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子供とゲームの関係

一日中ゲームに没頭している子供に聞いてみた。何故、そんなに一日中ゲームをしているのか?と。その子から帰ってきた言葉は意外なものだった。

つまらないから

楽しくてゲームをしているとそう思って大人は子供を見ている。でも、その大人の見方がどうやら違った様だ。

子供は楽しいから、ゲームをしているのではない。何も面白い事がない。楽しい事がない。だから、ゲームにすがるしかないのだ。

つまり、ゲームで自分の中にある寂しさを紛らわせているという事になる。

子供にとってゲームというものは、自分の逃げ場になっているそんな気がする。どこにもぶつける事の出来ないそんな思いをゲームの中で発散させる。

こういう子供にとっての現実はゲームのなかにしかないようだ。

現実世界があまりにもつまらない。何も面白い事がない。この自分の生きている世界に面白いと思える事が何もない。だから、彼らはゲームの世界の中に落ちていく。

ゲームのコントローラーをその胸に離さずに大事そうに抱えているそんな子供の姿を見ると、その子供にとっては、そのゲームしか自分の心を支えてくれているものがないように見えてきてしまう。

そこでしか生きられない。だから、何をおいても、それをする。それをしていないと、自分を保つ事が出来ない。でも、それを周りにいる親は何も理解しようとはしない。

何故、子供がそのゲーム機を放そうとしないのか?何故、ゲームをやめようとしないのか?それを深くまで考えようとはせずに、子供から命よりも大切なゲーム機を取り上げる。

何も子供に与えてこなかった自分を親は省みるのではなく、ゲームにかじりつく子供を批判して怒る。悪いのは、ゲームバカになったお前だ!!そういい親は子を責め立てる。

ゲームを自分の精神的支柱に据えたのは、その子にとって何も精神的支柱に出来るものがなかったという事の現れなのに、そこを親は何も見ようとしない。

ただただ、ゲームにのめり込んだ子供がいけないという。ゲームばかりしていて、何も話をしないと親はぼやくが、子供からしたら、そんな親とは何も話す事がないというのが実情だ!!

何も話す事がない。話をしたとしても、親は自分のことばかりで、何も子供に向き合おうとしない。そもそも子供に長時間向き合いたくないから、親は子供にゲームを与える。そういった気持ちが何もないというのは嘘だろう。

親は自分の時間が欲しくてたまらない。かわいいかわいいとそう言いながら、その子供を親は心の何処かで邪魔扱いをしている。

それを敏感な子供たちは察知して、ゲームの中に逃げ込む。

何処にも自分の身を守ってくれる場所がない。自分を楽しませてくれる場所がない。つまらなくてつまらなくて仕方がない。だから、子供はゲームの中に身を置く。そしてそこの住人になる。

それは、ゲーム依存になった子供が悪いんじゃない。ゲーム依存になるまほおっておいた親に責任があるのだとその子供の目は訴えている。

彼らは、決してゲームを楽しんでいるのではない。彼らはゲームをするしかなくなっているんだろう。必死になってゲームにしがみつくその姿を見ていると、なんだか、胸が締め付けられる思いになる。生きたい!生きたい!とそう叫びながら、でもその生きる場所を現実に見つける事が出来ない彼らの叫びが聞こえてくる。

彼らはこの現実ではもう死んでいるも同然。だから、必死になってゲームの中で生きようとしている。彼らは必死になって自分の生と向き合っているのだろう。





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