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Flow of People

Wake up

ずっと夢を見ている

いつか、きっと
きっと、いつか
夢を見ている
ずっと夢を見ている
醒めない夢
見続けている

そしていつか、きっとその夢から醒める日がくる


2018年10月24日水曜日午前7時14分

今日はばあちゃんの誕生日だ。
だけど俺は今、東京から出発して鳥取に向かっている新幹線の中でこれを書いている。
車窓からは景色がものすごい速さで変わっていく。
まるで、ここ最近の自分のようだ。
耳から頭に伝わってくる音楽は、数ヶ月ぶりにまともに聴いたもの。
あの頃、俺の支えになっていた音楽。

 俺の痛みに金を払え


10月2日

今働いてるお店に辞めると言った。
今までとは違う辞め方。
ちゃんと正直に、辞めると伝えた。
きちんとした、心残りない、相手からも喜ばれるような。

 「就職します」

それだけで、そっか!良かったな!就職するなら仕方ない、むしろ喜ばしいことだよ。と言われて、今までしてきたバイトの辞め方と空気が違ったんだ。
笑顔で答えてくれた。
今までは相手と疎遠になってしまうような、もう二度とそのお店に行けないような、そんな感じだった。 

なんだか、呆気ないなぁ。なんて思ってしまった。


誘い

9月の終わり頃。
ZeppでThe BONEZを観れると数日前からワクワクしてた頃。
母親から、うちの会社入らねえか?と誘われた。
前々から人足りないから入ってよと冗談で言われていた。
でもそのたびにいや今のままでいいやと思っていた。
そして、いつものようにまた言われた。
そのとき俺の中で何があったか自分でもよく分からなかったけど、入ると答えていた。
じゃあ伝えとくから、と言われてから今日まで履歴書を用意して面接までトントン拍子にことが進んでいった。

 

10月17日

新しく買ったスーツを着て電車に乗っていた。
ネクタイはシルクで若さを象徴するような情熱の赤が入ったもの。
革靴も磨いて、一年ぶりくらいに履いた。
足が痛かった。

毎日毎日電車に乗っているのに今日はやけに落ち着かなかった。
なんだか自分の格好がおかしいような気がして、誰かにずっと見られてるような気もした。
道を歩いててもそうだった。
クスクスと笑われているような、そんな音さえも聞こえる。
イヤホンをして好きな音楽を聴いてるから聞こえるはずなんてないのに。

大人たちに混じって会社というところに着いた。
緊張してるのが自分でもわかる。
一度トイレに入って、自分の格好がおかしくないか洗面台の前で今一度確かめた。 
ネクタイをしてる自分がそこには映っていて、あまり似合ってないように感じた。

何十階とあるビルの16階で降りて内線の601を押す。
すぐに人が出てきて、中に通された。
簡単なワークシートを書かされて、面接が始まった。

俺の目の前には完全に白髪になった男性と、会社のなかではまだ若いと言われてしまうような、でも俺からしたら十分におじさんなメガネをかけた男性の二人。
もちろん親が働いてるからその息子だということは、面接官二人は百も承知だ。

いつもの面接とは違ってもう質問の内容を変えてるからね、と前置きをされながら面接は進んでいった。
俺が書いた履歴書と経歴書をざっと眺めながら話しかけてくる。

俺の歩んできた、外からしか分からない肩書きや社会的立場とかそんなことしかわからない薄っぺらい一枚の紙。
そんなもので人を判断材料にする社会。
その紙を書くときに、自分の歩んできた道を思い出す。

アルバイトだらけの経歴。
始まりの年月と辞めた年月がそこには書いてある。
それを書くたびに辞めた時のことを思い出して少し、顔が歪む。
俺は何をしてきたんだ?、と自分に問いかけた。

「たくさん書いてくれたけど、正社員になったことがないのならこれはあまり意味がないんだよ。」
そう言われた。
もちろん、分かっていた。
高校卒業してから正社員として働いたことはない。
なんでなのか聞かれるのも当たり前だった。

それでも、分かっていながらでも、俺はその紙に今までのアルバイト経歴を書くしかなかったんだ。
面接官だって意地悪をしたかったわけじゃない。
だから攻撃されてるわけじゃないとすぐ分かってはいたけど、俺の心は穏やかじゃなかった。

