文字を持たなかった昭和 続・帰省余話9~与次郎ヶ浜

 昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴ってきた。

 あらたに、先だっての帰省の際のあれこれをテーマとすることにして、強く印象に残ったことの簡単なまとめに続きエピソードを書いている。(ミヨ子さんの表情が乏しくなったこと、「膝かっくん」状態手摺中秋など)。

 次に、帰省中の行動を順に振り返ることにして、お出かけの準備外出先でのランチについて書いた。歩行に時間がかかることも。

 ファミレスでのランチのあとはレンタカーに乗り換える。といってもドライブするわけではない。予約してある鹿児島市内のSホテルへ早めにチェックインして、ゆっくり温泉に入ろうという計画なのだ。

 ホテルは鹿児島市内でも桜島を一望する与次郎ヶ浜にある。昔は鴨池と呼んでいて、一帯が整備され県庁も移転した頃にこの名称になったはずだが、まだ子供だった二三四(わたし)はよく覚えていない。桜島フェリーをはじめ、対岸の大隅半島や県内の離島を結ぶ船が発着する複数の港もこの地区にある。何より桜島を遮るのは海だけ、というエリアでもある。

 ミヨ子さんと宿泊するとなると、車椅子の配備、室内外のバリアフリー、アレルギーへの対応などいくつかの要件がある。もともとは、鹿児島を代表するといわれるもうひとつのSホテル――明治維新後の西南戦争で官軍に敗れた西郷隆盛が自決した城山の、ほぼ頂上に建つ――を考えていた。ここなら、2年ほど前にミヨ子さんと泊まったことがあり、対応にはとても満足していたから。

 しかし、コロナ禍後の需要回復のためか宿泊料がかなり上がっているうえ、諸事情により今回の宿泊は土曜日にせざるを得ず、当然宿泊料がさらに高くなるため、こちらのSホテルにしたのだった。

 Sホテルに泊まるに当たっては、バリアフリー対応の客室の有無に始まり、館内とくに大浴場でのバリアフリー対応など、多岐にわたる内容を電話とメールで相当回確認した。都度丁寧な対応をいただいて、こちらの希望が100%通ったわけではないが――当然である、できることとできないことがある――、こちらの状況や背景はほぼ理解してもらえたはずだった。

 レンタカーは鹿児島市の中心部から与次郎ヶ浜に近づく。秋の青空の下、正面に桜島の雄姿が迫る。
「桜島が大きく見えるね」と助手席のミヨ子さん。続いて
「車が多いねぇ」
「ほんとに多いですね。何かイベントでもあるのかな」
ドライバーでもある家人が返す。二三四は、ミヨ子さんが住んでる住宅地に比べたら、そりゃ車は多いよ、と心の中で呟く。

 あとでわかったことだが、この日は国民体育大会〈191〉の開会式リハーサルの日だった。メインスタジアムは与次郎ヶ浜にあり、たしかに関係者の車が多かったのかもしれない。

〈191〉特別国民体育大会(サブタイトル:燃ゆる感動かごしま国体)。2020年に第75回国民体育大会(国体)として開催予定だったが、コロナ禍で延期。順番などを他県と調整し協力を得て開催された。国民体育大会は令和6(2024)年から国民スポーツ大会に改称される予定で、「国体」としての開催は最後でもある。
《参考》
燃ゆる感動かごしま国体・かごしま大会 – 特別国民体育大会 鹿児島県 (kagoshimakokutai2020.jp)

※前回の帰省については「帰省余話」127
 

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