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モフリーの始め方②を始める前に

今回は具体的なお話『モフリーの始め方②』を書くつもりだったけれど、その前にモフリーを志した切っ掛けを書いておこうと思う。

本来なら①の前に書いておけば良かったのかも知れないお話。

『モフリーの始め方』と題するからには、心構えから始まり、飲食店に入社して学んだ事、自分なりの経営や店舗運営、マーケティング等について、cafe Mo.freeを起こすにあたって実際にやった具体的・実践的な事を書こうと思っている。

仕入先や不動産の探し方、メニュー開発心得、事業計画に気を付けた事や人脈の広げ方・・・その他にもこうすれば良かった、やる前にこれを先に知っておけば、あるいはこれはしなければ良かった…というのも数多くある。

ただ、モフリーの始め方①で語ったように、全ての活動に於いて最も大事なものが企業理念と企業哲学であるならば、「何故それを土台に据えたのか」という背景、ここに込めたメッセージ性、というものを知っておいて頂いた方が、僕の行動や考え方に説得力が生まれるのではないか、と思った訳だ。

本筋から少しだけ離れてしまうけど、cafe Mo.freeに於いてはそこそこ大事なポイントなのでお付き合い頂けたらと思う。


前回のお話(モフリーの始め方①を参照)で書いたcafe Mo.freeのコンセプト。元はと言えば今とは全然違う仕事をしていた当時の僕が、色々な事に行き詰まっていた際に考え付いたものだ。

その時僕は、大して興味もなく好きでもない仕事に生活の大部分を支配されていた。家にいる時間は、酷い時は睡眠時間を入れても5時間くらいだったと思う。あとは基本的に職場にいる、そんな日々を送っていた。

泊まり込みでやってる人もいたが、僕の場合は猫が留守番をしているので無理矢理帰っていた、と言った方が正しいかも知れない。

そんな環境だと、仕事が終わっても休日でも仕事の心配で気の休む暇もない。半年以上そんな生活を続けていた僕の精神は確実にやられていた。

1時間近く掛けて通っていた職場へと向かう際、

「道の途中にはこんなに様々な会社や仕事の場がある中で、どうして今の職場で働いているのだろう?」

と毎日思っていたし、何故通い続けているのか我ながらさっぱり分からなかった。

一つ断っておくと、当時の職場が云々、というより、僕がその時やっていた仕事が僕にとって圧倒的に向いていなかっただけ、と言うのが正しい。自分が選んだ仕事だからこそ頑張っていて、職場の人はみんないい人だった。

しかし帰宅してその場で倒れ込み、気付けば出勤時間を迎える事も珍しくない生活を続けていたのは事実だった。そんな日々が続いていたある日、果てしなく甘えん坊な飼い猫がストレスの為に至る所で粗相をするようになった。

トイレは決められた所でやっていたし、爪研ぎも専用ダンボールとソファでしかやらなかった賢い猫が、だ。

飼い猫は当時住んでいた家の近所にて保護猫の譲渡会をしていた団体から引き取った。初めて迎えるという僕に「この子なら相性がいいのでは」と代表の方がある日連れて来たのだ。

TNR活動をしている団体で、ある日地域猫が集まる公園にて餌やりをしていたら、しれっと他の猫に混ざってご飯を食べていたという。

「人馴れもしてるし、おそらく捨てられたのでしょう」

との事だった。

うちに来てからお互いが様子を伺っていたがいつの間にか慣れて、家中どこに行くにもくっついて回る猫だ。そんな猫に対して、半年以上構う時間がまるでなかった。とてもとても寂しい思いをさせていたのを分かっていたつもりではあったけど、深夜に帰ってきて布団を洗ったり床を拭いたりしたある時、決心した。


俺はこのままではダメだ、と。

自分と猫にとって、確実に間違えているという事実を認めなければならない、と。


自分の人生を見つめ直す…というと大袈裟だけど、仕事やらなにやらで追い詰められた自分自身に、この時ばかりはけっこう真剣に問い掛けた事を覚えている。



この猫にとって自分は何がしてやれる?

そして自分は一体何がしたいのか?


そこで(案外早く)辿り着いた答えが、


「ネコを撫でつつ気が向いた時に音楽を聴くなりピアノを弾くなりして本を読んだりして金を貰いたい」


大抵こんな想像をしたら「はいはい、みんなそうだね」で終わるところなのだろうけど、よほど追い詰められていたその日の僕はもう一歩考えを進めてみた。


本当に出来ないだろうか?


無理だな、とは当然思ったけれど、何故考えもせず行動もせずに不可能と断じられるのか。

何も24時間以内にアメリカの大統領になりたいと言ってる訳ではない。光の速さを超えたいという話でもない。

飼い猫がいつも側にいて音楽と本に囲まれる生活というのは、本当に夢物語だろうか?

