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坂道地獄からの龍馬聖地巡礼、長崎 出島の歴史探訪

長崎旅行では、坂本龍馬の聖地巡りや歴史的地区へ行って来ました。

坂本龍馬と言えば、歴史上の人物で一番人気の高い・・・

と昔は言われていたけど、今は2位なんですね!

1位は織田信長。
大河ドラマやゲーム、漫画の影響も大きいのでしょうか。

私は坂本龍馬が一番好きで、2位を杉原千畝にしたいかな!

歴史上の人物 人気ランキング!
1位 織田信長 26.5% 
2位 坂本龍馬 10.2%
3位 徳川家康 9.6%
4位 豊臣秀吉 8.0%
5位 杉原千畝 3.8%


⭐スニーカーで坂道地獄に備えよ!


長崎は平地があまりなく、坂道の町。
長崎市には大きな川がないため、平地が出来にくいんだとか?

そして、限られた時間の中で効率よく龍馬の聖地を巡るべく、事前にしっかり調査。

あるブログに、駐車場情報が書いてあり、「伊良林3丁目駐車場」がベストで、うっかり別の駐車場に停めると、「坂道地獄は覚悟すべし」とある。

「坂道地獄!?」

それはまずい!と思い、もちろん「伊良林3丁目駐車場」に停めました。

が!
一番近いとは言え、やはり坂がすごい!
スニーカーかサンダルか迷ったけど、写真のことを思ってサンダルで行ってしまった私。

先払いの駐車場料金を支払おうと事務所に行くと、オーナーさんらしき女性が、

「あら~、ヒールで来ちゃったのね~」

と、あわれみの表情。

ご心配なさるのも当然。
坂だけならともかく、石畳が不安定で歩きにくいけど、頑張った!
ミュールという後ろバンドがないサンダルで来ていた友人もよく頑張った!

でも絶対にスニーカー必須ですね。
リサーチ不足で反省!

⭐龍馬の銅像&ぶーつ像&龍馬神社

駐車場で「まずは、坂本龍馬の銅像を目指してね!」と教えて頂いたので、この「坂本龍馬の銅像」の看板に沿って坂を上がります。
小学校の壁に書いていそうな可愛い絵。

長崎の町、港を一望出来る風頭公園展望台に、坂本龍馬の銅像はありました。
この日、素晴らしい快晴!

坂本龍馬神社は、2022年11月、亀山社中記念館の近くの若宮稲荷神社の境内に建立された神社。

若宮稲荷神社は、「勤皇稲荷」とも呼ばれ、坂本龍馬などの幕末の志士達が参拝したゆかりの地だそうで、市民有志の寄付で造られたんだとか。

坂本龍馬神社の近くには、記念撮影スポットとして人気の
龍馬の「ぶーつ像」。

私のスカートの色がブーツと同化してました。

⭐日本初の商社「亀山社中」記念館


亀山社中は、日本初の商社兼私設海軍。

1865年、薩摩藩や長崎の豪商・小曽根家の援助を受けて、坂本龍馬とその同志20数人により結成されたそうです。

ここに龍馬がいたのか~と思うと感激!
坂本龍馬といえば!の、あの写真と同じように撮影出来る台が置いてあったので、これはもう撮るでしょう!
刀もありましたよ。

記念館の内部は、10畳・8畳・3畳の部屋と土間。
龍馬がもたれかかって座っていたと伝えられる柱などが再現されています。

隠し部屋と思われる中二階は、はしごの途中まで上がって見学することが出来ました。

ここで志士達が戦略を練っていたのかな。

龍馬のブーツのレプリカや着物、ピストルなどのゆかりの品々も展示されていました。

「亀山社中の亀山ってなに?」

と思っていましたが、実はこの場所、元々「亀山焼」の職人の住居だった地で、龍馬達はここを借り受けて亀山社中を興したとされ、仲間を意味する社中と合わせて「亀山社中」になったとか。

ちなみに、「長崎市亀山社中記念館」の名誉館長は俳優の武田鉄矢さん!

武田鉄矢さんは、バンドに「海援隊」という名前をつけるほどの大の龍馬ファン!