そして続く言葉たち。
「君は何か特殊能力を持っているわけじゃないでしょ?私たちだって持ってない。だからこうして会社に勤めて働いてるんだ。」
分かってる。
俺には何もない。

気づいたら面接は終わり、エレベーターの中で深い息をついた。
息を一息しただけで16階から1階に着いていた。
少しずつ面接で話した内容を思い返す。

「特殊能力がない私たちは山登りをするときに崖から登らない、ゆっくり山頂を目指すように歩くでしょ?今必要なのは安定だよ。経歴を見て思ったけどこの就職の機会を逃すとこのままフリーターでずっといるような気がするよ。」

最寄駅ではなく、少し歩いたところにある品川駅まで重いバッグを持って硬い靴で歩いた。

俺の人生ってなんなんだ?

スロースターターだなんだと言って結局、周りの同い年の子が通ってきた道の後を追うようになぞってるだけ。
ただただ、遠回りをしている。
夢だけを見続けて、遠回りをしている。

夢・・・夢だけは大きい。

そして夢から醒める。

目が自然と熱くなってくるのを感じて、視力を測り直して新しく作った社会人とまともに思われるような、ちゃんと見える四角いメガネをかけているのに、だんだんと周りの風景がぼやけていった。

耳にイヤホンをつけて、スマホに2曲しかない不可思議/wonderboyの音楽を聴きながら歩いた。



不可思議/wonderboy

 『世界征服やめた』

‘‘ いつの間にかサラリーマンになっていた
立ったまま寝る通勤電車も少年ジャンプを読むおっさんにも慣れっこになっていた
まさかと思うじゃん
もう慣れた 慣れたよ

もしも誰かが「世界を征服しに行こうぜ」って言ってくれたら履歴書もスーツも全部燃やして今すぐ手作りのボートを太平洋に浮かべるのに
こういう日に限ってお前からメールは来ないんだもんなぁ
俺はお前がそう言ってくれるのをずっと待ってたんだぜ?
でも世界征服なんて無理だもの
サラリーマンより忙しいもの
別に偉くなりたいわけではないもの
「もしもし、あ、俺だけど最近なにやってんの〜?」
「いやちょっと最近迷路にはまっちまってさぁ、すぐに抜け出せると思ってたんだけどなかなかそうもいかなくて、あ、でもさっき道を聞いたら交差点に出るたび左に曲がれば大丈夫だって言ってたから、もうきっと、きっと、すぐだよ。」
「なんだ、早くしろよ、みんな待ってるぜ」って言ったところで電話は切れてもうあいつは帰ってこないんだってことが、はっきりとわかった

もうやめた 世界征服やめた
今日のごはん 考えるのでせいいっぱい
もうやめた 二重生活やめた
今日からはそうじ洗濯目いっぱい

もしもお前が世界征服しに行こうって言ったら
履歴書もスーツも燃やしてすぐにでも太平洋にくりだしたよ
なのにそういう日に限ってお前はメールをよこさないし
貸したCDも返ってこないままだ
俺はお前がそういってくれるのをずっと待ってたてゆうのに
でもしょせん世界征服なんて無理だし
サラリーマンより忙しいし
偉くなりたいわけではないから

知りたくない 知りたくない 知りたくない 何も知りたくないんだよ実際いくら知識がついたって 一回のポエトリーリーディングにはとてもじゃないけど勝てないよ
果てが無いくせに時おり夢をちらつかせてくる人生や一日限りの運勢や
どうにも抵抗できない運命みたいなものをいっしょくたにかかえ込んで宛名のない手紙を書き続ける人間の身にもなってみろよ

