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過剰生産が生む不安と競争

この社会は毎日何かしら新しいものを生産し、そして社会に送り出している。売れるのか?売れないのか?それもよく思案することなく、とりあえず大量にものを作ればいくつか売れるだろう、少しは利益が出るだろう!的な安易な考え方で、とにかくものを作り続ける。

街には大量に売れ残った商品があふれ、売れなくなり、いらなくなったものが毎日大量に捨てられている。

それらが、どこへ捨てられているのか?ゴミとなって一体どこへ行ったのか?なんてことは誰も何も考えることもない。


1つものを作れば、そこに1つ不安が生まれる

わたしたちは毎日何かを生産している訳ですが、何かを作れば、それと同時に私たちは不安も作り出しています。

何かを作り、そして生み出せば、それに伴う様々な不安、これを私たちは持つことになります。

そういった意味ではわたしたちは物を作りながら、自らの不安も同時に作り出しているといえると思います。

何かを作れば、それに伴い不安が生まれる。そうなれば、その生産と共に生まれてしまった不安を払拭するために、又さらに生産をする。そんな事をしながら、わたしたちは毎日生きています。


物を作れば、そこに競争が生まれる

物を作れば、そこに生まれるのは不安だけではなく、そこに競争も生まれます。この競争は、物を生産したときにわたしたちの中に生まれた不安が後押しをしています。

物を作り、それを競争の中に入れてしまえば、もはや、わたしたちの目的は市場での競争に勝つことが目的となり、物を作る事の意義そのものから完全に離れてしまう事になります。

最初は楽しく作っていた。でも、心の中に生まれた不安が、自身の中にある競争心をあおる。それによって、自分でももはや何を作っているのか?がわからなくなる。

競争、競争で、物の良さを伝えたいという目的からどんどんんと遠ざかる。

こうしてわたしたちはいつの間にか、本来の目的、一番最初に掲げた目的から大きく外れていくことになります。

わたしたちはいつから競争するようになったのか?

今一度立ち止まってよく考えてみてください。私たちは、この社会で自動的に競争するように仕向けられています。

互いが、互いを意識し、その他人と競争するように、全てが作られています。他者と自分を比べては、他者をうらやみ、そしてその他者に羨望のまなざしを向け、その他者に競争を挑んでいく。

何もかも競争、誰が誰よりも勝っているとか、どこの料理がどこよりもおいしいとか、何をとってもこの社会は競争社会一色です。でも、この競争社会にわたしたちの多くは何の疑問も感じてはいません。

競争するという事がこの社会に完全に組み込まれてしまっているので、この競争自体がわたしたちにとっては当然のことで何ら疑う余地のないことになってしまっているということになります。

競争、競争で、そこしか見えていない。もっと根本的なところ、原点に立ち返ってみた時、この競争が本当にこの社会に必要なものなのか?は甚だ疑問です。

何故、自分と他者を争わせなければいけないのか?何故、わたしたちは他者に競り勝つ必要があるのか?何故、お互いに仲良くすることなく、互いにつぶしあうような事をするのか?


あちらよりもこちら、こちらよりもあちら

わたしたちは知らない間に同じようなものをいくつも作り出してきてしまいました。同じようなものなどいくつも必要ではなかった。なら何故、わたしたちはその同じようなものをいくつも作ってしまったのか?

それはお金を儲けるためです。

どこかが何かを出せば、それに似た通ったかのものを売り出して利益を得る。全く新しいものを想像し作り出すのではなく、わたしたちは模造品ばかりこの社会に生み出しました。

その結果、今この社会には同じようなあまり代わり映えのないものが乱立しています。

と考えていくと、わたしたちは私たち人間の為に何かを生産しているというよりかは、お金のためだけにものを生産しているという事になります。

人間をよりよくするために、生活をよりよくするために物を生産するという事から、今現在の私たちは大きく外れ、全てがお金のための生産になってしまっている気がしないでもありません。

お金を目的として、稼ぐことを目的にして、多くの人から少しでもお金を搾り取る事を目的として物が作られています。

そのお金目的の為に作られたこの終わりのない消費社会という名のネバーランドの中で、わたしたちは自分でも知らないうちにゆっくりと、その首を絞めつけられているという事になります。

この社会は、わたしたの首をゆっくりと絞めつけていきます。そして気づいたときにはもうわたしたちは窒息して死んでいます。

ドイツの哲学者、マルクス・ガブリエルもこの世界は作られた幻想だ!とそう言っています。

この社会からいち早く目覚め、そして抜け出すことが出来なければ、わたしたちは確実にこの社会の中で殺されることになります。





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