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それは、どんな優勝旗よりも

刺すような陽射しがみじかく濃い影を作る、昼休みのことだった。
「うたちゃん! ちょっと来て!!」と呼ばれて振り向くと、バックネット裏にいたあけちゃんが、はじけるような笑顔で手招きしている。
あけちゃんは副主将のお母さんで、いつも明るく、誰にでも優しく、よく気が付く。野球部保護者会のムードメーカーで、土日の仕事を調整しながら息子の練習試合をよく観に来ていた。

「なぁに?」と近づいていくと、あけちゃんは私から「ちょっと、うたちゃんのカメラ、貸して」と、私がさっきまで選手たちを撮っていた望遠レンズ付きのカメラに手を伸ばした。
こんなことは初めてだったから、何だろう?と思いながらも、カメラをAUTOモードに設定して「ここを半押しするとピント合うから」と手渡した。

「はいはい。うたちゃんは、グラウンド行って!」と、あけちゃんに背中をポンと押される。
私が、グラウンドに? なんで?
え・・・入っていいの?
マネージャーの母なのに?

予想外の出来事に、きっと私は???だらけの、すっごくマヌケな顔をしていたに違いない。
並んだお母さんたちとあけちゃんは、みんなイタズラっぽく瞳を輝かせて、楽しそうに笑っていた。

 

きっと、一生忘れることはないだろう。
昨年の梅雨の晴れ間の、蒸し暑い日の出来事を。
私はこの日、どんな優勝旗よりもココロに沁みる思い出を、みんなからもらった。

練習試合は普段なら、午前・午後のダブルヘッダーか、“変則ダブル”と呼ばれる3校で各チーム2試合ずつ全3試合という形のどちらか。
でも、その日は違っていた。
夏の地区大会の開幕が、6日後に迫っていたからだ。

組み合わせ抽選会で、たがいに1回戦では当たらないことが判っていたから、一度は雨天中止が決まっていた練習試合を急きょ別日に仕切り直して、この日の午前中に1試合だけおこなったのだった。

 

この日も私は普段と同じように、娘と片道1時間超えの朝焼けドライブをして、どの保護者よりも早くグラウンドに着き、ウォーミングアップから選手たちの写真を撮っていた。

ひとケタの背番号をもらったレギュラーはもちろんのこと、ベンチ入りした選手たちも、バックアップに回った選手たちも、マネージャーたちも、普段の練習試合とは違って、ピンと張りつめた空気をまとい、静かな闘志をみなぎらせている。

最後の練習試合を目に焼き付けようと、仕事や介護や様々な事情をどこかへぶん投げて集まった3年生全員の家族も、やはり普段とは違っていた。
もちろん、こども達のような緊張感や闘志や応援の気持ちもある。
でも、それよりも、母たちが口々に語り合っていたのは「もっと見ていたかったのに、もうちょっとで終わっちゃうんだ・・・」という言葉だった。

この気持ちは、何なんだろう。
感傷というにはあまりにも深い、“喪失感”のようなもの。
まだ、失ってもいないのに、だ。
それは、野球をしてきた我が子に何年間も伴走し続け、日々の暮らしも週末もすべて野球に捧げてきた日々のゴールが、すぐそこに見えてきているからだろう。

高校野球の終わりは、伴走者としての親の役目の終わりを意味する。
ずっと応援していく立場はこれからも変わらないけれど、こどもに給水や補食を準備し手渡しながら声をかけ伴走する役割は、もうすぐ終わってしまうのだ。

この練習試合が終わったら、あとは負けた時点で終わりの最後の大会。

早朝と夜の送り迎えも、2食分のお弁当を作ることも、タンパク量を計算しながら夕食を作ることも、息子の体重に一喜一憂することも、試合のビデオを見直しながらの父と息子の反省会にヒヤヒヤすることも、自校バックネット裏でのハラハラドキドキの観戦も、親どうしで乗り合わせて行く遠征も、倒れないように氷で首を冷やしながら声をからして応援する灼熱のスタンドも、あれも、これも・・・。
もう、今日が、明日が、一週間後が、最後になるかもしれない。