「もしもし、俺だけどみんな待ってるぜ?」
「あー、すまんすまん言われた通りに交差点に出るたびに左に曲がってるんだけどなかなか抜けられなくて、でも大丈夫だよ、きっと、すぐだよ」
「いやお前それってさ、思うんだけど…」
ってところで電話は切れて結局何も伝えられない
詩や歌にするのはとても簡単なのに直接言葉で伝えることがこんなにも難しいことだとはと知らなくて
それなのに知らなくていいことばかり増えてしまって自分の一番近いところにある風景がこんなにもかすんでしまっていることに気が付きもしないなんて!
「人生がもし流星群からはぐれた彗星のようなものだとして」
とお前は言ったんだ
「俺たちはもうどこから来たのかもわからないくらい遠くに来てしまったのかもしれないな」
「そして、どこへ行くのかもわからない」と俺は付け加えた
「まっくらな宇宙の中でどこかに進んでるってことだけがはっきりと、わかる」
わかる
人生はきっと流星群からはぐれた彗星のようなもので行き着く場所なんてわからないのに命を燃やし続けるんだよ
だから、だから十年後のお前は今のお前を余裕で笑い飛ばしてくれるって
十年後の俺は今の俺を笑い飛ばしてくれるって 間違いないよ
果てがないのに時おり夢をちらつかせてくる人生や、一日限りの運勢やどうにも抵抗できない運命をかかえこんで俺はまだ書き続けるから
詩を書き続けるから やめないぜ 

 不可思議/wonderboyの『世界征服やめた』という曲。

2011年6月23日、24歳という若さで彼は不慮の事故に遭い、現実からいなくなった。
俺がこの人を知ったのは数ヶ月前。
憧れてるシンガーさんから教えてもらった。
最初は普通のラップとはまたちょっと違うような、聴きなれない音楽だった。
突如、この人の音楽がものすごく胸に突き刺さる日が来た。

 彼が歌っているのはポエトリーリーディング。

そんな言葉を初めて聞いた。
ポエトリーリーディングについて語るほど俺はこれを理解してるつもりはないけど、それでもこの『世界征服やめた』の詩を一部抜粋して書くのは嫌だった。
いつも聴いてる音楽では詩のワンフレーズが好きだったりするのだけれど、これは最初から最後までがワンフレーズのような、そんな感じがしたんだ。

昔、俺も世界征服なんて馬鹿げた夢を見てた。
自分が世界の中心に立ち、世界平和を掲げ、争いをなくす。
自分のもてる力をもってして世界を束ねる。
中学生にありそうな発想。
実際に彼の詩も、厨二的だと揶揄されてたりする。

でも決して悪いことじゃない。
むしろ、童心を忘れないという意味ではすごく人間らしいのではないか?
大人になって童心を忘れた人間は、まるで機械と化したロボットに見える。
でもそのロボットが童心を思い出して人間に戻る瞬間があるから、感動が生まれる。
失ってから気づく。

有り得ない夢だけど俺はいまだに、ある馬鹿げた壮大な夢を見てる。
自分の国家を作ろう、というとても馬鹿げた夢。
中学生のころ社会の授業で世界には誰も所有してない場所がある、と知った。
地図をみると色が付いてない陸地。

主にあげるなら樺太半島。
日本が所有していたが戦争によりロシアが所有することになったが、国連が認めてないとかで宙ぶらりん状態。
ただ、これは日本の地図の記帳上だ。

この問題を知ったときにあることを思いついた。
誰も支配してない島なら、ここに子どもだけの国を作ったらどうだろうかと。
世界中で飢えや病、親に見捨てられた子どもたちがわんさかいる。
そんな子たちを集めて一つの国を作り自給自足による生活が送れないか、と思った。

当時、ブラックジャックを読んでいたからかもしれない。
ブラックジャックは無免許の医者で、患者に対して法外な手術料を請求する。
何千万はしかり、億越えのときもある。
それはなぜか?

彼は小さい島を買っていた。自然を守るために。

すごくすごくブラックジャックに影響されたからそんな夢を見たのかもしれない。
無理だ、不可能だ、現実的じゃない、と思われても未だにそんな夢を見てしまう。

なぜだろうね。

『世界征服をやめた』を聴いてまたこの夢を思い出したんだ。
今の現実を生きてる自分とは程遠い、あり得ない未来。
だから、書き続ける、と彼は言ってるんだと思う。

そんな夢を見て書き続けた人が、24歳でここから消えてしまうなんて、なんて非情な世界なんだろう。
YouTubeで彼の路上ライブの映像がある。
絶対に有名になる!そう路上で叫ぶ彼を前に、素通りする人々。

なんのために有名になりたかったんだろう。
彼は死ぬまで素通りするような人々に知られるほど、有名になることはなかった。
そして、皮肉にも現実からいなくなってから彼は有名になった。
彼の音楽はYouTubeで何百万回と再生されるほどになっている。
死んでから有名になって、それで良かったんだろうか?

