「地域」というコミュニティへの愛憎

昔っから地域というコミュニティが嫌いで、この嫌いというベースは変わっていません。好きでそこに住んでいる人なんて一握りなんです、本来。
・たまたまそこで生まれ育った
・通勤の都合上
・その他、何か(家賃が安い、高齢親の近くに住む必要がある等)の都合上
等、自分ではコントロールできない理由で仕方なくそこにいるだけなのに、勝手にコミュニティの一員だと見做され、役割を押し付けられる。意味がわからんです。
なので「地域福祉」という概念も、好き嫌いでいえば嫌いです。これははっきりと言える。

一方で、あらゆるコミュニティの中で地域ほどコスパがいいものはないな、とも思いました。今日思った。思いたてほやほやだぜ。

何かっていうとマンションの管理組合の理事会が毎月あるということを今日知りまして。毎月強制的にマンションのために時間を作って、他の住人(理事)と顔を合わせなきゃいけないんですよ。つらい!!! 本音としてはやりたくない、休みの日はみっちり休ませてくれー!!!!!

「区分マンションを所有して住んでるだけ」で自動的にそうなっちゃいました。
・特段努力はせず(買うのは大変だったけどね……)
・強制的に加入させられ
・定期的に「参加」を義務付けられる
勘弁してくれという要素のオンパレードなんですが、一方、他のコミュニティって、
・何か努力をして
・加入の意思を表明し
・でも定期的に「参加」の義務はない(参加しなければコミュニティからの排除はあるかも)
という、人によってはハードルが高めの加入要件なんですよ。
社会人サークルなんかを例に挙げると、
・何らかの趣味(山登りやテニス)を持ち、会費が支払える
・加入の意思を表明し
・でも定期的に「参加」の義務はない
なので、「他人と共有できる趣味を持っていない、会費を払えない」「見ず知らずの主催者に自分からコンタクトを取れない」「(参加の意思を表明しなければ)集まりの日時に行かなくても何も言われない」、どれかに当てはまっちゃうとコミュニティに所属できず、頑張って加入したとしても所属し続けているとはいえない状態になってしまいます。
ハードルが低めと思われる宗教的なコミュニティでさえ、まず信仰ありきです。会社への所属も、「働ける」が大前提です。

SNSでよく見かける自称右派、実質「自身になんら取り柄がないためなぜか自身の国籍なんかを要らん自尊心の拠り所にしている」「で、さらになぜか他国や他国にコミットしている他人をこき下ろすことでしか要らん自尊心を保てない」人たちも健全な精神状態とは程遠いですし、そう考えると「ただ住んでるだけで一員と見做されちゃう『地域』とやらは、あらゆる人を包括するコミュニティとして最強なのでは……?」と思いました。今日、ようやく。
コミュニティへの帰属意識なんぞ要らん、という孤高の人には迷惑千万かもしれません。ただ、実態として多くの人はどこかしらへの帰属意識を必要とするでな。

繰り返しますが冒頭に書いたように地域福祉も含めて嫌いだし意味がわからないです。これはずっと変わらないと思う。
地域というコミュニティの崩壊も指摘されています。今の日本みたいに中途半端に貧しい状態が一番まずいと思う。徹底的に貧しくなればお互い助け合わないとガチで死にますので、コミュニティは発生しやすいんじゃないでしょうか(これは想像)。逆に豊かであれば「困ってる人のために何かしよう」という余裕もできて、身近にいる=地域の困ってる人への支援が活発化すると思います(これはまあまあ事例がある)。

どうですか、お住まいの町内会や自治会。何やかんやで集まりはありますでしょうか。いずれ「地域以外のどこへも所属できなくなっちゃった」時のために、今からちょっとずつ顔を出しておくのもいいかもしれません。

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