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需要と受容。

「紙を媒体として、成長をしていく」

これから先、
30年も経てばデジタル化は進み
アナログは淘汰されていくだろう。
紙とインクの香りは世界から薄れていき、
いつのまにかブルーライトに照らされる世の中になるのだろうか。

利便性の向上、それは思考の放棄なのだ。
文化の成長も止まる。大袈裟に文化と言い放ったが、例として年賀状や手紙を掲げたい。

紙に滲んでいくインクがもう見られなくなる世の中が来るかもしれない。
私はそれが恐ろしいのだ。

書く、描く。
これらは簡単になっていく。

ペンを伝って流れていく情、それを紙に閉じ込める。
そうやって成長してきた文学や芸術がついに終わる時が来る。

進むことは悪いことではないし、
成長だと思えば否定すらできない。

年賀状だってネットから拾ってきた干支の画像のとなりに、あけましておめでとうと綴るだけだ。手紙だって、ネットに溢れる例文をコピペしたら完成するのだ。

心を込めたと言えば解決するのかもしれないし、実際そうかもしれない。そんなことは作った本人にしかわからないのだから。

ただ私は手がきの温かさを知ってしまったが故に少し寂しく感じている。

手書きの手紙を貰った時、心はじわっと温かく何度だって読み返すものだ。
母親からの手書きの手紙を財布に入れてある。お守りなのだ。
年賀状だって、筆ペンで書かれた言葉が今にも踊り出しそうで、その人が生きている証みたいでなんだか幸せになる。

手書きという手間はすごい。
パソコンやコピー機には決してできないことなのだ。
一枚一枚の価値は計り知れない。
だからといってデジタルで作られたそれらに価値がないというわけではないので悪しからず。

ただ文字や絵にはその人のその時の体調や気持ちも現れる気がしている。
一人一人のフォントがあって、それは誰にも真似ができなくて、立派すぎる個性だ。
それを潰してしまうデジタルがなんだか少し寂しい。
明朝体やゴシック体には乗り切らない情が捨てられていくのではないだろうか、という不安があるのだ。

だからこそ30年後にも封筒や便箋、年賀はがきがあればいいと思う。
そこにはボールペンや鉛筆や万年筆、筆ペンなんかで書かれた文字があれば、もっといいと思う。
失敗した紙をぐちゃぐちゃにして、そんな虚しさを掌で感じていたい。
想いが溢れすぎて涙が落ちてもいいし、
誰かへの気持ちを紙へ押し付けてもいい。

大事な人へと送る大事なことはアナログでありますように、

そんな文化たちが慎ましく強かに生きていますように。

そう思いながら私は今日も恋人にラブレターを綴る。

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