考えろ、考えろ…


考え中


まず最初に思い浮かんだのは、在宅ワークだ。家にピアノはあるし本もたくさんある。そして一日中飼い猫といられるではないか。早速在宅ワークで何が出来るのか調べてみた。しかし案の定、僕に出来そうな仕事はなかった。

絵が描けたり話を捻り出せれば漫画家や小説家でもいいが、そんな能力はまるでない。

博才があれば投資家でもいいが、そんなものを持ち合わせていない僕にはリスクが大きすぎる。

文章校正等もあったけど、単価は恐ろしく安かった。とてもこれで生計は立てられない。

様々な職種で探してみたもののどうも在宅ワークは無理そうだった。次に飼い猫を連れて通勤出来る仕事はないだろうかと探してみた。ピアノと本より、優先順位はまず「飼い猫に寂しい思いをさせない」だったからだ。


ハローワーク、リクナビ、マイナビ、エンジャパン、デューダ、はたらいく…とにかくあらゆる転職サイトを探したが、そんなものはなかった。

「自分がやりたい事を受け入れてくれる職場は、この世にない」

この事実を確認した。


オーケー、この世に理想の職場がないのなら、自分で作ればいいではないか。


この事実を確認した直後の、突然の閃きだった。それまで自分が事業を興すなんて想像した事すらなかったにも拘らず。

また、「出来るだけ早く」というのもポイントだった。流石にすぐにと贅沢は言わない。でもそこまで時間をかける訳にはいかないし、誰かを頼る事も頭になかった。


「近い将来に理想の、あるいはそれに近いを生活を送る為には、今ある自分のどの能力を磨けば可能だろうか?」

「何を諦めて何を捨ててどんな努力をすれば、比較的早くその生活に辿り着けそうか?」


きっぱりと今の自分の生活をリセットするだけではなく、なるべく早く理想の生活に辿り着きたい。


自分が起業出来そうなもの…冷静に自分の能力の棚卸しをして辿り着いたのが、カフェ経営だった。


猫がいてピアノがあって本がある。この3つを想像した時に、きっと自分だけでなく多くの人が最も親和性を感じられるのがこの業態だろうとも直感した。


これならもしかしたら一番可能性があるのでは?


勿論まだまだ可能性の段階で、動いてみてやっぱりダメかも知れない。

軽くネットで検索しただけでも、カフェ経営の難しさは一番最初に出てくる。

どれだけカフェを続ける事が無謀かという事が。

飲食業界は様々な店が乱立、流行り廃りもあり存続がとにかく難しい。カフェなんてその中でも1位か2位に上がる程の、業界屈指の廃業率だ。経験していなくても、客単価の低さと回転率の悪さくらいは簡単に想像できる。珈琲一杯数百円、一体どれだけ売れば利益が出るんだ?と考えるだけで、常人なら諦める材料になると思う。

時間と労力と金を掛けて3ヶ月で廃業、多額の借金を背負う人も全然珍しくなく、そちらの方がむしろ多い…なんていう話を10分もあれば簡単に知る事が出来る。

仮に続いたとしてもきっと金は稼げないし、休みなんか今よりもっとない。将来性も当然ない。今とは別の量と質の気苦労も生まれるだろう。廃業して路頭に迷うリスクの方が、圧倒的に確率が高い。



さて、言い訳は終わった。

確率が圧倒的に低くても、自分が理想の生活を送るという目的の中に於いて、一番可能性があるのがその当時の時点でこれしかなかった。



その昔、職場の上司によく言われた言葉がある。


出来るとか出来ないなんて聞いてないんだ、やれ。


無理難題をとにかく吹っ掛ける人だったけど、良くも悪くもこの言葉に今でも奮い立たせられる自分がいるのは事実だ。

出来るかどうか分からないけど、とりあえずやってみようじゃないか、と。



という訳で、その後に多少の逡巡やあれやこれやは勿論あったものの、この数日後には会社の社長に辞意を表明し、まずは内情を知らなくてはと飲食業界への転職活動を始めたのだ。

人間やれば出来るもので、思い立ったこの日から約2年半後に開業に漕ぎつける事が出来た。

そして「素人が借金して賃貸で始めたら、もっても半年」と、人によってはそう言われるカフェ経営に於いて、お陰様で2020年4月現在で3年目の半分が過ぎようとしている。

来月には立ち行かなくなる可能性を大きく孕みながらも、それでもなんとか猫と一緒にやっている。


音楽と本に囲まれながら。


最後まで読んで頂きありがとうございました。