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あなたは「天職」に出合えましたか

親の仕事についての発表があるからママをインタビューさせてと娘に言われました。仕事の内容を一通り聞かれて、「今の仕事のどんなところにやりがいを感じますか」と最後に聞かれました。

私は高校生まで獣医(絶滅危惧種の研究などをする冒険家タイプの獣医)に憧れて、高校時代は理数系クラスに在籍。6年通わないといけないので国公立大限定、しかし獣医学部の定員はどこも10人以下と狭き門でした。

受験に失敗し、後期日程で第二志望の外国語学部に入りました。好きな国に数年留学して勉強できると知り、国家公務員(いわゆる官僚)に憧れ、法律の予備校に通いました。点数は悪くなかったですが、官庁訪問で回った際に、よその省庁に取られないよう東大生は別部屋で囲われていると知り、こりゃ勝ち目はないなと感じました。試験は2年有効だけど、2年目に入庁した人はいないと予備校の先生が言っていたので(キャリアですからストレート合格は当然です)、内定がもらえないまま公務員は断念。今では笑い話ですが、強力なコネを使う手も勧められました。コネで入った能力のない人に国の舵取りを任せられませんよね。

夢段階から失敗ばかりのような人生ですが、私のモチベーションを絶対に下げない、ある言葉がありました。

それは、高校生の時に受けた職業適性試験で、友達はみんな向き不向きの仕事が書いてある中、私だけ「あたなはオールラウンドプレーヤーです」と書いてあったこと。まだ社会で働いてもいないのに、私はどんな仕事に就いてもうまくいくんだという自信があったおかげで、挫折せず、別の夢に飛び移ることができたのだと思います。

当時の彼氏が出版社志望で、必死でエントリーシートを量産していて、締め切り日当日に代理で大手出版社に持参したことがあります。就職氷河期真っ只中で、出版社の採用は数人にもかかわらず、駅から出版社まで長蛇の列ができてました。

たまたま出身の地元で、全国的に有名なフリーペーパーの出版社の編集職1人の採用があると知り、そこまで編集職が人気職種ならと面接試験を受けて、家に帰る前に内定の電話をいただき、私の就職活動は幕を閉じました。

3年間編集の仕事をし、20代後半に差し掛かった時、夜の10時前に帰宅できることも少ない仕事で、これからの結婚出産を見据えると編集職は続けられないと感じました。3年間働いた会社を退職して、その退職金でライターを目指して広島から大阪へ飛び出します。

始発で帰って9時出勤というブラック全盛期の出版業界でもまれ(でもエキサイティングな仕事ばかりだった)、29歳で念願のフリーランスのライターとして独立します。

人生設計通りに進めて手にしたフリーランスのライター職でしたが、雑誌や広告が世に出ても、自分の名前がクレジットに載っていても満たされず、なぜかいつも心に隙間風が吹いていました。

そして、第二子を出産後、いよいよ休職せざるを得なくなりました。仕事復帰できるまでの期間、書くという私のスキルで、育児につまずくママを幸せにしようと発行したフリーペーパーが、私に大切な気づきを与えてくれます。

創刊号を発行した後、読者から一通のメールが届きました。

「赤ちゃんのお世話に追われて、今日が何曜日かもわからない毎日を過ごしています。たまたまスーパーで見かけたフリーペーパーを読んで涙が出ました。ママになっても自分らしく生きていいんだって」。

こんなに手ざわり感のある仕事があったなんて。


天職とは職種ではなく、この手ざわり感があるかどうか。商品開発でも営業でも製造業でもサービス業でも、誰かを幸せにできているか、そして自分自身も幸せを感じられるか、その商品やサービスの向こうに、温かい手ざわりが感じられるか

さすがにアパレル経験のない私が海外でファッションブランドを立ち上げるのは、無謀すぎると思われている方もたくさんいるようです(心折れそうになることもしばしば)。でも「誰かを幸せにする」ための手段がたまたまファッションビジネスだっただけ。

ある講演で、ウェブコンサルタントの先駆者である権 成俊氏が「その仕事がお金を失ってでもやりたいことなら成功する」とおっしゃっていました。

誰かを幸せにするために、とことん情熱を注げる仕事。これこそが天職。

突拍子もないビジネスプランですが、これまでの仕事の繋がりから、信じられないような組織や専門家の皆様に支えていただいていることに心から感謝の毎日です。

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