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【小説】ゼリーの向こう側

「わー、久しぶりー!」

「ああー、ほんといつぶりだろう?んーたぶん最期に会ったのって、高校の卒業式の時じゃない?」


絵に書いたように眩しくて、毎日がキラキラと輝いて見えていた青春の日々の記憶。

あの頃は、何でもないことがただひたすら楽しくて、無駄に放課後教室に残っては、3階の窓から校庭で部活中の男子を眺め、あーでもない、こうでもないと、とりとめのない話で盛り上がっていたものだ。


女同士の会話なんて、結局のところオチもなければ、お互いに答えなんて求めていないのだけれど、ただ自分の中に湧き上がる抑えきれないあふれる恋心やその時にふと思いついた勢いだけの感情を、お互いにさほど聞いていないのだろうと薄々気づきながらも、かと言ってそれを気にする様子もなく、延々とあてもなく喋っていた。


共感の中で生き、共存し、調和を保ち、時に表面上は協力するが、水面下の気持ちは違っていたりする。

派閥を避けるために、興味のない話も興味のあるような素振りを見せたり、さほど可愛いと思っていないものでも、心ここにあらずで笑いながら「かわいい~」と言える。

そんなことを男性が聞けば、ちょっとビックリして恐怖さえ覚えてしまうのかもしれないけれど、この先の人生で何かしらのやくにたてばと思い代弁しておこう。


”女”とはそういうものだ。


ずっと仲の良かった親友とも、高校を卒業と同時に、地元に残り就職した私と、都会に行って大学に進学したあの子とでは、30歳を目前にした今、言うまでもなくかなり別々の次元を生きていた。


「ねぇねぇ、このゼリーさ。今私が住んでる所ですごく人気のやつなの。まぁ、なかなか買えないんだけどさ、今日お土産に持ってこようと思って、決めてたから、ずっと前から予約してたんだー。一緒に食べよ!」

「へーそうなんだ?嬉しいー、じゃお皿持ってくるね!」


すっと立ち上がって台所に向かう私の想いは、言葉にして放った喜びとは裏腹に、なぜあの時、自分も思い切って都会に出なかったのかという、今更どうしようもない後悔の念で複雑な気持ちになっていた。


「ねぇ、どの味がいい?2つずつお皿に乗せてこようと思うんだけど。」

「んぁー、私食べたことあるし、どれでもいいよ。好きなの選んで。」


何でもない会話が一層、生まれてこのかたずっと代わり映えのない地元で、コレといった変化も刺激もなく暮らしてきた私と、女性として都会で麗しく花開いた彼女との格差を浮き彫りにしたように思えた。

きっと親友の彼女にそんな気はないのだと分かっていても、穿った見方しか出来ないようになっていた歪んだ私の心には、プルプルとお皿の上で揺れているゼリーの塊が、もはや激しくもみ合い、押し合っているかのように見えて、どちらかが落下するまでの工程をスローモーションで見ているかのような気にもなった。


「ごめんごめん、おまたせ。ねぇ、グレープとレモンミルクにしたけど、これで良かった?」

「うん、全然いいよー。おー、いちごとソーダ味にしたんだ?」

親友は私の前に置いたゼリーの皿を見てそう言うと、こう続けた。

「まぁそうだよねー、昔から冒険出来ないタイプだったもんねー。だからさ、いちごは絶対選ぶって思ってたんだよね。でもソーダ味を選んだのは意外だったかな。だってほら、いつもこういう変わった味っていうか、いや、別にそこまで変わった味でもないんだけど、これぞ王道!っていう味じゃないかんじのとか、変化球みたいなものって、選ばないし、昔からずっと避けてたじゃん。」

「う、うん、そうだねー。」

「うん、でもねー、いちごは大正解だよ!このお店の人気ナンバーワンだもん!絶対に美味しやつ。それに、ソーダも季節限定の味だし、春から夏の間だけしか食べられないんだよ。めっちゃいい選択じゃん♪」

「え、そうなの?じゃ、無意識にいい感じの選んでたんだ?良かったー。」


ニコッと笑って見せたけど…。

内心私の心は穏やかではなかった。


何も分かっていない。。。。。

親友と私との間に感じた、ふんわりとしたベールのような薄い膜。
なんとも言い表せないもやもやーっとしたそれは、うっかりと庭先を歩いていたら、蜘蛛の巣にかかってしまい、虫たちのように身動きがとれないわけではないのだけれど、顔にかかった糸はあまりにも繊細で、どれだけ賢明に取り除こうとしても、その端っこを見つけられずにずっと気持ち悪い状態。

