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わらいじぞうさん

あやかの家は

のろし山のふもとに広がっている村の中ほどにある。
昔武将たちが戦いの合図にのろしを上げたという山は、頂上がとがっていて、遠くから見てもすぐわかる。

村はずれにのろし山の登り口があり、そのあたりは広く平らになっていて、はじっこにおじぞうさんが祭られている。おじぞうさんの周りには大きな木が何本か枝を広げていて、おじぞうさんを守っているように見える。

おじぞうさんはにっこり笑った品のいい顔をしていて、「わらいじぞうさん」と呼ばれ、お参りする人が絶えない。
いつもお花やおさい銭が上がっている。
あやかは子供の頃から、亡くなったおばあちゃんとよくお参りに来たものだった。お母さんはヘルパーの仕事と畑で忙しいので、お参りすることはあまりないが、それでも遠くからおじぞうさんの林を見かけると、必ず手を合わせている。

六年生になったあやか

学校の帰りにのろし山の登り口の木立を見ると、おじぞうさんの顔を思い出すが、遠回りになるしわざわざ一人でお参りに行くことはなかった。

あやかの小学校は、小さくて学年ごとに一クラスしかない。
四年生からクラブ活動が始まり、毎年四月半ばごろ、クラブ活動の説明会があり、新四年生はそれを参考にクラブ活動を決めることになっている。

説明会は四年生以上を対象に体育館で六年生のクラブ長が説明するのだが、野球やサッカーのような人気のクラブは、部長が一目おかれて、舞台に出て説明するだけで拍手がわく。合唱部は十五人全員女子できれいな声で合唱曲を発表して、大きな拍手がわいた。一番最後は「オカリナクラブ」で、あやかが一人で舞台に出て話し始めた。

「私はオカリナクラブに入っていますが、去年まで一緒にやっていた先輩二人が卒業してしまって、私一人です。でもがんばって練習しているので、一緒にやってみませんか」

ここまではふつうに話ができたのに、前の列の四年生が、

「一人だって、クスッ」
「クラブにならないんじゃない」
と、ささやいたのが聞こえてしまった。

去年までは先輩が二人いて、少しはきんちょうしたが、春の歌「花」を不安なく三人でオカリナを吹くことができた。上手にできたと思ったのに、誰も下級生が入ってこなかったので、今年は一人になってしまったのだ。

卒業式に二人の先輩、美加さんとなつみさんに手紙とノートをプレゼントしたら、二人とも、
「あやかちゃん、下級生を入れてがんばってね」
と肩をたたいて言ってくれたので、大きな声で約束したのだ。

「はい、がんばります」
それでこの日のために、一人で一生けんめいオカリナを練習してきた。それが、四年生のささやきが聞こえたら、気持ちがどうようしてしまい、クラブにならないかもしれないと思ったら手がふるえだしたのだ。

「となりのトトロ」をえんそうしたが、うまく指が動かなかったのと、息が続かなかったので、音は切れたり、かすれたりした。
終わって拍手がなかったが、先生たちが拍手してくれたので、バラバラとまばらに拍手が聞こえた。

その後は頭が真っ白になって、どうやって教室にもどったのか覚えていない。

「あやかちゃん、大丈夫?」
「一人だもの、大変だったよね」
仲のいいエリやめぐみが声をかけてくれた。
でもそのことばを聞いて涙があふれそうになり、あやかは返事ができずに走って帰ってきてしまった。
あんなに練習したのに、どうしてうまくできなかったんだろうと、ただただ胸の中に重い石がつめこまれたような気持ちだった。
だれにも会いたくなくて、人のいない所に行きたいと思って歩いていると、足は自然にのろし山のふもとのおじぞうさんに向かっていた。

「悲しいときでもおじぞうさんに会いに行くと、気持ちがせいせいするんだよ」
亡くなったおばあちゃんのことばを思い出していた。

 お母さんの友だちが遊びに来て聞かせてくれたオカリナ

長い間習っていて発表会にも出る位上手で、心にひびくいい音色だった。何回か聞かせてもらううちに、いつか自分もこんなやさしい音が出せたらいいなとひそかに思っていた。

その友だちはご主人の転勤で、遠くに行ってしまうので、お母さんも残念そうに、友だちと別れをおしんだ。

「残念だわ。いつか教えてもらおうと思っていたのに」
「チャンスがあったらやってみてね。あやかちゃんもね」
思わず「はい」と返事したあやかだった。

四年生になった時、クラブ活動説明会でオカリナクラブがあることを知り、うれしくてすぐ申し込んだ。
家庭科のベテランの青山先生が、若い頃からオカリナを習っていて上手だったので、やってみたいと生徒にたのまれてクラブ担任になり、三年前から発足したと聞いた。エリやめぐみはソフトボールに入ろうとさそってくれたけど、運動はあまりとくいじゃないし、一人でもいいからオカリナクラブに入ろうと決めた。
お母さんもすぐ一緒にオカリナを買いに行ってくれた。
そのとき五年生の美加さんたちはやさしくねっしんに教えてくれた。
だんだんにいい音も出せるようになり、青山先生にもほめられた。
二年間三人いっしょに練習して、クラブ発表会にも出て楽しかった。