死んでから、輝く。
そんな人たちがたくさんいる。
有名な画家、ゴッホもそうだ。
もともと少し知名度があった人たちも死後、急激に有名になることもある。
とても寂しい気がするのは俺だけだろうか。
なんだか、死ぬことが最後のパズルのピースみたいだなと感じた。

書くのが難しいな・・・。

俺は嫌だと思った。
死んで完結、みたいなそんなものはあってはならないのではないか?
受け継がれていくのは良いことだけど、崇めたり神格化するのは違うと思う。
生きた証なのかもしれないけれど、証は生きてるときに残したい。

でも生み出したものはもう存在し続けるから、自分が死んでも変わらない、むしろ箔がつく。
そんなことは思いたくないのに。

残された音楽を聴いて思う。
本物をこの目で見て、耳で聴きたい。
叶わない夢。
だからこそ、今頑張ってる人たちの音楽は、今頑張ってる音楽を聴きたい。
過去のものではなく、今。
過去に囚われてるのではなく、今。
俺が持っているのは、今ではなくその人にとっての過去。

だから俺は一つ行動を起こした。
もし、今が終わってしまったら。
そのときは全てが過去になるから、もう一度掘り起こそうと思う。

スーツを着て硬い革靴を履いて、足の裏が痛くなったまま歩きながら2曲を延々とリピートして着いた場所。
渋谷のタワーレコード。
ヒップホップのコーナーでもう生きていない人のアルバムを手に取った。
『さよなら、』と書かれたCDのジャケット。
2曲だけだった音楽は14曲増えて、16曲になった。

奇しくも、不可思議/wonderboyの誕生日は12月30日。
俺が数年支えてもらった人が現実からいなくなった日。
今日という日は誰かが生まれた日でもあり、誰かがいなくなった日でもある。
そして、俺に不可思議/wonderboyを教えてくれた人は、今頑張ってる音楽を届けてくれる人。
こんなことってあるんだな。
なんだか出会うべくして彼らに出会ったような気がする。

生きるということ
という谷川俊太郎さんの詩、生きる、を彼がポエトリーリーディングで音楽にした。
ぜひ、聴いて欲しい。

長い長い1日を終え家にたどり着いた俺は、久しぶりに着たスーツを脱いで倒れるように眠りについた。


 Empty

それでもいいって言ってくれた人がいた

今年はいろんな人に出会った。
年始から本当にたくさんの人に出会えた。
普通の出会いっていうのは用意されたもの、だと少し思う。

子どもの頃は学校という組織の中に入り、同い年の子達や年がそんなに変わらない先輩後輩と出会う。
就職すれば、会社という組織の中に入り今度は年代が広がって上司、部下と出会う。
どれも必然的なものじゃないかな。

組織の中なんだからそこの人たちと出会うのは当たり前。
でも俺は今年、組織の中じゃなく、年も生きてきた場所も違う、ただ聴いてる音楽がひとつ同じだっただけの人たち。
用意されたものではなく、自ら外に出て歩いてみた。
温かい人たちばかりで、よかった、とつくづく思う。

でももう会えない人もいる 。
知らない間に、子どもの頃の俺を可愛がってくれた人たちがいなくなっていた。
訃報を聞くときはなんの実感もないけれど、もういないんだという感情は拭えない。

そして一つ気づく。
生きてるのに、もう会えない人がいるってこと。
それがものすごく悲しくてつらくて心が痛いこと。

少し前に髪を切る夢を見たんだ。
初めてだった。
今まで眠りについてからいろんな夢を見てきたけど、自分の髪を切る夢を見るのは初めてだった。
起きてすぐに調べた。

「切る」という行いは過去に整理がつき、再スタートや再出発を表す夢らしい。
そして「髪」は思考や思想を象徴するものらしい。
自分で自分の髪を切るというのは、自らの強い意志で過去を断ち切り、新しく歩き出す。

夢というのは自己暗示によるものだと俺は思っている。
自分を変えたいって強く思ってるときはよく、自分が殺される、または死ぬ夢を見ていた。
これは再生とかの自己暗示。
今回は自分を変えたい、ではなく歩き出すという俺の中で新しいものだった。
だから就職という道も再出発としてのことだったのかなと思う。
そして過去との決別も。