目には見えずそこにないようで、でも確実にあるというまさにそれだった。


残されたその強い違和感は、一度感じてしまった以上、全く無かったものに出来るはずもなく、海岸沿いで共に遊び、笑いあい、波うち際に立っていたはずの私と彼女の姿はもはや過去のことのように思えていた。

ゆっくりと潮が引くように、彼女が地平線の向こう側に、すーっと遠のいていってしまい、自分だけおいてけぼりをくらったような感覚だ。


彼女は変わってしまった。

……いや、変わってしまったのは、彼女ではなく本当は私なのだろうか?信じたくはないが正確に言うなら、私に関して言えば怖いくらいに物質的に見える現実というのは、何も変わっていない。

でも明らかに、この十数年の間に私達の関係は、あの頃とは、全く別のものになってしまっていた。


「で、最近どうなの?いい人いないの?」

レモンミルク味のゼリーを一匙すくいながら、ツルッと口に含むと、高校時代によくしていた、放課後のあの時間がフラッシュバックしたかのように、前置きなんて遠慮の空気感は1ミリもなく、唐突に質問が始まった。

「えぇ、いい人なんていないよー。まぁ、ほしいとは思うけどね。」

「えーいないのー?つまんないのー。」

と、二口目をすくいながら、彼女は久しぶりに地元に帰ってきたなという視線で、珍しくもないはずの見慣れた田舎街の風景を窓越しにキョロキョロと見渡していた。


そもそも、出会いなどそうそうあるはずもない。
地元に就職したと言っても、実際には親が立ち上げた小さな和菓子屋の後を継いだだけだった。

和菓子屋というには歴史も浅く、老舗なんて呼べるような店構えでもない。

こう言っちゃ申し訳ない気もするけど、なんとも特徴がない中途半端な風格。

別に悪く言うつもりはない。
でも、お客さんと言えば、来るのは近所のお年寄りくらい。

人気店のように次々に人が押し寄せることもなければ、店頭に並べる数も少なく、深夜から仕込みに入らなければ翌朝店を開けられないなんてこともない。

平凡という言葉がふさわしいと言っていいのか分からないけれど、それしか思い浮かばないような、そんな冴えない雰囲気のお店だった。


だから、桃色の恋にときめくような出会いなんて起こるはずもない。
家族経営の店で毎日顔を合わせるのは、両親だけ。

家と地続きになった建物は、通勤による煩わしさこそないものの、新しいモノや人に触れる機会もない。

満員電車に乗り通勤する中、痴漢に怯える様なこともなければ、知らない誰かに一目惚れするなんて、そんなこともあり得ない。

本当に刺激のない日々。

平穏で凪いでいるといえば聞こえはいいが、実際には、”つまらなかった”。

外部の職人さんを雇ってもいない環境下では、職場恋愛でさえも夢のまた夢の話だったのだ。


表向きは笑顔を見せていたけれど、私の中に、ふつふつと湧き上がり始めていた、苛立ちの間欠泉は静かに、勢いよく噴射する時に向かい、カウントダウンが始まっていた。


いつも喉元まで来ているのに、そこから先へはけして飛び出すことはなく、煮えたぎる怒りも、溢れそうな不満も、破裂寸前の苛立ちも全部、摩擦を極端に恐れる私は、体内で暴れまわる大蛇の首根っこを掴んで抑圧する如く、グビッと飲み込んでしまう。

そんな八方美人の偽りで塗り固められた自分が嫌いだった。

本当の私は、純粋でも正統派でも、お利口さんでもなんでもなくて、ただ誰にも嫌われたくないだけの臆病者。

本当の自分を偽っているという点では、ピノキオの鼻も軽く超えてしまいそうなくらいの大嘘つきだ。


人の顔色を見ては、自分の意志を押し殺していた私は、休み時間にお菓子を食べなから話す「この中でどれが食べたい?」なんていう、友達同士のなんでもない会話でさえ、自分が一番食べたいものを答えたことがなかった。