 おじぞうさんは芽吹いたばかりのやわらかい緑の木々に囲まれて、静かにほほえんでいた。

(ああ、私は取り返しのつかない失敗をしちゃった。あんなに自分が下手にしか吹けないなんて思わなかった…悲しい)
あやかは手を合わせて、心の中で話しかけた。

おじぞうさんはただだまってにこやかに聞いている。

(もし、上手に吹けたら、四年生が入ってくれたかもしれないのに、もう絶対だめ……教えて下さい、私はどうしたらいいの、クラブは終わりになってしまうかもしれない)

おじぞうさんの小さな屋根の上に、黄緑色の木々が風にサワサワとゆれて、うなずきながら話を聞いている。

そのときだった。

向こうの道から、腰がまがったおばあさんが一人、花を持っておじぞうさんに向かって歩いてくる。
「あれ、こんにちは。今日はかわいいお姉ちゃんがいるね」
あやかもあわてて頭を下げた。
おばあちゃんはなれた手つきでおじぞうさんの体を布できれいにし、古くなっていたよだれかけを 、持ってきた新しい赤いのにかえた。

「お姉ちゃんはよくお参りに来るの?」
おばあちゃんに聞かれて、正直に答えた。
「ううん、何年ぶりかで来たの。昔はよくおばあちゃんと来たけど、このごろは来ていなかったの」

おばあちゃんは持ってきた花をかざった。
「そうかい、私は近所に住んでるので、こうやって毎日のようにお守りしているんだよ」
黄色いスイセンと赤いチューリップが色あざやかだった。持ってきたペットボトルの水で花立てをみたしてから、横にある石にどっこいしょ、と腰かけた。

「このおじぞうさんはね、わらいじぞうさんというんだよ」
「ああ、それは三年前に亡くなったおばあちゃんから聞いて知ってました」
「おたくのおばあちゃんはなんていう名前だったの」
「風間菊江です」

「ああ、知ってるよ、菊江さんの孫かい」
あやかを見てシワの顔をほころばせた。
おばあちゃんは、あやかのおばあちゃんと昔老人会で一緒だったと話して、名前はサキ、年齢は八十五歳だとうれしそうに自己紹介した。
そして話し好きらしく、次々と話をしてくれた。

「わらいじぞうさんは、悲しいことも苦しいこともみんな吸い取ってくれるんだよ。わたしゃこの村の生まれで、家族が病気になったり、困ったことがあるといつもわらいじぞうさんにお参りに来たよ。そうするとふしぎなことにいつのまにかその悲しみがなくなっているんだよ」
サキばあちゃんは遠くを見る目になった。

「まだまだ若い頃、戦争が起きて兄さんが戦争に行ったときも毎日お参りに来たよ。兄さんが戦死したと聞いたときは、わらいじぞうさんの前で何日も泣いた。でもあるときおじぞうさんのやさしい笑顔を見て、いつまでも泣いていては、兄さんもよろこばないと気がついて、代わりにおじぞうさんのお守りをさせていただこうと自分で決めたんだよ」
サキばあちゃんはおだやかな目をして言った。

「その後、この村の人へお嫁に行ったんだよ。うちのダンナが戦争に行った時も毎日お参りに来た。今度は生きて返してくれたと、ますますおじぞうさんのお守りに力が入ったよ」

あやかのおばあちゃんの思い出話もしてくれたので、気持ちが和らぎ、つい今日おじぞうさんに来たわけを話した。
今日クラブの発表会があったこと、オカリナをうまく吹けなかったから、誰もクラブに入らないかもしれないこと。

「そうすると私一人きりで、クラブがなくなっちゃう。私はオカリナクラブをずっと続けたいので、悲しくなっちゃっていつのまにかここに来てたの…」

「ああ、そうだったのかい」
サキばあちゃんはうなずいて聞いていた。
日にやけたシワの顔が急に笑顔になってこう言った。

「それはこのおじぞうさんにお参りに来てよかったよ。花がさくように願いをかなえて、笑顔にして下さる、わらいじぞうさんだからね。もう大丈夫だよ」

「ほんとに…そうですか……」

「このわらいじぞうさんは、『じれば花ひらく』といってね、心からお願いすれば、きっとかなえて下さるんだよ」
あやかはすぐには信じられない気がしたが、ここに来たばかりの時よりも、サキばあちゃんと話して気持ちがぐっと落ち着いているのがわかった。

