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~すべきだという押しつけからの脱却

私自身、ずっとこの~すべきだを貫いてこれまでの人生を生きてきました。

でも、いろいろな分野の勉強をすることで、この~すべきだ!というこの考えが、単なる他人に対する押しつけであるということもあると言うことを知った。

すべきだ!と言うとき~、それは、自分の持っている価値が絶対なものであるとそう思い込んでいる自分がそこにはいる。

でも、それは私にとっては絶対的な価値かもしれないけれど、それは他人からしたら、それが絶対とはいいきれない。

だれにでも、価値としているものや、正義と思っている事はあるが、それは皆それぞれ違っていいはずだ。でも、これまでの私は、それを許すことが出来なかった。

だれにでも、自分の考えを押しつけた。そう言った意味では、私は恐ろしいほどのモンスターだった。

これが正しいんだから、これが正解なんだから、これが普通なんだから・・・。

今考えると、自分って何がそんなに偉かったのだろうか?とも思う。

つまりは、自分の力を外部の人間に誇示したかっただけなんだろうとそんな風に今となっては思う。

外部の人間に、自分の正しさを強引に受け入れさせて、それで自分の価値をきっと計ろうとしていたんだろうと思う。

今考えると、ただただ痛い。

これまでの私は、そう言った意味ではきっと、誰のことも尊重なんてしていなかったんだろうと思う。誰も、大切になんて思っていなかったのだろうと思う。

日々、反省です。

自分にとって何かが絶対だ!と思ってしまうと、その絶対をなにが何でも相手に受け入れさせようとする。認めさせようと躍起になる。

それだけ、自己承認欲求が枯れていたんだろうとも最近思う。

~すべきだ!ではなく、もっとフランクに~したらいいんじゃない?くらいのもっとゆる~い人間を少しこれからは目指して生きていこうと思っている。

自分の正当性を、自分が正しいんだ!なんてことを相手になにが 何でも認めさせる必要などなく、自分が正しいとそう思えばそれでいい。

結局は、自分が一番受け入れられない、認められないからこそ、それを外部に求めようとしていたに過ぎない。

他己をを知るより、自己を知るものの方が賢いと言う言葉は聞くが、やっとこの意味がわかった気がする。

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