そう。

私の答えはいつも、「どれでも良いから、好きなの選んでいいよ。」だった。

なんでもいいわけがない。
本当は一番食べたいものも、自分が好きなものもある。
それは、自分が一番分かっている。

だけど小さい頃から、もう耳にタコが出来るほど聞かされた訳のわからない両親のしつけ。

「家ではなんでも好きなものを買ってあげるし、食べさせてあげるから、
外にいる時は、女たるもの慎ましく最期に手に取り、いただきなさい。」

そう、言われ続けてきた。


きっと、これが原因だ。

三つ子の魂百までなんて言葉があるけれど、今の私が形作られているのはまさにこれ。

大人になった今でも、小さい頃から呪文のように言われ続けてきた言葉はもう、脳内で何万回も繰り返し再生され、ビデオテープなんてある時代ならきっと、その箇所だけ擦り切れる寸前と言えるだろう。


私という人間は、私が主導権を握っているはずの主人公なのに、こういう場面に直面した時だけはいつも、どことなく自分が自分じゃないというか、体という個体は現実世界に存在していても、魂だけがヒュルリとすり抜け、その場面が過ぎ去るのを、少し遠くからぼーっと見守っている。

そんな感覚がしていた。

あの時もそうだった・・・・。


私には高校時代に、ずっと想いを寄せていた人が居た。

特別女子にモテるタイプの人ではなかったと思うのだけれど、
いつも教室の隅っこの窓にもたれながら、見るからに活字で埋め尽くされた小難しい感じの本を読んでいた彼。

南から入る陽の光が、眼鏡のレンズを通りプリズムとなって、たまに彼の周辺に小さな虹をつくり、キラリと揺れる。

物静かでどこか憂いを帯びている表情は、ミステリアスという言葉がぴったりで、一見何を考えているか分からないような無の空気感も、触れてはいけないガラスの美術品を見ているようで、私は好きだった。


お世辞にも美人だなんて言えない私の容姿では、当然彼に話しかける勇気なんてあるわけもなく、ギリギリ彼の視界に入らないくらいの場所から、そっとその姿を見つめることしか出来なかった。


繰り返される、親友?・・・いや、ゼリーの女の無神経な言動。


今思えば、そう、その頃からすでに、その片鱗はあったのだ。
ただ、今よりずっと若かった私には、それを薄々気づこうとも、さざ波を立てることを避けたいが為に、こう言い聞かせるしか出来なかった。


「きっと気のせいだ。この子だって悪いところばかりじゃない。この子はいい子・・・きっといい子。」と湧き上がる違和感をねじ伏せ、否定することも歯向かうことも、意見することも全て、ネガティブなことにNOが言えない私は、友達で居続けるという選択をしてきたのだ。


その友達に今でも忘れられない嫌悪感を抱いたのは、そんなある日のことだった。


「ねぇ、あの窓際にいる男子って、ずっと本ばっかり読んでない?だいたい友達なんかいるのかな?ほら、だっていっつも一人だし。
私、ああいうタイプの人と付き合ったこと無いからわかんないけど、彼女とかいたらさ、ニコッって、笑ったりなんかするのかな?
歴史だの物理学だの、なんだか訳わかんない本ばっかり読んでてさー。あーもう、正直何話せばいいかすら検討もつかないんだけど。
いや、でもね。これであの人の笑うとこ引き出せたら、ちょっとおもしろくない?」

「あー、うん。」

「あーうん、って何?ねぇ、ちょっと聞いてる?
なんか面白そうだから話しかけてみようかな。」

「え、え、ちょっ、ちょっと待っ・・・」


そう私が言い終えるのをさえぎるように、彼女は、窓際めがけてスタスタと歩んでいったかと思うと、私がずっと好きだったのに見つめることしか出来なかった彼に、なんのためらいもなく肩を叩き、何やら話しかけていた。


つま先の先端ですら彼という麗しの庭に立ち入ることが出来なかった私をよそに、ズカズカと土足で上がり込んでいく彼女の姿を見て、ちょっとだけ羨ましい気分になり、一方で、そんな大人びた彼女の行動と意気地なしの自分を比べ、悔しさと情けなさでいっぱいになった。


