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共生する

 来年度のテーマである「いのちと向き合う」をもとに、読書会を主催させていただき、“問い”は一層深まった。「なぜ私は生きているのか」、「生きる意味とは何だ」。答えを簡単に紡げないからこそ、『看護総論』講座における主題として設定し、ゆっくり対話を行っていきたい。それは勿論、答えを出すためではない。そもそも、医師より患者さんと共に過ごす時間が多い看護師は、技術はもとより、相手を思いやるココロ(魂)、相手を傾聴する感性を磨くことが求められる。そこが大切だと思っている。人は千差万別であるがゆえに、汲み取る在り方も滔々と変容していくに違いない。これからは自然と共創し、共生する世界へと徐々に移り変わっていく過渡期なのである。
 さて、ヒトはどれくらいの細菌と共生しているかご存じだろうか。ヒトは、産まれると同時に菌に感染する。母胎内では無菌状態にあるが、産道を通ることで菌が付着する。これらの細菌が全身の様々なところに住み着くので“常在菌”と呼ばれる。口腔内には700種類が約1000億個、皮膚には200種類が約100万個、腸内細菌は400種類が約1000兆個存在する。良い働きと悪い働きの両方をしながら、共生している。ヒトの細胞が約60兆個(40兆個という説もあり)だから、驚愕の数値である。
 微生物の9割は腸の中にいて、“腸内フローラ”を形成する。多くの細菌が秩序を保ちながら、絶えず増殖を繰り返し、一方で寿命が短く、死んだ細菌は便として排出される。便は8割が水分で、残りの約半分が細菌とその死骸が占める。食べ物のカスはごくわずか。意外に知られていない事実。
 生物学者である福岡伸一教授は「生命とは動的平衡にある流れにある」と唱えた。鴨長明『方丈記』にある「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。」の一節のごとく、ヒトの身体は同じように見えるものの、細胞はどんどんと入れ替わっているのだ。つまり、今ここにいる自分は、昨日の自分とはまったく同じとは言えない。これを考えただけでも、何とも迷宮入りしそうだ。
 腸は食べ物に付着している細菌やウイルスなどの病原微生物から身体を守っている。また、皮膚は身体を覆う最大の器官で外からの異物の侵入を防ぐバリアの役割を果たす。それにもかかわらず、手を真剣に洗い、消毒まで施す。目に見えないのだが、本来身体を守ってくれている大切なものまで失っている気がしてならない。
 ここ50年で日本は劇的に変化した。今から50年前には日本では“アレルギー”は、ほとんど存在しなかった。現在では国民の3人に1人は何かしらのアレルギーを持っているようだ。綺麗な環境で暮らそうとしている日本人の特質、工業・経済発展のゆえの弊害かもしれない。
 そのアレルギーの中でも、「食物アレルギー」が急増したのはここ20年ほどのことと言われる。食物アレルギーとは、本来無害なはずの食べ物に対して、免疫機能が過敏に反応してしまう状態を示す。免疫は有害な細菌やウイルスなどの病原体から身体を守るためのものである。正常な状態であれば、食物を異物として認識しない仕組みが働き、免疫反応を起こさずに栄養として吸収することができる。しかし、免疫反応を調整する仕組みに問題があったり、消化・吸収機能が未熟であったりすると、食物を異物として認識してしまうことが起きる。
 そもそも、このアレルギーは見た目では分からない。妻は生クリームを食べたときに吐き気を催したので、乳糖不耐症を疑った。しかし、乳のみならず、豚肉、牛肉では同等以上の症状を引き起こした。原因不明の状態が続いたが、アレルギー検査をして数値が高いことが判明。症例は少ないのだが、“αガルアレルギー”だと疑っている。分かりやすくいえば、肉アレルギーである。肉や牛乳を摂取すると腹痛以上のものが起きる。しかも不思議なのは、大人になるまで何も起きなかったことだ。回顧してみると、出産後に発症したのではないかと考えている。詳細は不明だが、マダニに咬まれてもこれは発症するらしい。幸いなことに、鶏肉では症状がでない。だから、食卓には鶏肉料理が並ぶことが多い。勿論、バリエーション豊かであり、肉好きだから全く飽きない。焼肉が好きなので、他の肉も食べたいという慾がないと言えば嘘になるが、まずは“生きとし生けるもの”をいただけていることに感謝。そして、毎日作ってくださる妻に感謝。そう考えると、慾は自ずと消え失せている。
 私からすると、肉だけに留まらずアイスやケーキが好きで食べたいのに、食べられない状態を見るのは何とも居たたまれない。でも、身体からのサイン(兆候)でもあるから、蔑ろにするわけにはいかない。罷り間違って命を脅かすことになっては困る。先天性とは異なるので、治るかもしれないらしいのだが、それはいつになることやら。
 ところで、5月に原因不明の微熱に襲われ、休みをとった。微熱だけで済めばいいのだが食慾を失った。高熱でなら分かるが、まさか微熱で…。もともと平熱は低めだが、その微熱も下がらない状態が続く。私が食慾を失うときは結構ピンチだ。しかし、食べられないときは無理しないほうがいい。川井かおる著『自分と調和する生き方』、藤堂ヒロミ著『潜在意識3.0』を読み、学んでいたお陰様で、ここはじっと我慢する。食べられないのだから、身体は欲していないサインを出している。脳よりも、腸の方が賢い。それを信じる。これを無視してはならない。
 「食えない」と「食わない」では、同じ「食べない」行為に見えるが、結果は全く異なる。食べさせてもらえないと栄養失調で体調不良になるのだが、断食のように自ら食べない状況でいると不思議と健康でいられる。そういう意味でも、食わないという認識でいれば、断食をしていることに他ならない。意外と、身体が整ってくる感じがある。人間の身体とは凄いものだ。
 最後に。『自分と調和する生き方』において、「自分の現実は、自分で創っている。そして、体験したくない、嫌だなと思うことも、自分で選んで、体験している」と述べている。私は国語、とくに作文が苦手だから、小学生のときは文章を書くのが嫌で仕方がなかった。しかし、最高最適な流れの中で、そういう道を自分で選び、体験してきたということなのだろう。でも、そんな私でも今こうして本を読んだり、言葉を紡いだりしていることは心地よいことであり、自然とやりたいこととなっている。だから、今は楽しい時間を謳歌している。
 また、この本に「自分の中にあるから、人に与えることができる」と書かれているが、人に対して笑顔になれるということは、自分の中に笑顔があるからできること。笑顔が何かを知らなければできない。やはり、笑顔は大切だと思うし、それが自然体でありたい。また、自分そのものを調和するのだから、他人に委ねるのではなく、そして他人の目を気にするのではなく、自分が心地よいと思ったことをやっていきたい。それが正しいかどうかではない。ただやりたいからやる。逆にいえば、やりたくないことをやらない。楽しいからやる。そういう意識があれば、自分自身を大切にしていることになる。それらが結果的に、さまざまなものと共生していることに繋がる。

2022.2.4

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