過去の決別、とあるが決別とは忘れることではないと思う。
自分の中から排除するとはまた違ったものだとも思っている。
だから、それでもいいって言ってくれた人が俺にもいたから、決別ではなく今を受け入れる。


10月18日

今年もこの日が来た。
俺にとってとてもとても大切な人の誕生日。
そして二人の記念日。
でも今はなんてことないただの、日。
俺は今年、何もしなかった。

この日はどうしたって君を思い出すけど、でも新しく生まれてきた命に対して、俺達が培ってきた10年はあっという間に消されてしまうのだろうな。
それでもこの現実に対して負の感情をもったりなんてしない。
寂しい気持ちもあるけれど、でもこれが今なんだから素直に受け止めようと思った。

渋谷からPennyで帰った。
一度やってみたかった。
青山辺りで暗い細い路地に入ったらチャペルに行き着いた。
白い白い教会がそこには立ってた。
きっと、毎週毎週結婚式が挙げられてるんだろう。
お店にも土日になればよく二次会か三次会であろう人達が飲みに来る。
結婚式に参加した人たちはみな口を揃えて、良かったと言う。
男の人はタキシードだけど、女の人はウェディングドレスだもんな。
そりゃ、良いよなぁ。

久しぶりに会ったあのとき、俺が聞いた。
挙式はあげるの?
身内だけで、と君は答えた。
もちろん、俺が呼ばれる筋合いはないし状況を考えれば当然と思った。
すごく、寂しかったなぁ。
今まで一緒にいたのに急に蚊帳の外。
いや、俺の場合は鳥かごと言うべきか。
自分からかごの外に出て飛べなくて落ちていったはずなのに、その鳥かごに戻ろうとするなんて図々しい奴だよな。

どんな挙式を上げたのかも知らない。
そこに俺はいなくて、きっとお金が無いなりにもレンタルで着たであろう君のウェディングドレス姿を見れなかった。

君は一体どんな気持ちだったんだろう?
俺と別れてから新しく付き合った人とすぐに妊娠と結婚。
物事が淡々と進んでいって、勝手に世界が進んでいく。
自分だけが置いてけぼりのようなそんな感覚。

俺の誕生日は必ず連絡すると言ってくれてたのに来なかった。
ちょうど妊娠がわかった時期でバタバタしていたと。
挙式の前に大きくなったお腹を擦りながら俺と話したあの日。
君はどこか遠い目をしていて、まるで現実の実感がないように思えた。

今の俺は、そんな感じだ。

辞めたいと思ってないバイト先を辞めて、就職に向けて履歴書と職務経歴書を書いて提出した次の日には面接の日程が決まって、あの頃深夜に2人で成人式のために買いに行った安い安いセーユーのスーツで面接に行く訳にもいかないから、しっかりしたスーツを買いに行って、今までのアルバイトや受験の時とは違った空気の面接を受けて、それが終わったと思ったら免許合宿で勉強する日々。

免許だって、2人で取りに行こうかと言っていたのにズルズル伸びて結局それが実行されることは無かったな。
合宿だって本来は1ヶ月前だったりに申し込むのに、申し込んだらもう辞めることは出来ないキャンセル料がすでに発生してしまうぐらい直前。

こうやって自分が置いてけぼりに現実が進む時っていうのは、流れるプールに流されてる時のようなもんなんだろう。
小学校の頃、プールの授業でみんなで流れるプールを作ろうって、壁つたいにみんなプールを歩く。
するとだんだんと流れができて、勝手に体が進んでいく。
俺は背が小さすぎてプールの地面に足がつかなくてただただ流されているだけだったな(笑)
そのせいで溺れかけたこともあった。

最近考え方を、いや、想像の仕方を変えた。
過去の出来事を思い出して、それの続きを考えたりしているときがあった。
「学校から2人で帰った」
たったそれだけで良い思い出で終わるのに、その先の分岐点で変わる未来。
もしあの時、話の流れで家に遊びに行ってじゃれて遊んでて目が合って気まずいままキスをしたら、、、そしたらこんな未来があって、、、
あのとき、俺がしっかり君を選んでいたら、、、今そばにいるかもしれない。

だからそんな馬鹿げた想像をもうやめたんだ。

絶対に有り得ない。
だって俺は今ここにいる。
今からその未来が来るか?
絶対に有り得ない。

世の中、有り得ないなんてことは有り得ない、と信じていたいけど残念ながらそういうわけにはいかない。
死んだ人が生き返える。
誰しもが一度は望んでしまうこと。
でもこれは絶対に有り得ない。
だって、もう過ぎ去ってしまったことだから。

