見出し画像

第七話 〜3つ目の壁〜

【突然の母の病気】

一時はもう辞めようかと思っていたサロン経営でしたが、絶頂期と言えるほど順調になり、
充実した毎日を過ごしておりました。

しかしそんなある日、私のサロンに、
母が通院している病院から1本の電話がありました。

「お母さんのことでお話したいことがあります。」

嫌な予感…
(この嫌な予感はけっこう当たるのでした)

「実は、お母さんの肝臓にガンが見つかりまして」

後に続く言葉は、もう私には聞こえはしませんでした…。
スタッフルームの床にへなへなと座り込んだまま、
立ち上がることもできなくなったのです。

やっとの思いで病院へ駆けつけ、真相を確かめました。

「こんなに大きくなるまで、わからなかったのですか?
ずっと通院してましたよね!」

私は、悲しさより、驚きより、怒りが込み上げ
やり場のない憤りを医師に向けました。

大学病院へ行ってみよう。
総合病院へ行ってみよう。

嘘であって欲しい。
まちがいであって欲しい。

そんな思いでいっぱいでした。

母が癌であるということを受け入れられない状態でしたが
私の気持ちの整理ができるのを待つ暇もなく
母の、癌の発生場所を特定するための、
血管造影の日程が決まりました。

その日程が
私が熱望していた2号店オープンの日と重なったのは、
何かを意図していたのでしょうか…?


【母との別れ】

実は、私は母のことはあまり好きではありませんでした。
いつもいつも、だれかと比べては、

「負けたらいかん、あんたは、〇〇せんといかん!」

と、制限されていた感覚があるからです。

そして何より母のことを素直に好きになれなかった理由は
私の存在は『兄の為に』必要であり、
私自身としては母から必要とされていないのではないか…と感じていたからです。

だから、
反発もした。
プチ家出もした。
口も聞かなかったこともあった。

そんな私の記憶にある、
元気だった頃の母とは打って代わって
病院のベッドに横たわっている母は、
娘に自分の命の選択を委ねている、
私が『守りたいヒト』になっているのです。

治療方法を主治医から説明してもらい、
私はたったひとりで、その中から選んでいきました。

1%でも治る見込みのある治療方法を見つけては、
主治医に相談していました。

何もしなければ3ヶ月。
手を尽くしても半年もつかどうかという状態。

ガンの宣告を受けて約半年後の11月、
私は、とうとう、母の命日を決めました。

母の人口呼吸器の器械を止める決断をしたのです…。

私が仕事を頑張る原動力が、
また、ひとつ消えて無くなりました。

ぽっかりと空いた穴。

サロンから自宅まで帰るのに車で40分。

大声で泣いた。
車の中で、泣きながら運転した。

来る日も来る日も。

いつも目を腫らして自宅に帰りました。
夫は何も言わず、子供達と一緒にかくれんぼをして、
私を驚かせようとしてくれました。

いつも、同じ手口で、
いつも、同じ場所に隠れていました。

少しでも、私を笑顔にしようという夫の思いが、
とても愛おしかった。
そんな不器用な優しさがとても愛おしかった。

私には、夫と子供達、そして兄がいる。

この人達を幸せにしたい。

仕事を成功させたい。

夫と子供たちの優しさに触れ、
徐々に仕事に対する意欲を取り戻すようになっていった
私が、そこにいました。


少しずつ元気を取り戻した私でしたが
非情にも、壁は、またやってくるのです。

続きはこちら


✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
プロローグ~成功と失敗~
第一話~強い使命感~
第二話~1つ目の壁~
第三話~運命の仕事、ヒト~
第四話~人生の転機~
第五話~二つ目の壁~
第六話~再起から絶頂へ~
第八話~4つ目の壁~


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?