もちろん仕事に行けなくなった要因は複合的で、あまりにも色んな要素が混ざり合っているけれど、
その中でも最も大きな要因は何だったのかを、なんとなくあぶり出して言語化することができるようになった。
それについては今後また話していきたい。
こうして休職ライフをエンジョイしていた僕だったけれど、もちろん不安もあった。
それは、芥川風に言うと「唯ぼんやりとした不安」だった。
将来が不安かと言われると、まあ食い扶持に困ることは無いだろうと根拠のない自信があったし、頼れる家族も彼女もいる。
本当にただなんとなく不安だった。
それは今も変わらない。
それはもしかしたら
「これからも生き続けなければならないという不安」
かもしれないし、
「自分の目標は達成できないかもしれないという不安」
かもしれない。
はたまた「挑戦することから逃げてしまう自分をこの先受け止めなければならないかもしれない不安」かもしれない。
おそらくどれも当たっているけれど、どれもピンポイントではない。
これらの不安に半ば無理矢理蓋をして、なんとか眠りにつく毎日が続いた。
その蓋になってくれた様々なエンタメには、感謝しか無い。
小野トロ
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