強引かつ大胆な彼女のすぐ隣で、クスクスっと、私が今まで見たこともない明るい表情で、彼が笑う。

そんな姿を目の当たりにした私は、もう頭の中がぐちゃぐちゃで、目の前で起こっている出来事が、まるで静止しているかのように見えていた。


キーンコーンカーンコーン


休み時間が終わるチャイムが鳴り、そそくさと戻ってきた彼女はこう言い放った。

「んー彼ってつまんない。思ってたよりイージー過ぎた。」

「え、イージー過ぎた?・・・・。」

あまりに唐突に投げられた手榴弾に、逃げる間もなく、私はもろに、彼女の暴言を体中に浴びてしまった。

そう、彼女にとって彼はただ、「あの人笑うことなんてあるの?ないなら、私が笑わせてやろうか!?」そんなゲーム感覚でしかなかったのだ。


ずっと博物館の美術品のようにガラスケースの外から愛でていた彼を
そんなずさんな扱いをした彼女が、私はどうしても許せなかった。


これだから私は世間で美人と言われるような女が嫌いだ。

別に容姿端麗な人全てが、悪い人ばかりではないことくらいは、さすがに分かっている。

それでも、当時の記憶を呼び覚ましてしまうトリガーになってしまうほど、傷ついた私の心は、長い年月が経ちようやく剥がした粘着テープの後のように、ベタベタになってそこに居座り続け、脳内で開けてはいけないパンドラの箱としてずっと閉じ込めてあった。


年頃となった20代も特に着飾ることなく、化粧っ気もなかったのには、心の奥底でずっと思い込んできたこのパンドラの箱のせいだろう。

そんなことも影響してか、世の男性がこんな私に惹かれるはずもなく、私は30代を目前にして未だに独身というわけだった。


コツコツっと金属のスプーンがゼリーの入った器の中で、滑ってはツルリと逃げ、なかなか掬えないゼリーのかけらを追いかけながら彼女は話を続ける。


「私さ、この前久しぶりに帰ってきた時に、偶然駅で元彼に会ったんだよね。でさ、まぁ、ちょっと気まずい感じもしたんだけど、あっちはそういう感じじゃなかったから、私も気まずいなんて思ったほうが余計に変かなーなんて思って、フツウに話ししてみたんだよね。
でね、そしたら、なんかいい感じになっちゃって~、お互いフリーだっていうからノリでシちゃったんだよね。
別にさ、彼とは初めてじゃなかったけど、なんか前と違ったっていうか?燃えちゃって、あ~もう、とにかくすっごく良かったの。
まぁ、とは言えね、距離だってあるし、別にまた付き合おうなんてことにはならなかったんだけど、いわゆるそういう関係?だけ楽しもうってことにしたの。
もう別に、あの頃みたいに子供じゃないし、そういうのもありだよねって。
だいたい私、ホントは彼氏いるしね。笑」


彼女の言う元彼とはそう、高校時代に私が好きだったあの眼鏡の彼のことだ。
あの後、彼女は”イージー過ぎてつまんない”あの彼と、なんだかんだ体の関係になって、当時の私の気持ちを知ってか知らずか、まぁ、彼女にとっては、どうせ自分の気持以外はどうでもいいわけで、結局なあなあに付き合っていたのだ。


「へーそうなんだ。ほんとモテるよねー。アハハハ。」


なんて上の空でかろうじて答えてみたけれど、あまりに無神経でゲスな彼女に、女である私でさえ、同じ女である彼女のことが心底恐ろしくなり、ぶるっと一瞬小刻みに震えた背中を必死に隠していた。

大人になり少し分別がついた今、ふと我に返り、どうして私はこんな人のことをずっと親友だなんて思い続けていたのか、なぜ今この人と同じ空間に居て、一緒にゼリーなんてつついているのだろうと思い始めていた。

やっと、目が覚めた。
。。。。。


それから先の話は、正直ほとんど覚えていない。
マシンガンのように続く彼女の自慢話や、男を股にかける理解できない武勇伝に呆然としながら、引きつった笑顔をごまかすのが精一杯だった。


ああー頼むから、早くこの虚無に満ちた悪魔の時間よ、過ぎ去ってくれ。
もう、その想いの一辺倒につきる。


私は、掬いきれず勢いあまってブルンっとカーペットに滑り落ちてしまったゼリーのかけらごしに見える、彼女のターコイズブルーのペディキュアをみつめながら、お腹の中に入ってしまったこの女が持ってきたゼリーは、あとどれくらい私の中に居座る気なのかと、心の中で深くため息をついていた。



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