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VRという大きな魚の腹の中

なんとなく考えてみた。これからの事。これはあくまで私個人の考えだけど、これから、私たちの世界は皆、VRの世界に移行していくんじゃないかな?

私たちの生活圏が皆、VRの世界に移されて行く。VRの世界で自分のアバターを作って、そこに私たちは今あるこの私というものを移していく。

私たちの今住んでいるこの生活圏が皆、VRの世界に移行する。そんな風に最近考えたりする。っていうか実際にもう世界はそうなってきているよね。

自分のアバターを作って仮想世界の中に入る。最初は、その自分のアバターを操っているのが自分だという認識はある。でも、ずっと、そのVRの世界に入りっぱなしだと、段々とそのアバターを操っている自分と、VRの世界の中にある自分との間に違いを感じられなくなる。そうなった時、私たちは完全にVRの世界にこの身をそのままに移行したという事になる。

VRの世界というのは、誰かが作った仮想世界の事であって、その世界とはリアルな世界ではない。でも、私たちはその誰かが作ったその仮想世界にこれからより強いリアリティーを感じさせられる様になっていく。

私たちは、今此処に存在している。でも、今此処に存在しているという事を私たちはあまり強く実感する事が出来ていないという状況にある。今此処に自分という存在が在りながら、その自分をはっきりと感じる事が出来ない。ここに自分がありながら、その自分にあまり強いリアリティーを感じない。

VRの世界を作っている人達というのは、こうした今此処に在りながら、自分というものを漠然としか感じられないという人をターゲットにしている気が個人的にはしてならない。

もっと強く自分というものを感じたい。生きているって言う事を存分に味わいたい!!そうした思いを今の若者は特に強く持っている。こうした思いをVRを作っている人たちは強く意識している事は間違いない気がする。

VRの世界というのは、今以上に強いリアリティ―を味合わせてくれる。リアルというのは、現実の事ではあるけれど、その強い現実感が今の若者にはないからこそ、このVRという構想は若者にうける。

今私たちが生きているこの世界に若者の多くは強い現実感を感じていない。そこに目を付け、より強い現実感を感じる事の出来る仮想世界を作った。VRの世界とは、今この世界に生きる私たちに、こっちの世界こそが、現実だ!という事を教えてそっちの世界に私たちを引き込もうとしている様に私には感じてしまう。

あなたたちの今生きている世界は偽りであって、真実の世界ってのは、こっちのVRの世界だよ、みたいな。VRの世界は私にこう言う。あなたが今生きている世界は作られた偽りの世界であって、何の価値もない。本当の価値があり、真実の世界はVRの世界。本当の価値はこのVRの世界にあると、そう私はVRの世界に言われているそんな気がする。

VRの世界を作っている人達を否定する訳ではないけれど、私には、何か違和感しか感じられない。なんとしてでも、この世界から、人間をVRの世界に移行させたい。そう言った何かとんでもない思惑みたいなものがあるんじゃないのかな?って感じてしまう。

昨日も、ニュースでヤフーの代表の人のインタビューがあったけど、彼は、コロナ後世界が大きく変わると言っていた。今の様に海外旅行も気軽に出来なくなって、年に一回の相当贅沢なものになるって言っていた。飛行機からエコノミーが消えるとも言っていた。何せ、エコノミーは3密に他ならないからだって。となると、私たちはこれまでの様に気軽に海外旅行もできなくなる。となれば、私たちはどうなるの?って考えた時、そこにVRが上手くはまってくる。

つまり、お金のない人たちは、これからVRの世界に移行せざるを得なくなるってこと。本当のお金持ちだけが、これからこちらの世界でリアルを体験できるってこと。私たちはこれから、このリアルな体験をお金をかけないと体験できなくなるのかも知れない。お金のない人は、リアルを買う事が出来ずに、リアルを買ったつもりになることしか出来ない。

本当に生きた体験。そう言った体験はこれから、買わなくては手に入らない高価なものになるのかも知れない。そうした生きた体験を買いたくても、お金がなければ買えない。でも、そう言った体験が出来なければ私たちは精神的に参ってしまう。それでは困る。で、そこにVR参入ということになるってこと。

リアルな体験を買う事が出来なければ、私たちはVRの世界に入り、そこに在るリアルを買うしかない。そこで何もかも味わった気になっているしかないという事になる。

VRの世界とは、私からすると、死んだ世界。私たちはこれから、その死んだ世界の中に移行する。その死んだ世界の中で腐った肉をほおばって、上手い上手いと言いながら高笑いする。自分たちが何を食わされているのか?何を掴まされているのかもわからないそんな世界の中にこれから私たちは入って行く。

本当においしいもの、本当に美しいもの、それは今此処。この世界にしかない。人間が作ったものは何処までも有限。その事を私たちは知らないといけないんじゃないだろうか?

この世界が死んでいるんじゃない。これから作られようとしている世界が死んでいるんだよ。私たちは今、死の入り口に立たされている。今ある自分をどうとらえ、どう見るかでこれからやってくるというか、もうやってきているVRの世界とのかかわり方がかわってくる。

本物の肉を食いたいなら、この今生きる世界をただひたすらに充実させるしかない。この今生きている世界を存分に肯定するしかない。この世界を自分にとって価値のある魅力的なものにするしかない。この世界に絶望しか感じていなければ、私たちはあっという間にVRの世界に取り込まれていく事になる。VRの作る世界に魅了されて飲み込まれてしまう事になる。

VRの世界でその骨のずいまでしゃぶり取られるのが嫌なら、今の内にこの世界がいかに素晴らしく、そして生きるのに値する世界かという事を自分なりに知っておく必要がある。この世界を存分に肯定する事が出来れば、VRの世界に盲目的にその自らの足を引っ張られる事はなくなるだろう。



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