ボランティア団体「亀山社中ば活かす会」が運営する亀山社中資料展示場も近くにあるのですが、「土日祝のみ営業」で、中には入れずでした。

⭐210年間、唯一の玄関口「出島」

日本で210年間続いた鎖国。
海外との交流を閉ざしていた中、西欧に開かれた玄関口だったのが出島。

キリスト教の布教を行っていたポルトガル人を収容する目的で製造され、その後、ポルトガル船の来航が禁止されると、平戸にあったオランダ商館が出島へ移転。

その後218年間、蘭学をはじめ、海外からの知識・情報が入って来る唯一の間口だったのです。

明治時代に埋め立てが始まり、海に浮かぶ扇形の原型は消失。

その後、長い期間の復元整備を経て、2016年に復元ゾーンが完成。
さらに四方に水面を確保する工事も継続されるとか。

入って左は日本最古のキリスト教神学校「旧出島神学校」や「旧長崎内外クラブ」など、明治期に建てられた建物のエリア。

反対側は、江戸時代からの出島の建物などを復元したゾーン。

布教活動をしていたポルトガル人、オランダ商館の人たちは、当時、この出島から出られない状態で生活していたそうですよ。

オランダ商館長が暮らしていたカピタン部屋では当時の暮らしぶりが再現されていて、壁紙が可愛いらしかったです。

この建物は女人禁制で、奥さんも入れなかったそうですが、遊女のお部屋はありました。
ん?

⭐ヘレンケラーの湯

長崎旅行のスタートは雲仙でした。

江戸時代後期、ドイツ人医師シーボルトが著書「日本」で”UNZEN”を紹介したことからヨーロッパで広く知られるようになり、明治時代、多くの外国人が訪れるようになったそうです。

日本初の国立公園に指定された雲仙は、古くから外国人避暑地として親しまれていたそうです。

空港からレンタカーをゲットして、まず最初に立ち寄ったのは、
お山のカフェ・レストラン「グリーンテラス雲仙」。

1日限定5食という「雲仙牛カツハヤシライス」をオーダー。
お肉、柔らか~い!
卵、とろとろ~♪

このレストランの横は広場になっていて、何やら立て看板が。
近付いてみると、足湯。
でも、ただの足湯ではありません!

なんと、「ヘレンケラーの湯」と書いてあって、写真もあるじゃないですか!

実はここ、1937年(昭和12)、ヘレン・ケラーと秘書のポーリー・トムソンが宿泊した、雲仙ホテルの跡地だそうです。
それはもう、入るでしょう!

クラシックホテルを巡った中で、日光金谷ホテル、富士屋ホテル、奈良ホテルにもヘレンケラーが宿泊した、という記録がありました。

来日し、こんなに色んな地に立ち寄っておられたんですね。

⭐硫黄香る雲仙地獄

日本初の国立公園に指定された雲仙は、古くから外国人避暑地として親しまれていたそうです。

道を走っているとモクモクと白い湯気が湧きたつところがあったので、寄ってみると、そこは雲仙地獄。

ボコボコと煮え立ってました。
ものすごい硫黄の匂い!

ここは江戸時代にはキリシタン殉教の拷問が行われた場所。
そういえば、リーアム・ニーソン主演の映画「沈黙~サイレンス~」(原作:遠藤周作)で描かれていました。

悲しい歴史ですね。


⭐日本で一番新しい山「平成新山」

雲仙普賢岳、と言えば、198年ぶりに起きた大噴火が記憶に新しいところです。

雲仙岳の噴火活動は、1990年11月から1995年2月まで続いたそうです。

38回の土石流、7回の大火砕流で多くの死者が出て、建物の被害も多く発生。

噴火で山頂に出来た溶岩ドームは「平成新山」と名づけられ、日本で一番新しい山だそうですよ。

雲仙ロープウェイで仁田峠、妙見岳の山頂へ。
ちょうどこの時期、ミヤマキリシマというツツジがキレイに咲いてました。

雲仙ロープウェイは、60周年だとか。
標高1300m、360度のパノラマ眺望が見れました。

長崎では、行きたかった歴史地区を巡ることが出来ました。

同時に長崎のご当地グルメも堪能。
来週は、長崎ちゃんぽん発祥の店などのグルメ情報の記事を書く予定です。

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