見出し画像

人間というもの

人間ってのは、不思議なものでいついかなる時も、目の前にある現実に向き合おうとしないで、いつまでも淡い幻想に浸ろうとする。

こうなればいいなあ、ああなればいいなあという期待ばかり抱いて、今此処にある現実になかなか目を向けようとしない。

何の根拠も示されていないのに、皆適当な希望を抱いて、適当な事を言う。

なんか、全てがずれている様な気がしてならない。現実が此処に在る。でも、それと私たちは並列して歩こうとはしない。現実と私たち人間はもしかしたら、互いに何も触れあおうともしていないのかもしれない。

現実は現実。私たち人間は私たち人間。これは同じラインで共に捉えられなければならないものだと思うが、今の所、この現実と私たち人間というのは、互いに全く別の方向を向いていて、互いに向き合い、そして手を取り合おうとは何もしていない気がする。

今自分たちの目の前にある現実を私たちは、無視し続けている。無視してはならないものを無視している。

もっともっと深刻に考えなければいけない問題を、私たちは軽率に扱い、そして未来に淡い期待を抱いている。

未来は明るいとそう多くの人は言う。どんな困難な事があろうと、必ず私たち人間は、そのいかなる困難にも打ち勝ち、そして必ずや明るい未来を手に出来るとそう人間は言う。

人間というのは、あまりにも傲り高ぶった存在になった。何でも出来る。私たち人間に出来ない事はない。解けない謎はない。この世界は全てこの人間によって作られる。だから、必ず明るい未来が来るとそう人間は言う。

でも、ここで忘れて欲しくない事は、人間が何かを作るとき、何かを創造する時、そこには、これまでもこれからも何変わることなく、多くの犠牲が伴っているという事を忘れるべきではないと思う。

明るい未来、明るい未来とそう言うが、その明るい未来とは、常に多くの犠牲の上に作られるものなのだ。

明るい未来を創造する。こうした言葉が世間には、溢れているけれど、世界中のあちこちを見た時に、一体こうした現実のその先に一体どのような明るい未来がやってくるのか?と疑問に思ってしまう。

明るい未来をと期待する事は悪い事では無い。でも、現実を知らない人たちに明るい未来などどうして作る事が出来るだろうか?

人間は、人間はとそう言うが、この世界に生命を持って生きているものは人間だけではない。あたかもこの地球上で一番偉いのは、私たち人間であるかの様な認識を持つ事は、本当に危うい。

人間が、人間がと言い、その人間に全ての力と権限を認めてしまったら、それこそこの先最悪な世界しか創造されない。そんな気がする。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?