でもね、有り得ないなんてことはありえない
この言葉があるのは、未来があるからだ。

俺がさっき想像した過去の分岐点からの未来は絶対に有り得ない。
しかし、まだ起こってないことの未来は?
なんでも有り得るんだと思う。
そりゃアメリカ大統領になりたい、と思ってその未来がくるかと言われればほぼ不可能に近いけれど、これから来る分岐点の選びようによってしまえば可能かもしれない。
1年、2年じゃ確実と言っていいほど無理だろう。
でも20年後、世界規模の事件が起きて誰もが意見を発して認められた人がアメリカ大統領になれる、とかだったらそれは俺にもチャンスがあるのでは?

1年後とかより、こっちの未来の方がありえないか(笑)
でもそんなくだらない想像をしたって、過去の分岐点から発生する未来を考えるよりもずっといい。

どんな未来が待ってるかは分からない。
でも、実現したい未来があるのならこれからいくらでもやりようはある。
今、自分が視ている未来があるのならそれに向かって進んでいこう。
空想の遊びごとなんかじゃなくて、現実にするんだ。

そんなことを思っていたら、大切だった10月18日は気づいたら終わってしまっていた。
過去との決別だ。


 渋谷

スクランブル交差点。
たくさんの人が行き交い、すれ違う。
中には信号が変わった途端、走り出して交差点の中央に立ち、ここぞとばかりにポージングを決め写真を撮る。

渋谷に働くようになってから気づいたらとっくに半年も過ぎていた。
たった半年なのに街は変化していく。
ものすごく落ち着きのない街だと思った。

落ち着きのないのは自分の生活も一緒だった。
シフトに書いてある出勤時間はバラバラで規則正しい生活とは無縁。
働く時間も長くて、明るいうちに出勤したのに夜を見ずに朝になり、体内時計が狂う。
18時に出勤して朝5時まで、15時に出勤して24時まで、16時に出勤して朝5時まで、20時に出勤して朝5時まで。
そうやって毎日毎日起きる時間と寝る時間とが変わり、安心して寝れるのは片道一時間半の電車の中だけ。

いつのまにか、自分の影に怯えるようにもなった。
それでも嫌にならずに渋谷に通えたのは、歩いてるときの景色が好きだったからだ。

渋谷を歩いてる人を見る。
普通に歩いてる人もいるが、観光に来たであろう田舎臭い子たち、どこの国から来たのか見当もつかない外国人。
ただ渋谷を歩いてる人たちからしたらなんてこともない景色なのに、彼らからしたら目を輝かせてスクランブル交差点ではしゃいでしまうような、そんな場所だった。

その姿を俺は毎日見て、ただただ羨ましいのと微笑ましかった。
特別な場所というのは人それぞれで価値観も変われば思入れも変わる。
俺が渋谷に来たのは夢も希望もなくした時に支えてくれたシンガーが昔住んでいたから。
ただの興味本意で、それでももうない姿を追うように。

そこで俺はもういない人の痕跡を知る。
彼と関わりのあった人たちの話をたくさん聞けた。
彼のバンドのことも。
良いことも悪いことも。

でも、そんなことより一番良かったなぁって思えるのがGENEを受け継いでステージに立ってる人と出会えた。
もう一人、ステージには立ってないけどすごい人がいた。

音楽を聴き、生で聴ける音楽と、そうでない音楽。
生で聴けない音楽はネットの中に流し込み、生で聴ける音楽には足を運んだ。
結果、俺は一人の人を裏切ってしまったのかもしれない。
自分が攻撃されて、でもやり返すこともなくただただ悲しかった。

最初に生で足を運んだライブのMCで彼が言っていた。
「ここまで来るのにたくさん裏切られてきた。裏切るつもりはなかったかもしれないけど結果裏切られた。自分も裏切ったつもりはないけど結果として裏切ってしまったこともある。知らないうちに誰かを裏切ってたかもしれない。」
初めてライブに行って心を動かされ、あぁ、こういう人が生きるってことを叫んでくれるから俺もまだ頑張れるんだ。