これから先、もしも野球を続けていったとしても、来年の今ごろにはこども達は免許を取り、乗り合わせたりしながら、自分達でグラウンドや球場、どこにでも行くことができる。
親の手なんて、もう必要ない。
それは、うれしくて、頼もしくて、めっちゃさびしい未来だ。

この日のバックネット裏の応援席は、その何とも言えないせつなさと、理想的な試合運びから湧きあがるほのかな期待が入りまじって、みんなでジェットコースターに乗っているようだった。

こども達はそんな親たちをしり目に、投げて守って、塁に出ては走り、走っては打って、声を張り上げ、腕をチカラの限りブンブン回し、盛大な砂ぼこりを巻き上げながら帰還して、最後の練習試合を7-2の快勝で締めくくった。
両校で整備をし、相手校の選手達を帽子を高く振って見送り、こども達はお弁当をひろげる。

母たちもレフト際の階段に腰をおろして、おにぎりやコンビニのパンを食べる。
こども達には暑くてもノドを通るように工夫した栄養満点のお弁当を作るけれど、自分の分なんてそんなもんだ。

この日、3年生は全員が1塁側ベンチに入って、向かい合って食べていた。
もちろん、マネージャーもいっしょに。
最後の1年でぐんぐん距離が縮まってきてるのはわかってたけど、いつの間にこんな感じになってたんだろう。
全員がベンチで食べるだなんて。

遠いレフト際からでも、ボウズ頭が楽し気に揺れるのが見える。
最後の練習試合のお弁当。
彼らがどんな気持ちで食べていたのかはわからないけれど、母たちはせつなさを抱きながら、その様子を見ていた。

食事を終えた選手たちが、だんだんグラウンドに出てきて、時間を惜しむかのようにキャッチボールを始め、私はその姿を撮りに行く。
試合での緊張した面持ちもいいけれど、練習で選手たちが見せる表情も大好きだったから、普段なかなか見ることができない表情を撮りたくて。
さいわいなことに顧問の先生がたが、すれ違うたびに「いい写真撮ってあげてくださいね!」と声をかけてくださるような、ありがたい環境だった。

 

そんなときだった。
バックネット裏から、あけちゃんに呼ばれたのは。

 

「はいはい。うたちゃんは、グラウンド行って!」と、私の背中をポンと押したあけちゃんは、マウンド近くに集まっていた3年生たちに並ぶように声をかけて、こう言った。

「うたちゃん、真ん中に入って! こども達と写真撮ってよ! いつも、こども達や私たちの写真を撮ってくれてばかりで、全然うたちゃんの写真ないもんね」
うろたえてバックネット裏を振り返ると、笑顔のお母さんたちから「いいねいいねー!」、「ほらほら、早くー!」とか、声がかかる。
あけちゃんは、カメラの扱いに慣れている保護者にカメラを託していた。

私のほかに、もうひとりうろたえていた人物がいる。
娘だ。
「なんでお母さんが、みんなと記念写真撮るの? なにこれ、めっちゃ恥ずかしいやつじゃん!」と照れ笑いしながらも、もうひとりのマネージャーと一緒に、私の両脇をかためた。

こうして私は、保護者みんなに見守られながら、3年生の部員たちの真ん中に入り、みんなのたいせつなグラウンドで記念写真を撮ってもらった。
部員に囲まれて被写体になるのは、何だか気恥ずかしかったけれど、にこにこ笑ってピースしてくれたこども達はかわいかったし、なによりお母さんたちの心づかいが、うれしかった。