「また来て、このばあちゃんにもおじぞうさんにも、オカリナを聞かせとくれ」
「はい、おばあちゃんありがとう。今日は家に言ってこないので、おそくなると心配するから、明日来て吹いてみるね」

「私の家はこのすぐそばだから、ここにいなかったら、声かけてみておくれ」

サキばあちゃんと帰りながら、ここなら広々して気持ちがいい所だし、おじぞうさんに守られて安心して吹けるかも知れないと感じていた。
サキばあちゃんの家はおじぞうさんから見える位の近い家だった。
五年前まで雑貨屋さんをしていたそうで、そういえば子供の頃、おばあちゃんと買い物に来たことがあったとなつかしく思い出した。三年前にご主人が亡くなってから一人暮らしで、子供さん二人は遠くの町に住んでいるということだった。

「一人はさびしいかもしれないけど、なれるとこれほど自由にできて気楽なこともないよ。アハハハ、あやかちゃんも都合がいいとき、いつでも遊びにおいでね」
サキばあちゃんの家の前で、手をふって別れた。

あやかはおじぞうさんに向かったときとはまったくちがって気持ちが軽くなって、明日はおじぞうさんにもオカリナを聞いてもらおうかなと思っていた。

夕飯を食べながら

お父さんとお母さんに、学校でクラブ発表会があったこと、思ったよりうまく吹けなくて、下級生が入ってくれるように、帰りにわらいじぞうさんにお参りしてきたことを話した。

「そうか、一生けんめい練習してたのになあ」
お父さんのことばに、お母さんも心配そうに、

「おじぞうさんが、願いをかなえてくださるといいねえ」
あやかの顔を見ながら言った。

 

次の日、学校でエリやめぐみが心配して声をかけてきた

二人ともあやかがいつも通りなので、安心したようだった。
オカリナクラブの青山先生から、放課後家庭科室に来るように言われ、行ってみるとこう言われた。

「昨日はお疲れさま。一人だからきんちょうしちゃったよね。職員会であやかちゃん一人ではクラブ活動としてはさびしいので、ちがう楽器の人でもいいから一緒にやったらどうかという意見が出たけど、どう思う?」

「はい…それでもいいです」

「せっかくここまでやってきて、あやかちゃんもいい音が出せるようになってるから、やめるのは残念だし、四年生が一人でも入ってくれるといいんだけどね」
あやかはただうなずくしかなかった。

「じゃあ、先生もさそってみるわね、お互いガンバローね」
先生が両肩に手をかけてくれて、お礼を言って帰ってきた。

帰り道に遠回りして、おじぞうさんの前に行くと、サキばあちゃんがにこにこしてもう待っていた。
「あやかちゃん、お帰り」

あやかは「赤とんぼ」「里の秋」など、すぐにできる曲を三曲ほど休みながら吹いた。緑の若葉がやさしくゆれて、木もれ日がチラチラ光る。
自分の吹いた曲が上手に聞こえて、いい気持ちだった。

「よかったよ。なんかこう心にしみるようないい音色だね。いいもの聞かせてもらって、寿命がのびたよ。私だけじゃもったいないから、近所のばあちゃんをさそっていいかい」
サキばあちゃんのことばに、思わずうなずいていた。
こんなに気持ちよく吹けるなら、誰が聞いててもいいと思えた。

翌日はおばあちゃんとおじいちゃんが増えていた

その次の日は二歳くらいの女の子を連れた若いお母さんがいた。
何とかできる「アンパンマンのマーチ」を吹いてみた。
終わると女の子まで喜んで拍手してくれた。

サキばあちゃんは、毎日ではあやかも大変だから、えんそうは金曜日にしようと決めてくれた。あやかは家でも時間ある限り練習している。お母さんにサキばあちゃんのことを話すと、ほっとした様子で喜んでいた。

「よかった。ちょっと元気ない日があったから、心配してたの。オカリナを喜んで聞いてくれる人がいるのは、本当によかったね。いつかお母さんも聞きに行きたい。あやかはがんばって練習していてえらいね」