俺もきっと傷つけてしまったんだろう。
だからといって、何もしないわけにはいかないんだ。
言いたいことがあるなら、証明したいなら、そこに立つ。
約束をしたんだ。
ステージに立ってる彼と。

渋谷のお店で働いてたくさんの人の話を聞いた。
ちょうど俺が働き始めた時は同い年の子が新卒で社会に出る直前。
4月の後半や、5月のGW明けにはそういう人たちがよく飲みに来ていた。
入った会社はブラックだったとか、給料が安かっただとか、上司が気に入らないとか。
みんな同じような会話。
それがその人たちにとって普通で当たり前の日常、当たり前の悩み事。

新卒だけじゃない。
30代くらいのそこそこ貯金が貯まってきたであろう、スーツをもうしっかり着こなしてる社会人。
明日朝早いんだよと言いながら、同僚と昔話やこれからの人生設計や貯蓄の話をして朝まで飲む。
週末になれば若い女性二人組の来店が多くて、話の話題はほとんど恋愛。
彼氏が欲しいだとか、浮気されてるとか、狙ってる人がいるとか、結婚出産はいつまでにしたいだとか。
夜が深まればナンパ師がお店の前のセンター街で女性をゲットして口説きにかかり、ホテルへ誘う。

みんな、似たようなもんだった。
同じとまでは言わないけど、大差がない。
何に対して大差がないかというと、生きるということに。
ふつーに生きてんだよね。

だから俺はもうちょっと楽に生きても良いのかな、と思ったんだ。
必死に生きてるかもしれないけど、そう見える人が少なかった。
渋谷という街に来てる人たちの大半が、そうなのかもしれないと思ったら自然と肩の力を抜いてみたんだ。

だから、多分俺は就職するんだと思う。
そこまで悪いものじゃないよって。

ほんとはね、俺にとって大切だった君が妊娠したと聞いて、相手がまだ家庭を支えらるような身分じゃないと知った時に俺は自分がとてつもなく怖くなったんだ。
もし、自分が相手の立場だったらどうしただろうって。

自分が相手と同じように学校に行ってたらやめてすぐ就職するだろう。
今のようにフリーターでもちゃんと正社員として働き始めただろう。
でも、君と過ごしてたときの俺は本気で二人の将来のために就職しようなんて思わなかった。
それが急に怖くなってしまって、ちゃんと働くということを経験しとかないとダメなんじゃないかって思ったんだ。
そこに加えて、渋谷で愚痴を言いながら飲みに来てる社会人たちを見てて、一回ぐらい俺もなっとかないとダメだなと思った。

視野を広げてたくさんのものを見ようとして、逆に見えなくなっていた。 目の前にある現実に没頭するのも良いのでは?
それはきっと物事だけじゃなく、人に対しても。
全員と仲良くなる必要なんてない。
ただ、今度は人より先に人を信じてみよう。

もう一度、自分を信じてみよう。

 
音楽

渋谷に来てから満員のライブハウスで観てたのが、まだまだ動員が少ないバンドのライブを観る機会が増えた。
それは自分から足を運んだ結果でもあるし、良い友達にも巡り会えて誘われたりしたからだ。

ただ一つ、わかったことがある。
生まれた音楽が素晴らしいからといって、生み出した人が素晴らしい人であるとは限らない。

人は人を崇拝しがちだけどそれは危ない気もする。
キリスト教って文化も、絵に書かれてるキリストさんだって人の形しているんだ。
人が神様じゃなくて、人が人を崇拝してるように思える。
それが悪いことではないのだけれど、自分は自分でしかなく、決して違う人にはなれない。
崇拝してしまってその人に近づこうとする。
そしてある日、違和感に気づいたとき今までに積み上げた崇拝した偶像が崩れ去る。
自分の中身が空っぽになってしまったような気がするんだ。
生きてる人ならいつでも偶像が崩れ去る機会があるのだけれど、もういない人を崇拝するのはだめだ。

死人は無敵だ。
生きている人の今を見てるからこそ、聴いてるからこそ、そこにしかないものがあるんだろ、と思う。
生きている人は嫌いになったりもできるから、でも音楽は好きだとも言えるから。
とても大切なことだ。