1試合あたり平均3,000枚、練習試合なら2試合だから5,000枚以上、私は写真を撮る。
使える写真はその2割くらいで、残りの8割を削除するのにも、残った写真の編集作業にも時間がかかった。
毎週のように練習試合があったから、家ではもちろんのこと、職場にも私物のノートPCを持ちこみ、昼休みに休憩室で編集していた。
写真を待ってくれているのを知っていたから気持ちは焦ったけれど、それはとても楽しい作業だった。

サード強襲のダイビングキャッチがピントばっちりで撮れた時には思わずガッツポーズしたし、ずっと控えだった選手がスターティングメンバーに起用されて活躍した写真や、いつも居残り練習してた選手が初めてホームランを打ったガッツポーズの写真は、目をうるうるさせながら編集した。

私にとっては、撮った写真を選手やお母さん・お父さん達が心待ちにしてくれたり、見て喜んでくれたり、反省材料にしてくれたり、SNSのアイコンにしてくれたりすることが、なによりの楽しみで、幸せだった。

撮っているうちに、選手たち全員が My HERO になっていったし、どの子もみんな一生懸命で素敵で、かわいくてかわいくてしかたがなかった。
自分の写真がないことなんて、気にしたこともなかった。
撮らせてもらえるだけで、見てもらえるだけで、使ってもらえるだけで、充分だった。

お礼を言いたいのは、こっちのほうだ。

彼らにカメラを向けたのは、楽しくふざけてる時間や、かっこいいプレー、勝利に沸いたとき、優勝した表彰式ばかりじゃない。
ケガで投げられない投手のランコー姿、エラーやタッチアウトになった瞬間、デッドボールにゆがむ表情、敗れた試合のミーティング、銀色の盾ににじむ悔し涙・・・目を背けたくなるような瞬間も、常にカメラを向け続けた。
「こんなとこ、撮られてイヤだろうなぁ・・・」って思ったこともあったけれど、それでも撮り続けたのは、いつの日か「こんな時もあったね」って、仲間や親子で懐かしく振り返るときが来ると信じているから。

そんなことを続けてるうちに、選手たちは「明日の試合、うたちゃん来る?」って聞いてくれるようになったり、「6-4-3のダブルプレーの写真、撮って欲しいなぁ」って娘にリクエストしてくれるようになったり、練習中や試合以外のときにカメラを向けると、ピースサインをしてくれるようになった。
「撮ってもいいよ」って言われているような気がして、何だかうれしかった。

お礼を言いたいのは、こっちのほうだった。
撮らせてくれて、ありがとう。
そう、心から思っていた。

 

こども達が夏の大会で敗退した、高校野球最後の日。

おそろいの応援Tシャツの背中に白い塩が浮かぶような暑さのなか、千羽鶴を相手校の主将に託す瞬間と、涙が止まらないラストミーティング、野球部全体や保護者の集合写真、3年生全員のそれぞれの家族写真を撮影し終わったとき、3年生のお母さんたちから声をかけられた。
「うたちゃん、今までこども達を撮ってくれてありがとう!」と、大きな平たい箱と小さな箱が差し出される。

その場で開けてみると、大きな箱には、メッセージ・四つ葉のクローバーとともにアクリルのフレームにレイアウトされた四ツ切サイズの、あの日の選手との記念写真が、小さな箱には私の名前が刺繍されたカメラストラップが入っていた。
あんなに一緒にいた私にナイショで進めてくれていた、不意打ちのプレゼント企画と、みんなで選んでくれたんだろう その贈り物のあたたかさに、とめどなく涙があふれた。

 

そのときの写真は、熱くせつない日々の思い出とともに、今、私の部屋に飾られている。

 

それは、どんな優勝旗よりもココロに沁みた、私のきらきらひかる2年間のたからものだ。

 

あけちゃん。
あの、書きかけだったお話、書き上げたよ。
ときどき波のようにあけちゃんの笑顔と声が押し寄せてきて、涙がぽろぽろこぼれたけれど。
ありがとう、あけちゃん。
ありがとう、みんな。

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ここまで読んでくれたんですね! ありがとう!