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甲子園フィールドオブドリームス【★4】今年の夏に観る意味【アラフォー映画評⑥】

甲子園フィールド・オブ・ドリームス

【評価★4】

※評価は独断と偏見、5段階

高校野球好きの友達から、一度見てみろと言われて重い腰を上げ、久しぶりの映画鑑賞。

率直に言わせてもらうと、面白かった!

神奈川の強豪・横浜隼人高校と、その監督・水谷哲也氏が甲子園第100回大会(18年)出場に向けての苦闘ドキュメント。そこに水谷監督に弟子入りしていた花巻東・佐々木洋監督と、その花巻東に進学した水谷の次男・公省が登場する。

コロナの猛威で今年の夏は甲子園が中止になった。

そんな夏に、観るべき一作。

毎年行われてきた甲子園が、当たり前じゃなかったんだと思わされた今年の夏に、当たり前に開催されていた18年の甲子園のストーリーを見る意味。

やっぱり青春って素晴らしい。

やっぱり高校野球って素晴らしい。

やっぱり甲子園って素晴らしい。

高校球児から甲子園を奪ったコロナのバカヤローと叫んでも意味はないけどね。

甲子園の素晴らしさを再認識させてくれるだけでも、映画としては十分価値があるのは間違いない。

ただ、それだけの映画評で終わらせたくない。

登場する2人の監督、横浜隼人の水谷氏と花巻東の佐々木氏の指導理念をもう少し突っ込んで比較してみようと思う。

作中、水谷監督は指導中、三塁線ボテボテの当たりを送球エラーする選手に「なんでできないんだ」というシーンがある。声を出せ!と監督が言っているのにボーッとしている選手に「なんで声出せんねん」というシーンも。

ようは、選手の物事を把握するレベルが、その行為の先に「何が待っている」という予測を立てられないから、同じミスを繰り返すわけで。

三塁線ボテボテの当たりを無理して捕球してギリギリの悪送球で二塁になるなら、三塁線からキレるまで捕球せずに見て、そこから冷静に投げて一塁で止めても大丈夫、なんならファウルでなおよし、という判断ができない。そのくだりを選手に説明するのだが、何度言っても理解できない。果たして選手のスペックオーバーの指導なのか、選手の野球脳が追いつかないのか。

一方、佐々木監督はグラウンドに作った花壇を引用して、指導理念を語る。

「小さい器に入れて花を育てると、花は小さく育つ。逆に大きな器に入れて育てると、花は大きく育つ。だから、お前は160㌔投げられるんだよ、って声をかけ続けてきた」

という回想シーン。案にエンゼルスへ入団する花巻東OBの大谷への言葉だというのが、分かる。さらに花壇を引用した話は続く。

「茎を真っ直ぐに伸ばすために針金を巻きつけて花を育てます。だが、それが成長を阻害しているケースもあるんです。その針金が邪魔になっていることもある。やっぱりそこは大きく育てないとダメなんです。最近気付きました」(2つとも私なりの咀嚼解釈)

この言葉2つを聞くだけでも、この映画を見る価値は十分ある。それは選手に限った話じゃない。

会社の後輩、子供、色々と応用できる金言と感じた。

佐々木監督は伊達にメジャーリーガーの菊池と大谷を育ててない。

恐れ入りました。




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