Flow of People

たくさんの人の流れを見て思った。
やりたいことは変わらない。

今年の初めにブログを始めて抱負を語った。
音楽にどっぷり浸かると。
その通りになっているが、まだまだ足りない。
足りないものがわかってるならそれを足すまで。
まだ今年は終わっていないんだ。

まだまだ終わってない。
動くぞ。
動いてやる。
俺は動く。
約束を果たしたい。

尾崎豊を聴きながら帰った。
彼も渋谷にいたんだ。
彼が渋谷で夕陽を眺めていた場所がある。
今そこには彼の記念碑がある。

また死んじまった人の話だけど、そうやって死んでから輝くのではなく、形として遺る。
受け継がれていくことが大切なんだと思う。

「科学的に証明されているかどうかはわからないけど、どんな形にしろ出会った人の個性とか持ってるものが自分の中に宿るっていう現象があるような気がしていて、僕は今回それを言いたかったんです。誰かと会った時点で確実に自分は変革されている。」

尾崎豊が言った言葉。
俺も前から言っていたこと。

十人十色の一色ずつを一人一人から貰う。
そうして、色を貰った人から受け継いで自分の色が出来上がっていく。
「誰かと会った時点で確実に自分は変革されている。」
良くも悪くもそれは素晴らしいことだと思う。
もちろん、自分自身の軸を持ってないとダメなんだろうけど、その軸がようやく固まってきた気がするんだ。

今、たくさん書いてて思う。
やっぱり書くことが好きだ。

書く、と言っているが実際は文字を打つ、なんだけどね(笑)
時代のせいだな。
最近ネットで書く人が増えてちょこちょこいろんな人のを読んでいる。
今ハマってるのは生湯葉シホさんという人のエッセイ。
すごく文章が綺麗で、また一つ自分が変革されたのかなと思っている。
今の時代、ネットの中だけでもその変革ができるのは強みだと心から思うよ。

さて、俺がこれから立ちたい場所はどんなとこだろうか?

そこに立つ人はこう言う。
これが俺の本当の姿だ!
でも、違う人もいる。
これは俺のなりたい姿だ。
これは俺のもう1人の姿だ。

なんでもいいと思う。
仮面だとかキャラを作ってるとか。
アイドルとか特に言われたりするけど。
そこに立ってること自体が自分ってものなんだと思う。

だから、夢を見ている。
俺はどんな人なんだろうってそこに立ったらわかる気がするんだ。
なにが夢なのか、夢から醒めるのは現実なのか。
答えあわせはこれからだ。 

最後に。

こんなことってある?って今年は口癖のように言ってた。
蜘蛛の糸のように、全てが繋がってるように思える。
でもそれは当たり前のことだと気づいたんだ。
それはなぜか?

起こりうる物事は全て、点、だった。
点が二つあれば、直線で結べる。
点が三つあれば、結べば三角形になり、全て繋がる。
そうして、点が増えれば増えるほど、どこかしらに繋がるんだ。

俺は今きっと自分の人生の中で点が増えていってる最中なのだろう。
そして点をどんどん結んでいって綺麗な絵を描きたい。
昔、スーパーで買った遊びの本みたいに。
全部の点を結べば絵が浮かび上がってくる。
人生もきっとそんな風に最後に自分を表す絵が描きあがるんだと思う。

今は夢の中でたくさんの点に見える星を見つけてる最中。

全部繋がった時に夢から醒める。


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あとがき

2018年にブログに書いたものを読み直して、誤字脱字を修正して書き直したもの。
まだどこか誤字があったら恥ずかしい。

2020年は全く文章を書くことがなくて、年末にnoteを始めて書いていたんだけど納得のいく文が書けていたかというと微妙だった。
そんな中で、閉鎖的な個人ブロブの最初に書いてあったものを読み直したんだけど、すごく読みやすくて(自分が書いたのだから当たり前なのだけど)ここまで書けるのか!と少し驚いた。

だから、ここに書き写して2021年はこの文を超えられるくらいの文章力を培っていく。

あとがきなのだから補足説明とか、これに対しての今の気持ちとかも書いた方がいいのかな〜。
補足しないとなんのことかわからないことだったり、もともと自分が読み返す用だったりして遠回しに伝えている表現が多い。
でもそれもまた書き手の匙加減ひとつな気がする。
誰が読んでくれるかはわからないけど、自分の過去を綴ったものを『書き物』という作品にできたことは嬉しく思う。


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