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朝がまた来る #阪神淡路大震災

質問です。
あなたは『阪神淡路大震災』の発生時刻を
正確に言うことができますか?


時々、思うことがあります。

もし東日本大震災がいつか全国放送のテレビ特番で追悼されなくなり、東北地方のテレビだけが3月11日を追悼するようになったら、それを私達はどう思うべきなのか。

良いことなのか、悪いことなのか。前進したと受け取っていいのか、風化へ後退したと考えるのが自然なのか。

事実、阪神淡路大震災はもうそうなっている。だんだん震災追悼の式典も、地域単位で開催しているものは縮小傾向にある。被災者の高齢化が大きく原因となっているようではあるが。テレビも、毎年関西ローカルとNHKだけが早朝の発生時刻に追悼特番を組んで放送し、全国のテレビではニュースの一項目に上がる程度の扱い。5時46分の黙祷が終われば、6時にはもういつもの底抜けに明るい朝番組に変わってる。

まあ、いいんだけどね。いいんだけど。辛気臭いニュースは嫌だって人もいるし。でも、心はなんだか複雑というか。ちょっとぐらい、思いを馳せてくれたっていいじゃない。と思わなくはないのです。


いま神戸では、震災によって生まれた歪がちょっとずつ大きくなっているそうです。とりわけ、震災経験者の高齢化による記憶の保存、復興住宅の超高齢・過疎化、震災後の再開発地域の空洞化。あのときの復興の道は本当に正しい復興への道だったのか。現地に住む住民の手で検証するという動きもあります。

そう。28年も経ったのにちっとも震災は終わっていない。むしろ現在進行系で、震災はハッキリとここにあるのです。

何も神戸だけの問題じゃないと思うのです。

これから何処かで地震が起きて復興を目指すときに神戸と同じ問題が浮かび上がってくるかもしれない。東北でだって同じことがもう起こっているかもしれない。そうでなくても、明日南海トラフは来るかもしれない。首都直下型地震も来るかもしれない。そうなってもなお、地震なんてしょせん他人事だと言えるでしょうか。

阪神淡路大震災がひとつのきっかけとなり、熊本地震を経験し、人に情報を伝える仕事をしたい、情報で誰かの手助けをしたい。小さな頃そう思った私。今の私にできることはまだ小さいかもしれない。でもとにかく、こうして文字にして起きていることと関したことを記していくしかない。

だからこそ声を大にして言いたいのです。
『KOBEをどうか忘れないでいて』と。


テレビの向こう、ゆらゆらと灯りが灯る竹灯籠は、あの日確かに傷つけられた人々の優しい心を導く灯火のように見えました。私も静かに手を合わせ、目を瞑り、できるだけ気持ちを込めて。



おしまい。