その週末の金曜日

おじぞうさんの前で一生けんめいオカリナを吹いた。
「小さな世界」や「四季の歌」を入れて五曲終わったときには六、七人の人が聞いていて拍手の音が大きく聞こえてきた。
おじいさん、おばあさんもいる。小さい子供を連れたお母さんもいるし、小学生らしい女の子もいた。あやかは自分が吹くのにせいいっぱいでわからなかったけど、こんなに何人もの人が聞いてくれたのだ。
ただただうれしかった。背の高い白髪のおじいさんが言った。

「いい曲を聞かせてもらってよかったよ。こんないい音色なら、老人会にも来て吹いてもらえないかね」

「ありがとうございます。また考えてみます」

あやかは自分のオカリナを聞いて、喜んでもらえるなんてオカリナに自信をなくしていたから、よけいにうれしかった。サキばあちゃんのことばどおり、わらいじぞうさんの前で、笑顔がわいてくるのを感じていた。

次の金曜日は十人くらいの人が聞いてくれた

レパートリーが少ないけど、毎日一生けんめい練習したかいがあって、去年習った曲をつまずかないで吹くことができた。

 それから三日ほどたった初めてのクラブ活動の日だった。どうせだれも来ないとあきらめて、おそるおそるおくれて行ったら、 家庭科室に四年生の女の子が二人いたのだ。

「あやかちゃん、おそいわよ」
青山先生がちょっぴり非難するように言った。

「先生すみません。みなさんごめんなさい」
「さあ、クラブ活動を始めましょう、自己紹介からね」
青山先生もウキウキしているようだった。
あやかは夢を見ているような気がした。

「クラブ長の風間あやかです。誰もいないと思ったのに、入ってもらえてとってもうれしいです」

心のそこからうれしさがこみあげて、ひとりでににやにやしてしまう。
すると四年生の女の子が言った。

「川上真衣です。オカリナは初めてですが、あやかさんがおじぞうさんの所でやったストリートライブの話をおじいちゃんから聞いて、私もそっと聞かしてもらって音色に聞きほれて入りました」

「ええ、そうだったの。はずかしいけど、ありがとう」
あやかは真っ赤になりながらも、うれしさがフツフツとこみ上げてきた。

「私は田町栄美です。真衣ちゃんにさそわれて、やってみようと思いました」
「田町さん……」
聞いたことがある名字だなと思ったら、栄美ちゃんが笑顔で元気よく話した。

「私はあやかさんのお友だちの、田町めぐみちゃんのいとこです。私もうちのおばあちゃんにおじぞうさんライブの話を聞きました。あやかさんとぜひ一緒にやりたいです」

「こちらこそ、よろしくね」
あやかは思わず二人と力をこめて握手していた。
あやかより少し小さいやわらかい手だった。

青山先生から話があって、今年は全校音楽会にも参加することや川上真衣ちゃんのおじいちゃんに頼まれた老人会でも発表しようと、練習計画を作った。二人の四年生は初心者なので、十二個の穴を使って音の出し方を先生から教わった。
あっという間に一時間が過ぎていた。
はずんだ気持ちで教室にもどって、めぐみにすぐ報告すると、にこにこして答えた。
「栄美に相談されたから、すぐやるように言ったの。あやかはおじぞうさんの所でがんばって練習してるものね。私もオカリナは無理だけど、ピアノなら協力できるから、どこかで発表するときは、特別出演させてよ」

「ありがとう、とってもうれしい」
「私は聞くだけだけれど、応援してるわ」
エリもわらって言った。

その日の帰り

おじぞうさんのところにサキばあちゃんが待っていた。
「サキばあちゃん、念じれば花ひらくってホントだね」
思わずサキばあちゃんのシワの手をにぎっていた。

「そうかい、そうかい、それはよかったね。がんばってどんどん練習して、この年よりにもまた聞かせておくれ」

「もちろん、一生けんめい練習して、新しい曲はサキばあちゃんにまっさきに聞かせるね」

「そりゃ、ありがとね。わしもここであやかちゃんと会うのがとても楽しみだよ。かわいい友だちができてよかった。そうだ、今日はいい物があるよ。おじぞうさんにもお供えするけど、たまにはいっしょに食べとくれ」

「わあ、うれしい」

サキばあちゃんはあざやかな緑色のヨモギ団子を取り出した。
わらいじぞうさんにお供えして、二人で食べた。ヨモギのかおりが口の中いっぱいに広がり、その中から甘いあんこの味が広がった。

「とってもおいしい」

「そりゃよかった。ダンナの好物だったから昔はよく作ったもんだよ。このごろはずっと作らなかったけど、久しぶりにがんばったかいがあったよ」

あやかはサキばあちゃんのヨモギ団子をもらった後、改めてわらいじぞうさんに手をあわせてお礼を言った。
わらいじぞうさんはいつもにまして、やさしい笑顔だった。

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